会長の”三行日記”
2012.11.21
「能作」社長の講演からその2 No.2316
能作社長の講演の続きです。能作さんは芸大を卒業して新聞記者となります。当時は記者になると、定年にならなければ地元に戻れないという、不文律みたいなようなものがあったそうです。
ご本人が言われることには、このため支局を転々としなければいけない新聞社より、この会社のある高岡の方が、地元の福井には近いという単純な理由で見切りをつけ、女系家族だった能作という会社に婿として入ったのです。
でもやはりモノづくりが好きだったのでしょう。以来、職人として腕を磨き続け、扱う材質の優れた点や伝統工芸の可能性に着目するわけです。
そして原点はこの仕事が好きで楽しくやっているからでしょう。能作さんは楽しく仕事をしていると様々な情報が集まってくると言っています。言い換えれば仕事に没頭していると、貴重な情報をキャッチするセンサ-が発達するということです。
こうして売っている人に聞いたほうが手っ取り早いと、多店舗展開のお店からも情報を収集し、素材とデザインを極めていくのです。また展示会にも積極的に出展し、見せるとか知ってもらうというシステムにも努めていくのです。
こうして今ではフランスのディオ-ルからも直接、話が舞い込むほどの会社にもなるのですが、能作さんの常に抱いているポリシ-は以下に挙げる事柄です。
① 続けること、あきらめないこと。最低でも5年以上は続けなければいけない。今は全盛のAKB48ですが、このグル-プをずっと支援していた企業があったそうです。でも3年間サポ-トしていたのですが、芽が出ないため4年目は打ち切ったとのことです。
そして皮肉なもので、その4年目にAKBが花を開かせたのです。これでは後の祭りで、折角の苦労した支援も無駄になってしまうわけです。とにかくバットは振り続けなければ何も当たらないと言っています。
② 営業はしないということで、この会社では営業マンを持ちません。来る者拒まず、去る者追わずの信条です。
③ 過ぎ去ったことは考えない。今を大事にすれば未来が開ける。
④ 常にオ-プンでいて、対立、対抗はしない。今でも会社を訪ねてくるお客が、地元の問屋に取引のあるところなら、そこを通すように勧めているとのことです。
ですから今まで扱ってきた商品を直接、県外に持っていくようなことではなく、新しく開発した商品のみ県外に出し、問屋とメ-カ-との共存共栄も図っているわけです。
⑤ 仕事を楽しみ、愉しむ
まさにその姿勢は地域社会には労を惜しまず貢献するという言葉どおりの、世界に羽ばたいても地元・高岡という地域への愛着と、伝統工芸の伝承を常に頭に置いての展開です。それをGLOCAL(Think Global,Act Local)という言葉で表わしていました。さすがですね。久しぶりに眠っていたものを起こされたような、素晴らしい講演でした。
2012.11.20
「能作」社長の講演からその1 No.2315
日曜日から泊りがけで、同級生の仲間と小旅行に出掛け、昨日は会社を休ませていただいたため、カキコミはできませんでした。ご容赦下さい。
それにしても、お天気にも恵まれたせいか、暮れ行く秋を惜しむかのように、紅葉狩りやハイキングに出掛けた人の多さにはびっくりしました。夏が暑かったこともあり、今年の紅葉はどこもみな見事でしたね。
さて、先日行われた中小企業家同友会・全県経営フォ-ラムでお聴きした、記念講演について触れさせていただきます。講師は富山県高岡市で会社を営む、能作克治氏です。
株式会社 能作という、銅やすず製品を加工して製作・販売している会社なのですが、とても興味深く聴き入ってしまった講演の内容でした。私もこの会社のことを、講演をお聴きするまで全く知らなかったのですが、今では世界まで進出している、なかなかの業績に優れた会社のようです。
と言っても10年前まではただのモノづくりの下請けに過ぎず、このような素晴らしい展開など全く予想できないほどの、100%問屋相手の鋳物を作っていた会社だったとのことです。
鋳物とは溶かした金属を型にはめこんで作るものですが、能作さんは自ら婿さんとして飛び込んだこの会社に、17年間職人としても腕を磨くことから入り込みました。
そこで錫などの素材の持つ、以下に挙げるような利点に気がつき、周囲の協力も得ながら商品開発に励んでいくわけです。錫はさび難く、抗菌作用に優れています。そしてお酒などがこの容器で飲むとおいしいし、金属アレルギ-がありません。
また純度100%の錫は軟らかくて曲げやすいものです。この扱い難さを逆に捉えて、曲がる金属ならば、曲げて使う商品を開発すればいいと、食器の常識を覆す「曲がる器」を生み出したのです。
そして展示会などを経て、その良さが海外まで認められていくのです。今でも能作さんは朝6時に出社し、会社をしまうのは夜11時頃だと言われます。日中は電話やいろいろな用事に追われるからで、朝の数時間と夜のひと時が落ち着いて仕事ができるからです。
そのくらい、今の仕事が好きで楽しいからだと言われます。とにかく長い間3Kと言われ続けていた職場を、別の5K(改革・改良・改善・改修・改進)に変えていった歩みやポリシ-は、興味深いものでまた次回に触れさせていただきます。
この能作氏が講演でずっと言われ続けていた、「続けること、あきらめないこと」という言葉は、大きなインパクトを持つもので、必ず道は開けると私たちも信じたいものです。
2012.11.16
森光子さん No.2314
女優の森光子さんが亡くなりました。享年92歳とのことですが、本当に惜しい人を亡くしたような気がします。今朝の天声人語にも書かれていましたが、文化勲章も受けたし、国民栄誉賞にも輝きましたが、何といっても「時間ですよ」の松の湯のおかみさんがピッタリの方でした。
また代表作の「放浪記」のお芝居は、その上演回数が2017回を数えたと言います。劇の中では高齢にもかかわらずでんぐり返りまで試みた、まさに体当たりの演技を貫き通した方でした。
でもおかみさんだとか、お母さんがピッタリのはまり役でしたが、ご本人には実のお子さんは一人もいなかったと言われます。また女優として芽が出たのがずいぶん遅く、41歳でこの放浪記の主役の座をやっと射とめ、以来89歳まで演技続けたのです。
逆に言えばそれだけ長いこと、下積みを続けたからこそ、その経験が生きて周囲の人々から慕われたのでしょう。それでもそんな苦労はおくびにも出さず、いつも明るい方でした。
亡くなったのもひっそりと入院先の病院で、長年連れ添った付き人とマネジャーの見守る中、まるで眠っているように穏やかに息を引き取ったと言います。そして皆さんに迷惑を掛けるからと言って、近親者だけで密葬を済ませたそうです。
このへんが気遣いのある森さんらしいところです。また入院先の病室には放浪記の台本まで持ち込んで、復帰に備えて毎日運動までしていたというから、凄いものです。
ドクタ-ストップがかかり、放浪記の公演を一昨年の10月に中止したのですが、まだまだやれるという、復帰の意欲を持ち続けていたのです。まさに生涯、現役だったのですね。
また来週、詳しく触れますが、水曜日に聴いてきた講演でも触れていたように、続けることとあきらめないことが大きな成果をもたらすということです。大女優・森光子さんのご冥福を心からお祈りいたします。