会長の”三行日記”

2012.11.27

大リ-グ入りする前に No.2319

アメリカ大リ-グ入りを希望している、岩手・花巻東高の大谷翔平投手に、ドラフト1位で指名した日本ハム球団が昨日初めて会って話をしたとのことです。
 
この50分間の会談には栗山監督も同席し、自身の解説者時代に取材した大リーガーの状況などを説明して、日本球界を経由しての大リーグ挑戦を勧めたみたいです。
 
確かにあれだけの逸材ですから大切に扱わなければいけないところですが、聞くところによると、アメリカに行ってもすぐ大リーガーになれるわけではなく、少なくとも3~4年は日本で言うところのファ-ム暮らしをしなければいけません。
 
そのファ-ムというのがなかなか大変で、日本では単なる2軍というところだけなのですが、アメリカでは大リーグのすぐ下が3Aと呼ばれるもので、その下の2A以下のチ-ムもいっぱいあります。
 
ですから高校生からの選手ですと、いきなり3Aのチ-ムからではなく、その下の2A以下のチ-ムからスタ-トを切らなければなりません。そして投手の場合ですと、日本より投球数を重んじていることから、なかなか本人が望んでいるような出場機会にも恵まれないのです。
 
こうしたことからその育成には少なくとも3~4年は掛かるみたいです。でもメジャ-昇格はその期間に目覚しい結果を残した人のみで、チャンスに恵まなければ6年経ってもそれ以上でも昇格はあり得ないのです。
 
また一部には大リ-グを目指した日本と韓国人選手の実例も挙げて、いろいろと説明をしたみたいです。日本からはご承知の通り、日本球界で活躍した選手がほとんど大リーガーを目指して渡っているのですが、韓国はちょっとその事情が違っているようです。
 
過去韓国からの選手は、日本人大リーガーのように球団を経て大リ-グ入りする選手は少なく、今までに2人しかいないそうです。ですからそのほとんどがこうした下積み期間を経て、大リーガーとなっているわけです。
 
でも昇格しても必ずしも大リーガーとして長く働いているわけではありません。また下世話な話ですが、契約金に関しても日本のドラフト1位に与えられる破格の条件など、なかなか少ないのです。
 
こうしたからも、その将来性を考えても大谷投手は直接向こうに渡るのではなく、日本である程度じっくり育ててもらい、それなりの結果を残してからの方がよいのではないでしょうか。
 
そうした意味でも、敢えてリスクを承知で2年続けてドラフト1位を指名した、日本ハム球団に敬意を表したいところです。またそのトップが栗山監督という、頭の良い、気遣いのある方ですから、安心して大谷投手を任せられるのではないでしょうか。

2012.11.26

究極のリサイクル No.2318

3連休の初日は雨にたたられ、そして2日目もはっきりしない天気で夕方からは雨、昨日の日曜日だけは綺麗に晴れましたが、今朝もまた雨模様です。この雨が降るたびに寒さが厳しくなっていくこの頃です。どうぞくれぐれもご自愛下さい。
 
さて今朝も少しでも家内の仕事を減らしてあげようと、回収日のためゴミ出しをしてきましたが、このゴミについて、かつての江戸が世界一ゴミのない清潔な都市であったとの記事を読みました。
 
それによると、当時は100万人の人が生活を営んでいた世界一の大都市だった江戸ですが、世界一ゴミのない都市だったそうです。それから300年、今の東京が世界一ゴミの多い都市になったというのも、何とも皮肉な話です。
 
その世界一の清潔な都市・江戸には最先端のゴミ処理システムがあったそうです。以下、それについの記述を紹介したいと思います。
 
江戸住民の究極のリサイクル
 
早朝、各家庭から生ゴミが出される。収集車が来るまでにカラスがつついたり、悪臭や汁漏れがあったりと、暮らしのなかでの嫌われ者代表が生ゴミだ。自治体では生ゴミの軽減に努めてきたが、家庭からの排出量は増える一方。ところが、遡ること300年、江戸の街にはゴミなど見当たらなかったという。なぜか?

何でもかんでもリサイクルしていたからだ。ときは元禄を迎える直前の1650年ころ、江戸は高度経済成長期に入り、ちょうど「初物を食べると75日長生きする」という初物ブームが到来し、江戸っ子は競って初物を食べた。

近郊の農家は、1日でも早く作物を実らせようと、生ゴミを肥料に使うことを思いつく。江戸の家庭から出た生ゴミを地面に埋めて発酵させ、油紙をかぶせて保温するという方法で作物の発育が早くなった。

それ以後、近郊の農民は、野菜や薪をもって定期的に江戸を訪れ、帰りには肥料となる生ゴミを積んで持ち帰った。その肥料で育てた野菜を江戸住民が食べるという、食物のリサイクルが成立していた。

生ゴミだけではない。人々の糞尿もリサイクルされた。糞尿は中世から畑の肥料として使われていたが、江戸時代には、糞尿専門の回収業者があらわれ、有償で江戸の街から下肥として回収した。それが結局は野菜となって、江戸住民の口に戻ってくるのだから、これぞ人間を巻き込んだ、究極のリサイクルといえよう。

 
江戸住民はリサイクルの天才
 
江戸のリサイクルは、食べ物に関してだけではない。このリサイクルは慈善事業ではない。商売として成り立つからこそ、各種のリサイクル業者が生まれた。

たとえば「灰買い」という業者がいた。当時の燃料は薪なので、当然各家庭から灰が出る。それを「灰買い」が買い集め「灰問屋」に卸す。灰は、清酒の醸造、衣服の染物、紙すき、洗いものなどに使われていたので、酒造業者、紺屋、製紙職人などが「灰問屋」から灰を購入していた。

そのほかにも、街を巡回して紙くずを買い古紙問屋に卸す「紙くず買い」、蝋燭のしずくを買い安い蝋燭を作る「蝋燭の流れ買い」、壊れた傘を買い集め古傘問屋に卸す「傘の古骨買い」など、現代ならばゴミとなるものでも、専門の業者や問屋が存在し、再利用を生業としていた。

着物のリサイクルも忘れてはならない。江戸時代は、布はすべて手織りで、生産量にも限りがあったので、庶民はもちろんのこと、武士階級でも古着を着ていた。何度もリサイクルされ着物として使えなくなっても、雑巾や赤ん坊のおしめとして利用された。江戸の住人にとって古着商は欠かすことのできないリサイクル業者だった。

これだけいろいろなものがリサイクルされれば、ゴミも出ないはずだ。複雑なデジタル家電が溢れる現代は、「直すよりも買ったほうが安い」という時代。江戸時代の生活に戻れといわれても無理な話だが、江戸のゴミ処理システムは、現代の環境問題解決のヒントになるかもしれない。

 
なるほど、先人は無駄なくいろいろなものを再利用していたことを、改めて知らされました。それは何でも捨てる現代への戒めのようにも聞こえます。ゴミの軽減と「もったいない」を今一度見直さなければなりません。

2012.11.22

いい夫婦の日に No.2317

今日は「いい夫婦」の日ですね。「仲良きことは美しきかな」という武者小路実篤さんの言葉がありますが、私たち夫婦も先月で結婚30周年を迎えました。
 
一口に30年と言っても、夫婦で長く居続けるということは結構、大変なことでもあるわけなのでしょうね。朝のテレビでいろいろなカップルにインタビュ-をしていましたが、その中の61年目を迎える年配のご夫婦がこう言っていました。
 
お互いの良いところを認め合って、嫌なところには目をつぶることです」と。なるほど、年輪を重ねているだけに、うんちくのある言葉です。そして継続にはやはり我慢が不可欠だと付け加えていました。
 
我が家ではその言葉は、私よりかは何よりも家内に当てはまる言葉です。家庭を顧みずというと少し大袈裟ですが、自分の好きなことをやり続けていた私に比べ、嫁・姑の関係のある家に遠方より嫁ぎ、誰一人知らない土地からその生活が始まったのです。
 
おそらくその不安は、私なんかの想像の届かないところではなかったかと思われます。そして3人の子育てに追われ、そのうち会社での経理も引き受けなければいけなくなりました。
 
また私の母親は結婚後、一切家事から手を引いてしまった関係で、子育て、家事、会社の経理と、体がいくつあっても足りない毎日を送っていたように思われます。
 
ですから本人の好きだった、お茶だとか絵画、音楽等の習い事もきっとやりたかったでしょうが、とてもやれるような状況ではありませんでした。それに比べ、私の方は言うと、好きなソフトボ-ルやゴルフ、またいろいろな人との付き合い等、何でも遠慮なくやっていたような始末です。
 
改めてこのように考えますと、よく我慢していたものと思います。まさにその言葉がぴったりの結婚生活ではなかったでしょうか。そんな私たちに対して、先日の日曜日に3人の子どもたちから素敵なプレゼントがありました。
 
私は日曜日、箱根に泊まっていた関係で、一日遅いプレゼントとなったわけですが、月曜日家に戻ると3人それぞれからのメッセ-ジが添えられた、プレゼントの時計を渡されたのです。
 
見ると家内の腕にはもう既に収まっているのです。何かもう、グッと来るものがありましたね。もちろん私たち夫婦に頂いたものなのですが、これは永年、わがままな亭主に付き添ってくれた勲章のように思えるものでした。
 
一昨年の母親が亡くなるまでは、10年以上もその介護に追われた毎日でした。そしてここで二人の娘たちが無事に出産を終え、やれやれとは言いながら、まだまだその手伝いに追われている彼女です。そして最近では地域でのボランティアの事業までそれに加わりました。
 
そんなわけで何よりも感謝しなければいけない存在になっています。子どもたちのメッセ-ジにあった、お父さん、お母さんのような素敵な夫婦をめざしたいとの言葉に恥じないよう、来年の秋にはのんびりと二人で旅行にも行ける、今からでも償いのできる夫婦を目指さなければと思っています。