会長の”三行日記”
2016年03月
2016.03.08
なでしこ五輪出場ならず No.2820
上の写真は先週、土曜日に訪れた富士の岩本山公園の梅林です。紅白の梅がものの見事に咲き誇っていました。この日は本当に暖かな日で、いよいよ春の足音が聞こえてきました。このまま春になってくれればいいのですが、やはりそうはいかないでしょうね。
さて、ほんのわずかな可能性しか残っていませんでしたが、昨日中国が韓国に勝ったことから、なでしこジャパンのリオ五輪出場が途絶えてしまいました。私たちにとってはとても残念な結果ですが、五輪でのメダル獲得どころか、その出場さえ逃してしまったのです。
勝てば官軍で何を言っても許されるものですが、こうして期待にそえず敗れ去ってしまうとマスコミはいろいろなことを書きたてるものです。伝えられている1つに、中心選手と若手との間に大きな溝が生まれていたということです。
澤選手から主将を引き継いでいる宮間選手は、本当だかどうかは計り知れませんが、時には佐々木監督の要求すら突き返すほど気が強く、自分にも他人にもスキを与えない厳しいところがあると言います。
それゆえ若手の中には萎縮する選手も出てきて、ほとんど声も掛けられないということです。また10番を引き継いだ攻撃の中心、大儀見選手は中国戦に敗れた後、「ピッチに立つ以前の問題」と泣き、怒りの矛先を仲間に向けていたと伝えられています。
このように聞くと、今さらながら昨年12月に引退した澤選手の存在の大きさに気づかされます。澤選手は厳しい宮間選手と若手選手の間を埋められる無二の存在で、潤滑油的役割を果たしていたと言われています。
また昨夏のカナダ大会では、ピッチ上の技量では宇津木選手の方が上で、澤選手は控え選手の一人だったものの、プレ-以上に精神的支柱としての、ベンチでのこうした役割は小さなものではなかったのではないでしょうか。
今回この宇津木選手をケガで欠いていたのも、守りの要であるだけに痛かったものと思われます。こうしてみると中心選手の役割や、世代交代の難しさを否が応でも感じさせられるものです。
「苦しいときは私の背中を見て」と言って、いつもチ-ムを引っ張り続けた澤選手の代わりはそんなに簡単にできないということでしょうか。佐々木監督が昨年末、澤選手の引退を告げられた時、「誤算。リオに連れていくつもりだった」と漏らしたのは、結構、本音の部分だったかもしれません。
とにかくこのような結果になってしまった以上、次期フランスでのW杯や東京五輪に向けて、いち早く立て直さなければなりません。言い換えれば五輪に出場できない分、早くその準備ができるとも言えるものです。
捲土重来、佐々木監督が抜けた次の監督のもと、生まれ変わったなでしこを是非見せてもらいたいものです。それにしてもいずれの世界においても、リ-ダ-の大切さをつくづく感じさせられるものです。
2016.03.07
キャディ-の役目 No.2819
先週から今シ-ズンの女子プロゴルフが始まりました。沖縄で開かれたダイキンオ-キッドレディ-スがその開幕戦でしたが、今年も外国勢にやられてしまうのかと思わせられる、テレサル-選手の昨年に続く優勝でした。
また昨年賞金王のイボミ選手は最終日に追い上げ、6位まで順位を上げています。最終日までリ-ドしていてもなかなか勝てない日本選手に、少しいらだたしさまで感じてしまうほどです。やはり優勝するためには、最終日にいかに良いゴルフをするかにかかっているみたいです。
さてこのイ・ボミ選手についているキャディ-の清水さんについて、書かれていた記事を読ませてもらいました。ご存知の通り、清水重憲さんは彼女のキャディ-として昨年、男女最高額となる2億3千万円を超える賞金を獲得した陰の力として知られています。
そのイ・ボミ選手からも「清水さんじゃなかったらこんな成績は出せなかった。日本一のキャディ-」との絶賛の声も挙がっているくらいです。清水さんは元々近大付高で野球部の外野手だったそうです。そして父の勧めもあり、大学ではゴルフ部に入りました。
近大ゴルフ部は強豪として知られていることから初心者は彼だけだったのですが、野球で鍛えた体力で練習に励んだ結果、4年ではメンバ-に選ばれるまでに上達したとのことです。そして1級上の先輩の要請もあり、卒業と同時にプロキャディ-の道に進みました。
キャディ-の報酬は1大会10万~15万円、予選通過すれば選手の順位に応じ、賞金の3~10%を得るのが相場だと言われています。そして2年目に田中秀道プロの専属となり、優勝を味わいながらそのイロハを学んだとのことです。
またその後、賞金王となった谷口徹プロや上田桃子選手のバッグを担ぎながら腕を磨いていったそうです。こうした経験がイ・ボミ選手にも生かされていて、組み始めた頃アプロ-チに問題のあった彼女に、男子選手は目いっぱい短くグリップしていたよなどという助言で、見る見るうちに改善していったと言います。
そのくらい彼女は吸収力に優れていて、いいものは直ぐに採り入れ合わないものは捨てるという選手で、選手の成長を実感できる醍醐味が魅力だと話します。また選手にストレスを感じさせないのが信条で、試合の3日前に会場を下見することもしばしばあるそうです。
そしてゴルフはトラブルの連続。せめてスタ-トまでは何事も起こさせないと言って、準備万端を欠かしません。従って今ではイ・ボミ選手自身がコ-スマネジメントは私の感覚より信頼していると言うほどです。
こうした清水さんはキャディ-の力で出る差は大会4日間で1~2打差ぐらいと謙遜していますが、決してそれだけのものではないでしょう。ピンチに陥ったりしたとき、自分を取り戻さなければいけないようなケ-スを考えたら、この役割は大きいものではないでしょうか。
その役割は単なるアシスタントではなく、戦国の世の懐刀(ふところがたな)と呼ばれた参謀というか、重鎮に似たものがあるように思えます。この清水さんのいる限り、日本人としてはちょっと残念ですが、今年もやはりイ・ボミ選手は強いでしょうね。
2016.03.04
お雛祭り No.2818
昨日は3月3日の雛祭りでした。お客様と一日出掛けていたため、カキコミができませんでしたが、家に戻ったらご覧のようなお雛様が輝いていましたので記念に写真を撮っておきました。
贈ったとはいえ、今ではこうしたお雛様を普通の若い夫婦の家では飾る場所がないようです。従って夫婦二人だけの我が家のような、そんなに大きな家でなくても空いている部屋がなくてはこうして飾れないのです。
これを飾ったばっかりに、寝るのにも困ったら元もこうもないからです。でも予めそんなことも考えていたから、長女のときには7段飾りのようなものではなく(もっとも予算的にも無理でしたが)、場所もくわない市松人形にしたのですが、それすら飾れない始末です。
こうして今回、二人目、三人目の双子ゆえにどんなものにしようか、結構、考えさせられました。いずれは二人が大きくなったとき、分けられるものでなくてはいけないと思ったからです。
そんなとき、人形店の方が素敵な提案をしてくれたのです。木目込み人形というものを対で揃えたらどうかと言ってくれたのです。私はこの木目込み人形というものをあまり知らなかったのですが、大きさ的にもちょうど手頃で、しかも可愛らしいのです。
木目込み人形を調べたら以下のように書かれていました。桐塑または木で作られた人形に、衣服の皺や模様の形に本体に筋彫りを入れ、筋彫りに目打ちなどで布の端を押し込んで衣装を着ているように仕立てた人形ということです。
こうしてこの人形も我が家に飾るはめになったのですが、お陰でこのところ華のない我が家にも、きらびやかな雰囲気が戻ってきました。やはり女の子ならではのもので、可愛い彼女たちの存在に感謝するものです。
2016.03.02
寄席二人会 No.2817
先週末の27~28日は中小企業家同友会の県経営指針を創る会の卒業式でした。初日こそ一日中、会場である沼津のウェルサンピアに夜まで詰めましたが、翌日の日曜日は親戚の49日法要があるため休ませていただきました。
それにしてもいつものとおり、白熱した議論のやりとりには凄いものがあり、皆さんの経営に対しての真摯な取り組みに少なからぬ刺激を頂けるものです。さてその日曜日、法要が済んだ夕方、予めチケットを購入していた沼津寄席二人会という落語を聴きに家内と出掛けました。
人間国宝・桂米朝さんの息子である桂米團治さんと、笑点でお馴染みの林家たい平さんの二人会です。まず最初は二人による掛け合いのト-クショ-から始まり、次は前座の吉の丞さんによる『犬の目』という落語です。
古典落語の1つらしいのですが、両目を患った男が医者の元に駆けつけ、目玉をくり抜いて洗浄し、乾かしていたら犬に食われてしまったという噺(はなし)です。
そして仕方ないからその犬の目を代わりに元の目に戻すというものですが、今までよりずっとよく見えるようになったけど、1つだけ困ったことができたと言います。それは電柱を見ると小便がしたくなるという落ちがついていました。
往復6時間以上かけてこの沼津に来たが、演ずる時間がたった12分とぼやいていた吉の丞さんでしたが、短い時間でも結構楽しませてもらいました。そして昼の部では1時間20分ぐらいの大熱演をトリで務めたという桂米團治さんが、今度は先の出番での登場です。
本当だかどうだか分かりませんが、ご本人の真打ち口上で自分の名前を米團治ではなく、あの関西大御所4人衆の一人、春団治さんと間違ったところから展開する、面白おかしい失敗談から始まり、『稽古屋』というお囃子や踊りも交えた落語で楽しませてくれました。
これは音曲噺(おんぎょくばなし)という貴重な噺みたいですが、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら進めていく形式のものです。そのやり方は今では絶滅したというくらいの貴重なものらしく、米團治さんにその素養があるからだと思えました。
そして最後はたい平さんの登場です。ちょうど笑点をやっている時間帯だったことから、ここに来ている人たちはみんな笑点を観ていない人たちなんだと笑わせてから始まりました。演目は『抜け雀』といって、無一文の絵師であるお客が、夫婦だけでやっている旅籠に泊まるところから始まります。
宿賃の代わりについたてに雀の絵を書くわけですが、あくる朝、1羽5両だと言って、戻ってくるまでの抵当だとして絵師は出て行きます。出て行った部屋を覗くと不思議なことに、その5羽の雀がついたてから抜け出て部屋の中を飛び回り、終いには元の絵の中に帰ります。
このことが評判となり旅籠が繁盛していくわけですが、しまいには絵師の親が現われこのままでは雀が死んでしまうと言って、止まり木と籠を書き足します。そしてまた数日後、この絵師が戻ってきてその絵を眺めると、俺は親不孝をしたと言って屏風の前でひれ伏すのです。
衝立を見ろ、俺は我が親をかごかきにしたという落ちでしめていました。さすがですね。米團治さんといい、たい平さんといい、その話芸には堪能させられるものがありました。やはり日本が守らなければいけない古典芸能です。少しやみつきになりそうです。
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