会長の”三行日記”
2016.08.31
お盆やお施餓鬼 No.2885
今朝などはめっきり涼しくなり、朝の散歩も快適でした。まだまだ厳しい暑さは続くものと思われますが、秋も少しずつ近づいているようです。210日の今日、例年台風がやってくる一番の時期ですが、昨日は気象庁が統計を始め出して初めての東北地方に台風が上陸しました。
この迷走台風の被害に見舞われた地域の方々には心よりお見舞い申し上げます。さて真宗大谷派真楽寺住職の勧山弘さんがお盆とお施餓鬼について書かれていました。
ちょうどこれを書かれている時期、高校野球やリオ五輪が真っ盛りのときだったのですが、お坊さんにしても裸でも暑い時、白足袋を履き袴を付け、檀家を一軒ずつお経をあげて廻るのは法衣(ころも)を着た発汗器のようなものと言われています。
でも暑いのは坊さんだけではなく、甲子園では選手が眦(まなじり)を決して白球を追う姿を見るにつけ、彼らは暑さをどれだけ感じているかと投げ掛けています。でもそれは問題外の話で、暑さを逃れようとする心を忘れることで暑さから解放されていると説いています。さすがはご住職です。
そしてお盆についても、先祖供養の時であることは申すまでもなく、盆の字は皿を分けると書くと指摘しています。つまりそれは自分に与えられた皿の上の食物を、飢えた人に分け与えるという意味とのことです。
禅の道場では食事のとき、給仕の僧が幾粒かのご飯粒を各修行僧から集めています。寺の庭に行くと石の上に置かれた板に、そのご飯粒が乗せられてあり、小鳥が啄(ついば)んでゆきます。
これが自分だけの口腹(こうふく)の満足ではなく、鳥禽(ちょうきん)にも施す、この布施の心を持つべしと説いています。また仏教ではハングリ-の人を餓鬼と呼ぶそうです。この世を地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六界に分け、その餓鬼に施すことです。
私たちがお寺から案内を頂くお施餓鬼は、その心こそ皿を分けるお盆の大切な布施行と言われているのです。仏教では「わが一飯を献じて、世の飢えを救う」という教えがあります。
わが一飯では7億とも8億ともいわれる世界の欠食者を助けることはできない。でも飽食日本のこと、せめて年2回くらいは一食抜いて、栄養失調に苦しむ人々に施してはいかがと投げ掛けています。
また我が国の家庭やレストラン、ホテル等から出る残飯は優に40万人を養うに足る量だと言われています。美食飽食の時代、いつも言うことですが、地球上の私たちの計り知れない他の地域では、一日約10万人もの人々が餓死しているとのことです。
それだけに一方では有り余って捨てている地域があっては、あまりにも片手落ちで不公平ではないでしょうか。小さな頃、祖母からご飯粒を1粒でも残したら目が潰れると言われながら育てられました。その教えの大切さを改めて噛みしめているものです。