会長の”三行日記”

2016年05月

2016.05.31

九州沖縄ブロック役員研修会から No.2842

 先週の木曜日から2日間、佐賀の地で開かれた同友会九州沖縄ブロック役員研修会に参加してきました。これは静岡同友会の事務局員全員が初めて行なった視察研修旅行でしたが、それに帯同したものです。道中、ちょっと感じたことを記したいと思います。

静岡空港から福岡空港まで往復、富士山ドリ-ムエアライン(FDA)を利用、私は同機に初めて搭乗させてもらいましたが、約1時間15分のフライトはその時間からしてもすこぶる快適なものでした。また羽田などの空港と違って、空港内に飛行機の数も少ないことから、定刻にはしっかりと飛び立てるのも嬉しいところです。

また駐車場が無料というのもいいですね。9時出発の飛行機で家を6時45分に出たのですが、空港には8時前には着きました。羽田ならこうはいかないものです。それから料金も往復で35000円ぐらいと言いますから格安です。

FDAの飛行機の色もカラフルで、現在10機あるのでしょうか、それぞれが全て違う色です。行きの便はゴ-ルド、そして帰りは黄緑とどちらも比較的新しい機体のように思えました。また1時間ちょっとの短いフライトでも、クロワッサンがついた飲み物サ-ビスがあったのは嬉しいことでした。

これならまた、ここの空港とエアラインを使ってみたくなるものです。この静岡空港は最近中国からの観光客で賑わっているようです。昨年から就航する国際線が13路線週47便と、1年前に比べて大幅に増えたそうです。

それは日中間の協定があるらしく、混雑している羽田空港や成田空港を除けば、中国の航空会社は自由に航空路線を開くことができるみたいです。このお蔭で当初、地方空港の失敗例とも言われてきた静岡空港でしたが、どうやら息を吹き返したようです。

それにしても静岡と違って福岡は空港はじめ、街中もやはり九州を代表する都市だけに人波が凄いものです。ソフトバンクがこの地を本拠地にしたのもうなづける話です。

佐賀で開かれた研修会では、同友会運動はまず自社を良くすることが原点であることをいろいろな角度から分析していました。この研修会に訪れた会員はそれぞれの地区の役員ですが、平日の木、金の開催にもかかわらず150人以上の方々が熱心に取り組んでいました。

静岡ではこれほどまでに役員の意識が上がっていないだけに見習わなければいけない点です。とにかく同友会運動の到達点とも言われた、地域条例制定運動がいまいち腑に落ちなかった私にとっては、1つのきっかけになるような今回の研修会でした。

2016.05.30

オバマ大統領の広島訪問 No.2841

 政府は来年4月に予定されていた消費税率10%への引き上げを、2019年10月にまで2年半延期する考えを示しました。ただ閣内の麻生財務相や自民党・谷垣幹事長などとは意見が分かれていて、それなら民意を問おうとする衆院解散を条件にという、何やらきな臭い話も出てきました。

首相はサミットで示した、現在がリ-マン前の経済状況に似ているという理由を述べていますが、G7加盟の日本以外の報道が示すように少し説得力を欠くものと思えます。それより予期せぬ熊本地震が起こったり、世界経済も低迷していることから増税のリスクは避けられないと素直に言った方が変にこじつけのように聞こえません。

また麻生さんが言う衆院解散も、一国の行く末を案ずるというより、追い風を受けている自民党の党利党略のように聞こえるものです。そんな我が国の世知辛い政治に比べたら、やはり多くの反対を乗り越え実現したオバマ大統領の広島訪問は意義深いものではなかったでしょうか。

その歴史的スピ-チの概要は以下の通りです。71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。

そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらし、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていたのにもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。

この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。

私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。

いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。

あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。

原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています。すべての人命は、かけがえのないものです。

私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。だからこそ私たちは、広島に来たのです。亡くなった方々は、私たちと全く変わらない人たちです。

多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。

この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。

オバマ大統領は広島の地で謝罪をしないと伝えられていました。でもアメリカ大統領としてではなく、人間オバマとして二度と繰り返してはならないと、人間的に立派な謝罪に当たるメッセ-ジではないでしょうか。まさに歴史に残る一日でした。

2016.05.25

沖縄の遺棄事件から No.2840

 沖縄でまた悲しい事件が起こってしまいました。20歳の女性が夜の散歩中、アメリカ軍の軍属(元兵士)の男に襲われ遺棄されるという事件です。先月末に行方不明になり心配されていたのですが、3週間後に遺体という最悪の形で発見されたのです。

犯人は現地に住み日本人妻や子どもがいるという境遇にありながら、このような蛮行に及んだのです。初めからわいせつ目的で標的となる女性に近づき、殺害した後、準備したス-ツケ-スで運び去るという事前での用意周到な犯行とも考えられています。

まさに基地がある街ゆえに以前から起こっている事件そのものなのです。以前にも何件か伝えられている悲しい事件があります。その1つは1955年にこの事件と同じうるま市で起きた「由美子ちゃん事件」です。

街の中心部で起こった、6歳の少女が米兵に連れ去られた事件です。自宅から250メートルほどの場所ですが、家を出たのは、今回の20歳の被害女性と同じ、午後8時ごろだったそうです。

そして無残にも少女は翌朝、車で30分ほどの海岸のゴミ捨て場で遺体で発見され、暴行の跡があったということです。当時の現地新聞には「少女の左手に草二、三本が強く握りしめられていた」という悲しい記述が残っています。

またその他にも性暴力の被害にあい、人知れず米兵の子を産んだ知人がいたり、小学生の子どもが襲われ、町を去った家族の話も耳にします。このように苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起き、忘れたくても、忘れられないのが沖縄の日常だと言われています。

まさに基地があるゆえに繰り返されている悲劇なのです。警察庁や沖縄県によると、全国の警察が検挙した米軍関係者(軍人と軍属、その家族)による刑法犯事件は1990年代前半、300件近い年もあったそうです。

それが96年には90件まで減少しましたが、03年に194件と増加し、その後は100件前後で推移しているとのことです。そして国内の米軍専用施設の75%近くが集中する沖縄が、そのうちのおよそ半数を占めていると言われているのです。

このまま放置してよいのでしょうか。私の友人も声を大にして言っているように、沖縄は日本の植民地でもなく、ましてアメリカの植民地でもありません。終戦前後からずっと沖縄だけが苦しんでいる実態を政府はもっと真剣に考えなければなりません。

基地も沖縄だけに押し付け、さも他人事にようにずっと対処しているのでは、あまりにも同じ日本人として惨い仕打ちではないでしょうか。繰り返される今回の事件を契機に、日本全体として沖縄問題を見直すときだと思います。

明日26日と27日の2日間、九州・佐賀で開かれる、中小企業家同友会九州・沖縄ブロック役員研修会に参加するため、カキコミは休ませていただきます。

2016.05.24

人生の終い方 No.2839

 ここで歌丸さんが司会を勇退することになった笑点ですが、次期司会者にメンバ-の中から春風亭昇太さんが選ばれることになりました。大方の予想では円楽さんではないかという見方が多かったので、ちょっと意外に感じた人も少なくなかったのではないでしょうか。

でも伝えるところによると、消去法で昇太さんが選ばれたということで、一番の新参者ゆえ回答者の方が全て上から目線となり、かえってスム-ズにいくのではないかという見方です。また長寿番組であることから、もっともっと長続きしてもらいたいという狙いがあるのではないでしょうか。

でも笑点のあとに放送された、日曜日のNHKスペシャル「人生の終(しま)い方」という番組を観たのですが、番組の進行役を務めた歌丸さんの気力には恐れ入りました。何しろお客から離れた高座が終わると、もう歩けないで車椅子で移動するのです。

入退院を繰り返し、医師に無理は控えるようにと言われる中でも地方公演を続け、「高座の上で死ねれば本望」と語る歌丸さんは多い月には1ケ月に半分以上の20日ぐらい、高座を務めているのです。

鼻には酸素チュ-ブを差し込み、裸になった体は痩せていて骨が見えるほどのギロギロの姿です。そんなにまでなっても尚且つ働き続けている原動力は何なのか、探ってみたくなりました。歌丸さんは笑点についても次のように答えています。

引き受けている以上は責任がありますから、責任を果たすのが当り前だと思っております。普通だったら、入院した時点でほかの方に頼んでわたくしはお払い箱になると思うのですけれども、仲間はわたくしが帰ってくるのを待っていてくれましたし、その恩は返さなくちゃいけないと。

正直、前にくらべて苦しい時もありますが、自分に課された役目は、つとめていかなくてはならない。ただ、ずいぶん長いことやっていますんで、そろそろ考えるときにきているのではないかな、という気はします。目をつぶる時も、自分なりの責任は果たしていかなきゃならない。これが人間だと思います。

この会見の1週間後に笑点の司会者引退の発表をされたそうです。これほどまでにご自身の人生をかけて打ち込める落語の魅力についても次のように語っています。

落語というものは、どんなに笑いの多い噺(はなし)の中にも、あるいはささやかな噺の中にも、義理人情が入っているんですね。その義理人情を、聞いているお客様が察してくだされば、あるいは何かのときにご自分の役に立ててくだされば、噺家(はなしか)として幸せだと思っています。

また番組の中では同世代で良き友であった、先代の圓楽師匠から亡くなる直前に「歌さん、頼むね」という電話があったことを紹介していました。「わかった」と一言答えただけですが、頼むねの一言に含まれる深い意味を十分受け取ったという話をされていました。

誰しもが迎える人生の終いですが、考えさせられることが少なくありませんでした。また終いの直前まで自分の意思が貫けたら、どんなに幸せだろうかと考えさせられました。いつになるか全く判りませんが、自分の終いの時、財産は残せなくても、しっかりとお礼を言って去りたいものです。

2016.05.23

企業30年説 No.2838

 巷では企業30年説ということが謳われていることがあります。企業にも寿命があり、人間同様、時間的制約によって、必然的にその生命を終えるというもので、旧態依然としていて新陳代謝の乏しい会社は生き残れないと言われている説です。

そんな中、昨日は日頃お世話になっている客先の創立50周年記念祝賀会に参加させていただきました。一口に50年と言ってもそこまでの積み重ねには大変なご苦労があったものと推察されます。聞くと設立当時、世の中にない革新的な技術を生み出そうという強い思いを持っていた、7人の侍とも呼ばれていた人たちによる出発だったと言います。

当初のその思い通り、数々の優れた技術を次々に生み出している現在ですが、改めて確固たる経営理念と「一念岩をも通す」と呼ばれる強い思いの大切さを知らされました。また祝賀会にはいわゆるこの会社の客先企業の方々は一切呼ばれておらず、私たちのような協力企業と言えば聞こえはいいものですが、下請企業と社員及びOB社員だけが出席していました。

また受付で私たち下請企業に対して、来賓がよく胸につけている赤いリボンが配られていたのにはびっくりさせられたものです。その上、私たちからのご祝儀も受け取らず、全てご招待という形にも恐縮させられました。

これで思い出したのが4月の末に開かれた、もう1社のお客様の創立100周年祝賀会です。本社が東京にある関係で、帝国ホテルで華々しく開かれたわけですが、やはりこの会社も同様に客先は招待されておらず、私たち協力企業と社員、OBによる全てご招待という形でした。

このように永く続くことのできる企業には共通したところがあるのでしょうか。こんなことから「日本でいちばん大切にしたい会社」を書かれた坂本光司先生のことを思い出しました。先生は本当の企業経営は五人に対する使命と責任を果たすための活動のことと定義しています。

大切にしなければいけない五人の真っ先に挙げたのが社員とその家族です。そして二番目は社外社員として下請けや協力会社の社員とその家族を挙げています。つまり三番目に挙げる現在顧客と未来顧客という客先より優先して挙げているのです。

まさに私どもの有力なお客様2社はたまたま今年、それぞれ100周年、50周年を迎えられたのですが、共通しているのは坂本先生の優先して言っている、社員とその家族、及び社外社員を大切にして頂いているのです。

こんなところにも優れた業績と長続きしている秘訣があるのでしょうか。弊社も1974年創業ですから今年で42年が経ちます。両社に比べたらとても足元に及ばない脆弱な会社ですが、晴れて50年を迎える8年後には少しでも社員が胸を張れる会社を目指して頑張っていきたいと思っています。

2016.05.19

加藤清正 No.2837

 現在のNHKの大河ドラマ「真田丸」にも出てくる加藤清正の話です。豊臣秀吉の子飼いとして小姓から身を起こした武闘派の人物として知られていますが、築城や治世にも優れた手腕を発揮したことがわかっています。

秀吉の母である大政所と、清正の母が従姉妹か遠縁にあたる関係で秀吉に仕えたわけですが、忠義を尽くした秀吉亡きあとは、徳川の家臣の大名にもなり両家の縁を取り持つこともしているみたいです。

また今度の熊本地震で大きな被害に見舞われた、名城と呼ばれる熊本城を造った人としても有名で、築城術、治世に長けていて、肥後熊本に領国を得てからは、この熊本城は設計から監督までを成し遂げたということです。

後世に伝わっている話としては、西南の役の際、薩摩より北上しようとする西郷隆盛の軍勢の攻撃を受け、政府軍が49日間にわたってこの城に篭城して守り切ったことは有名です。

それは清正の築城術が巧みで、城内に植えた銀杏の木がいざというときのための食料用や、また大広間の畳には、井草の替わりに芋蔓やカンピョウを使い、これも非常用の食料として考えていたことが少なからず功を奏したのではないでしょうか。

また人を見る目、人心掌握術でも秀でた部分があったようです。こんな話が紹介されています。肥後熊本にも加藤清正の名を慕って多くの浪人武士が仕官を求めてやってきたそうです。

たまたま老人、中年、青年の3人の武士が同時期に清正以下側近の面談の機会を得ることができました。面談後、側近達は言葉の端々に有能さをみせた青年武士を登用しようとします。

しかし清正の目は違いました。老人の長く経てきた経験と、中年のヤル気を買いたいというのです。そして「青年武士はどこの家にいっても通用する。あの青年を優秀、有能というのなら当家の青年武士は腐ってしまうぞ。当家の青年武士は優秀 である」と喝破したそうです。

そして実際に登用された老人、中年武士はそれぞれの持ち味を発揮し、家中に大いに刺激を与え、活性化の推進役となったというのです。というように、企業においてもともすれば青年の未熟ではあるが有能さに目がひかれ、登用・採用することも多いかもしれません。

それはそれでいいのですが、自身の経営する企業の状況によっては、それがまた有害となるケースもあることを頭の片隅にとどめておくべきで、老人の知恵・経験、中年のヤル気が必要とされる場合も往々としてあるのだと指摘しています。

このように知恵が働き、優秀であるがゆえに時の政権に恐れられ、うとまれて最後には毒殺されたという説も残っています。またこの加藤清正、いつも腰に米3升と味噌、銀銭300文を入れていて、腰が重いだろうと人から案じられていました。

常日頃から戦時の備えを怠らなかったのです。やはり先を見越した長期的な展望を持っていた人なのでしょう。テレビのドラマでは怪力で秀吉の命に従い井戸に放り込んでしまうような、荒くれさだけが強調しているようですが人の見かけだけでは判断できないということでしょう。

2016.05.17

トランプ No.2836

 トランプと言ったって、ブリッジやポ-カ-などの遊びのカ-ドではありません。そうです、今を時めくアメリカ大統領の共和党指名候補のことです。このトランプ氏、いろいろなところで話す内容がその都度、過激な発言で物議を醸し出しているわけですが、選挙も中盤戦を過ぎどうやら同党の指名候補になりそうな状況です。

ということは、まかり間違えればアメリカの大統領になる可能性があるわけです。そうなったらどうなるのかと、多くの人が懸念を抱いているわけですが、あるジャ-ナリストはもしも彼が大統領になるような事になればアメリカは没落すると断言までしています。

それは、トランプ氏は「経営者」の考え方しか持っておらず、アメリカの未来を左右する重要なことに気付いていないということからです。トランプ氏は各候補の中で唯一、ロシアのプ-チン大統領と協力していくという方針を示しています。

その結果、ロシアメディアではトランプ支持一色となっているのです。また我が国に対しても、聞き捨てない発言が少なくありません。1つには日本が駐留経費の負担を大幅に増額しなければ、在日米軍を撤退させるということです。

知ってか知らずか、それでなくても日本は安保条約に基づき、多額の保障金と思われるアメリカへの拠出を毎年行なっています。それでまだ足りないというのでしょうか。そして日本による核兵器の保有を容認するという考えも述べています。

これらの考えがどこから出てくるのかということですが、経営者の立場から物を眺めているからだと指摘しています。つまりアメリカとNATO、アメリカと日本、アメリカと韓国の関係などは、「目に見える利益を生んでいない」「アメリカが損をしている」という考えです。

だから、「アメリカ会社の経営を建てなおすために、相手の負担増を要求し、拒否すれば『リストラ』しよう!」ということになるのです。こうした考えと全く同じだったのが、ソ連のかつての大統領・ゴルバチョフだと言っています。

ゴルバチョフは「わが国は、東欧をはじめ、アジア、アフリカ、中南米の共産陣営まで支援している。わが国の負担は大きすぎ、こんな状態をいつまでも続けることはできない」と考えていたのです。

その結果、1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されたのに終わらず、91年末に自国のソ連まで崩壊することになったのです。同様にアメリカが自国の負担を減らし、他国への軍事的関与を弱めたらどうなるでしょう。

こうなればアメリカの支配力が弱まり、金も出さない、軍事力も出さない国の言うことを誰が聞くのかということで、もしトランプ氏が大統領になり、有言実行したら世界に大変動が起こると指摘しているのです。

とにかく大統領になったら危険人物極まりない人だと誰しも思っているものですが、一方のクリントンさんもいまいち人気が上がりません。いったいアメリカはどうなっていくことでしょうか。日本にとっても対岸の火事と見過ごすことができない大統領選です。

明日18日は一日会社を離れるため、カキコミは休ませていただきます。

2016.05.16

長寿番組 No.2835

 長寿番組といったらやはり笑点でしょう。日曜日の夕方5時半からの30分番組です。以前はたしか40分だったと思われますが、50年間続いているというから驚きです。昨日の日曜日で丸50年経ったそうですが、来週の22日は50周年記念番組として生放送されるそうです。

またこの日を最後に司会の歌丸さんが勇退し、若手に引き継ぐということですが、果たして誰が後任になるかはまだ知らされていません。でも本当に息の長い番組ですね。一口に50年と言っても、これだけ長く続くのにはやはりそれなりの理由があるものでしょう。

1つにはお笑いという要素がいいのでしょうね。頭を空っぽにして笑うというのが健康的ですし、ストレス発散になるわけです。また難しく物を考えるのではなく、笑い飛ばして時が過ぎるのもテレビの持つ1つの効果かもしれません。

そういった意味では安易な番組が昨今多い中、短い時間でもサビのきいたト-クが続く笑点は人々に飽きが来ない番組とも言えるのではないでしょうか。

それから長寿の秘訣はメンバ-の仲の良さではないでしょうか。5代目司会者の歌丸さんがやせ細っていて、よく病気で休むことがあることから、圓楽さんは歌丸さんの死にネタをよく口にして座布団をとられています。

ですがこの二人、テレビでのやりとりは番組上での演出でとても仲が良く、落語もよく一緒に二人会を開くほどの間柄とのことです。圓楽さんがまだ新人時代、ネタで悩んでいたとき、歌丸さんがネタは俺のことでいいからと言ったのがその起源と言われています。

また木久扇さんはよく馬鹿を装っていますが、歌丸さんは「馬鹿を装っているのが一番楽。(木久扇は)頭が良い」とインタビューで語っているほどです。ですが意外なのはこの木久扇さん、結構楽屋での人間関係は孤立気味であり、会話はもちろん視線を合わすことも避けられているみたいです。

でも決して嫌われているのではなく、不意にメンバ-に儲け話を持ち込むからだと言われています。このようにメンバ-がそれぞれ個性的で、その特徴を十二分に打ち出しているから番組の面白さを増しているのでしょう。

とにかく歌丸さんから誰かに司会を引き継いだ後でも、今まで同様、いつまでも面白おかしい番組で続くことを願っています。やはりウイットな言葉のやりとりには程よい知性や、落語の持つ少なくない魅力を感ずるものです。

2016.05.13

東京都知事 No.2834

 自分のところの知事でないからと言って、ちょっと見過ごせないような話です。東京都知事の舛添要一さんの無駄遣いというか公私混同について最近騒がれています。伝えるところによると、毎週末にはほとんど湯河原にある別荘に通っているそうです。

このことに元妻の片山さつきさんでさえ、危機意識の大きな欠如として「都知事は1300万都民の命を預かっている。私が知事なら、こんなことは絶対にしません」と言い放っています。確かに熊本地震で大きな被害が起こっている今日、首都直下で起こるかもしれない激震に対し、週末はその東京にほとんどいないというのも考えものです。

またそれだけでなく、その湯河原に通うのも公用車を使用しているのです。それに対しても前知事の猪瀬直樹さんも「それはおかしい。東京にある自宅に公用車で戻って、それから自分の車で行くのが当たり前」と述べています。

前記の問題でも片山さつきさんが「湯河原滞在中に首都直下地震が発生したら、どうするのでしょうか。多数の犠牲者が出て、帰宅難民があふれ、交通機関はストップする。都内は大混乱し、治安が乱れる危険もある。

そんなとき、強いリーダーシップで都民の安全を守るのが知事の職務であり、責任です。やむを得ない公務があるならともかく、知事がほぼ毎週末、東京を(約100キロも)離れているなんて理解できない。万全の態勢が取れるとは思えません

と述べているとおりです。また豪華海外出張に対しても厳しい指摘をされています。先月の12日、ワシントンンとニュ-ヨ-クに向け出発していますが、今回も飛行機はファ-ストクラスを利用していたとのことです。

ということは以前にも同様なことをしていたというわけで、昨年の10~11月にかけてはパリ・ロンドン出張には何と5000万円もかけていたというのです。最高級ホテルのスイ-トル-ムに泊まるなどしていたわけですが、果たしてそんな必要があるものでしょうか。また舛添氏の海外出張は就任2年2カ月で、何と9回目になると言います。

こんな度重なる話を聞けばきっと都民が黙っていないでことしょう。何しろ都民からの血税の無駄遣いとも言えることです。そして今朝のニュ-スでも正月に千葉のホテルに家族で出掛けたのも、会議費名目の公費扱いにしていたということです。

何ともこれではもう示しがつきません。庶民派代表などと就任当時は騒がれていましたがとんだお門違いです。もうこれでは辞めてもらうしかないですね。私など門外漢の口出すことではないかもしれませんが、こんなことを見過ごす都民でもないでしょう。

2016.05.11

後継者 No.2833

 カキコミができなかった先月1ケ月の間には、弊社にとっても少し変わったことが起きています。それというのも4月1日から末っ子の長男である愚息が入社してきたのです。これは私にとっても予期しなかったことでもあるわけですが、本人の起っての要望でそのようなことになりました。

彼は大学卒業後、地元の金融機関に就職し5年が経過したわけですが、昨年の暮れ、我が社にひょっこり立ち寄り話があるというのです。製作現場にいた私は「何だ?」と問いかけたのですが、二人きりで話したいとのことです。

そしてマンツ-マンで話を聞いたところ、この会社に入れて下さいと言われたのです。いきなりの話でいささか面喰ったこちらでしたが、すぐさま「そんなに慌てることなく、あと2~3年働きながらゆっくり考えたら」と答えました。

というのも、私はそもそも彼を会社の後継者に、現実問題として一度も考えたことがなかったからです。それとこちらは電気関係の製造業、一方彼は全く畑違いの金融機関でお互いの整合性を感じたことがありませんでした。

そして本人もそちらの分野で頑張っていたみたいで、大変ながらやりがいのようなものを傍で眺めていたこちらも感じていたからです。でも本人から次に返ってきた言葉は「この夏のある日、金融機関の上席にもその旨話をして、来年の3月いっぱいで辞めさせて下さいという申し入れたをしました」と言うのです。

それなら話はまた別だと思い直し、俄然、入社への方向を現実的として考えなければならなくなったのです。でも、折角の金融機関で頑張っていてもったいなというのが、そのときの正直な気持ちでした。

もう一つ零細企業を今まで守り続けてきた自分と同じような苦労は彼にはさせたくなく、安定した道にいればよいと思っていたからです。しかしながら本人の意思が固い以上、その気持ちを尊重してやらなければなりません。

こうして3月いっぱいで退職し、4月1日から我が社に入社してきたのです。いろいろと前記のように考えていたものの、やはり彼の入社は嬉しくないはずがありません。後継者にまだ決まったわけではないのですが、その可能性がいくらかでも見えてきたからです。

彼は現在は畑違いの現場での製作に奮闘しています。今までこのような経験はおそらく一度もないことでしょう。でもモノづくりは現場からということもあり、まず現場を知らなければ何もできません。そんなことから1~2年大変だと思われますが、じっくりと経験させるつもりです。

そして温かく見守りながら、少しずつ今までと違った分野で学ばせていきたいと思っています。ふと考えてみれば彼は今27歳、私が今の仕事を始めたのも同時期でした。不思議な縁があるものです。

明日12日は私用で会社を休ませていただきますのでカキコミはお休みさせて下さい。