会長の”三行日記”

2014年11月

2014.11.27

汚職 No.2652

 中国の汚職を記述した、こんな記事があります。まさに腐敗した権力構造そのものですが、習近平政権がどこまで本気で払拭する気があるのか問われることでもあるわけです。

中国政界の汚職事件に、「四知(しち)」の故事を思い浮かべた方もあろう。後漢の時代、楊震(ようしん)という人が、ある地方の太守に赴く途中、夜遅く一人の役人が訪ねてきた。

懐から金を出して、誰も知る者はありませんから、と手渡そうとした。賄賂である。はねつけた言葉が後世に残った。「誰も知らないことはあるまい。天知る。地知る。君も私も知っている」。すなわち四知。

楊震の爪の垢(あか)が残っていたらと、中国の国民は思っただろうか。こうした故事が光るのも、官位で私腹を肥やす者が古今東西に絶えないからだ。巨悪から小悪まで、中国共産党の歴史も腐敗と粛正のせめぎ合いだった。

摘発された周永康氏は、最高指導部に名を連ねた超大物である。周氏一族らから当局が没収した財産が、1兆5千億円に及ぶと聞けば驚く。白髪三千丈ばりの誇張ではない。

司法や警察を統(す)べ、石油業界を基盤としただけに、うまい汁の出どころには敏(さと)かったようだ。中央から地方まで、かの国では腐臭が充満し、民衆の不満は爆発寸前という。

習近平政権は、周氏という「巨大な穴」で危険なガスを抜く算段らしい。法治による正義というより、見せしめ、さらには権力闘争の色が濃い。共産党にはびこる腐敗は根深く、絶やそうと日にさらせば党自体が滅びかねない。

いわば、水虫の退治に足を壊死(えし)させる覚悟がいるほど深刻だ。習政権にその意思はあるまい。清廉(せいれん)の士の故事は苔(こけ)むして、いまや隣国の新聞に引用されるだけの存在であろうか。

これとは全然比較にならないでしょうが、静岡市役所でも職員が業者に事前に入札金額を漏らすという不祥事が起こりました。おいしい餌に釣られて仕出かしたことでしょうが、何とも浅はかなことです。これで一生を棒に振るなんてずいぶんつまらない話ですね。

中国の高官の方は周囲にそういったことが蔓延っているだけに、自分だけやらなければ損だということでしょうが、時の政権が本気で撲滅しようとしなければ、やがては国そのものが滅びるというものです。「李下に冠を正さず」疑いを受けやすいところにいれば心して掛かれということだと思います。

明日28日は出張のためカキコミを休みます。

2014.11.26

ちょっと良い話116 No.2651

 横綱・白鵬がとうとう大横綱・大鵬さんの優勝記録に並びました。その充実ぶりから時間の問題だと思っていましたが、あっけなく達成したものです。その白鵬関に関したちょっと良い話を紹介したいと思います。

白鵬はいま、横綱としての自身をこう表現する。「綱の責任を背負い続けることで、私自身が成長させてもらっていると思う」最大の転機が、自身の26度目の誕生日だった。八百長事件で春場所の中止が決まっていた、2011年3月11日。

それ以前から不祥事が続いた大相撲を嘆き、白鵬は投げやり気味にこう言った。「もう、引退するんじゃないか」。その数時間後、東日本大震災が起きた。

3カ月後、日本相撲協会は東北の被災地を巡回慰問した。「大地を鎮める」とされる、横綱の四股。「よいしょ」のかけ声。そのとき、土俵入りでせり上がる白鵬の目に、何十人もの被災者の姿が飛び込んだ。

家を、街を、親を、子を失った人たちが、避難所で無慈悲な労苦を背負わされている人たちが、自分を、拝んでいた。「生涯、忘れられない」と語る光景だった。

瞬間、自問したという。横綱とは、何か――。「横綱とは、日本の魂なのではないか。私は、日本の魂でなければならないのではないか」以来、「横綱として、いかに生きるか」を自らに問いかけ続けている。

常にその手本としているのが、「角界の父」と慕う大鵬だ。大鵬も白鵬を「私に似ている」と息子のようにかわいがった。生前こう語っていた。「白鵬なら私の優勝回数を超えられる」

昨年1月。初場所5日目の朝、体調を崩した大鵬を白鵬が自宅に見舞った。同じ高みである「優勝32度」への志を伝える白鵬に、大鵬はこう言った。「努力次第だよ。そのかわり、いい加減なことはするな」。それが遺言となった。2日後、大鵬が亡くなった。

あれから8度の優勝を重ねた白鵬は場所前、「32度目」への思いを問われ、こう語った。「大鵬親方との約束です」32度目の表彰式で、あの「魂」という言葉を口にした。「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたから、この結果があると思います」大鵬との約束を、いま果たした。

もうこの横綱はモンゴルとか日本といった国の違いなど超越しているように思えます。むしろ今までの横綱と比べても、よっぽど日本人らしいとも言えるのではないでしょうか。相撲はよく心・技・体が揃わなければと言われていますが、久しぶりにそれを備えた大横綱が誕生しました。益々その活躍を祈りたくなりました。

2014.11.25

喪中はがき No.2650

 年賀状は既に売り出されていて、もうそういった季節が近づいてきていることに気づきます。拙宅にも身内に不幸のあった方からの喪中はがきが日毎、届けられるようになりました。この喪中はがきについてのマナ-について、先日新聞で紹介されていました。

この喪中はがき、宗教行事ではなく慣習的なマナ-なので、特に明文化された決まりはないと言いますが、相手が年賀状の準備をする前に知らせたいことから、12月上旬までに出すのがマナ-だと言われています。

無料仏事相談のテレフォンセンタ-に寄せられる相談の中で、一番多いのが自分が喪中はがきを出す範囲に入るかどうかという問合せらしいです。その基本は下記の通りのようです。

①故人が1親等(親、子ども)なら喪中はがきを出す ②故人が2親等(祖父母、兄弟姉妹など)は自分と故人との間の親交の深さによって考える ③故人が3親等以下なら喪中にしない(但しこれも親交の深さによっては喪中とすることもある)

また年賀状を出す相手が会社の取引先などの場合は、相手側に気を遣わせることを避けるために通常の年賀状を出すことは構わないとのことです。

そして相手方の不幸を全く知らず、喪中はがきをもらって初めて気がつくことは少なくないことと思われます。親しい人ならやはりお別れがしたかったという気持ちがあるでしょうから、お悔やみに伺うか、香典に手紙を添えて現金書留で送るというのもよいそうです。

香典は49日前なら「御霊前」、それを過ぎたら「御仏前」となります。また香典の代わりに菓子、花を贈る方法もありますが、品物が他の人と重なっても困らないように、線香などにするのも一案だと言われています。

それから喪中はがきの中に、結婚や出産といった自分や家族の近況を書き添えてもよいかいう、相談が多いみたいですが、お祝い事を一緒に書くのは避けるべきと指摘しています。

そのときは寒中見舞いでお知らせした方がよいとされ、自分の近況などを年賀状で済ませる人が増えているみたいですが、出産や結婚などで近況が変わったときにはそのつど親しい人には知らせるのが一番だと言われています。

要はこの時期にまとめてではなく、筆まめに連絡をした方がよいとのことでしょう。でも身内に不幸などなく、喪中はがきの心配などない方が一番良いわけですね。この時期に纏わる話題でした。

2014.11.19

高倉健さん No.2649

 高倉健さんが亡くなられました。昭和の最後のスタ-とも呼ばれている健さんは独特の雰囲気を持った方でした。背中で演技ができる人はこの人を置いて他にいないのではないでしょうか。

各界からその偲ぶ声がたくさん届けられていますが、やはり健さんの人柄とも言えるものと思います。新聞にも書かれていた通り、東宝ニュ-フェイスの頃、俳優座に預けられたそうですが、自分では結構器用な方だと思っていたものの、バレエや日本舞踊など何をやっても不器用で仲間に笑われていたみたいです。

そんなことで何度も俳優を辞めようと思ってはみたものの、食える飯のタネがないことからこの道で辛抱していたわけです。そして東映の任侠シリ-ズでようやく当たって本格的な役者人生が始まりました。

それから任侠シリ-ズが少し下火になってきた頃、幸せの黄色いハンカチや八甲田山といった映画に出会ったことから、また違った健さんの魅力を引き出すことができてファン層が広がったわけです。

私もこの映画の他、鉄道員(ぽっぽや)など何本か観ましたが、いつも寡黙でストイックな健さんそのもののような役柄は味わいのあるものでした。駅という映画だったかどうか、記憶は定かではありませんが、相手役の倍賞千恵子さんが「夕べ私うるさくなかった?」と聞いたシ-ン、「まるでオホ-ツクまで聞こえるかと思った」とボソッと呟くセリフが忘れられないものです。

そんな健さんは「人生は切ない。切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」という言葉をインタビュ-で述べています。この年の3月11日に起きた東日本大震災での惨状から、もう一度自分自身を奮い立たせたみたいです。

演技に一層、切なさを抱えて生きる人の思いを込めたのです。その生涯で205本もの映画に出演したとのことですが、最後の作品となった「あなたへ」の映画ロケでは、震災のがれきの中、唇をかみしめて水を運ぶ少年の写真を台本に貼り付けて挑んだそうです。

毎朝音楽を聴きながらこれを見つめ、「宝物です。ぎゅっと気合が入る。被災地をずっと思っています」と語っています。心底優しい人なのでしょうね。享年83歳とのことですが、日本映画にこの人がいなくなると、とても寂しいものを感じます。心よりご冥福を祈ります。

明日20日より24日まで出張で会社を留守にいたします。しばらくの間、カキコミを休みますがどうぞご容赦下さい

2014.11.18

オフィス時計の寿命 No.2648

 先週末からすっかり冷え込んできました。もうズボンの下にタイツが欲しいくらいです。いよいよ冬将軍の到来ですね。さてこの寒さに合わせたわけではないでしょうが、やはり先週末より事務所の中にあるオフィス時計が止まってしまいました。

この時計はAC100Vの電源で動くタイマ-ですが、始業から休憩及び就業時の時間をメロディ-で知らせてくれています。バックアップの電池はつい先頃交換したばかりですので関係ないと思うのですが、何度か調整して時が進むようにしたものの、しばらくすると時計そのものが止まってしまうのです。

これでは素人の私たちにはもうお手上げです。考えてみると工場・事務所を新築したのが平成3年の3月、今から数えると23年以上の時が経っているのです。このときに建物にセットしてもらった製品ですから、そろそろ寿命がきたのではないでしょうか。

こういった電気製品を扱う我が社もその一員ですが、よく電気製品や部品の寿命は20年から25年と言われています。それだけに交換せよというお知らせではないかと思いました。

もちろん当時と同じ製品はないのですが、同じような週刊式のメロディ-ウィ-クがカタログを調べたら載っていました。これなら互換性がありそうなので、修理に出しても同等な金額が掛かると思い、新しいタイプを購入することにしました。

それにしても、時を自動的にメロディ-やチャイムで知らせてくれないと不便なものです。弊社は始まりの8時半に毎朝、朝礼を行っているだけに始まりを音で知らせてくれないと集合が掛けにくいわけです。

また10時からと3時からの10分間もその始まりと終わりに、やはり時を告げていて、これがないと社員が休憩時間も気がつかないような始末です。こうした長年の習慣というものはしっかり身についているだけに、なかなかこうした不測な事態に対応できないものです。

人間はこのように、自動的に機械や装置に自然と飼い慣らされているとも言えるわけです。近年、様々な機能を持つ製品が登場し、益々私たちの生活は豊かで便利になっているわけですが、一方ではこれがないと人間がままならなくなるということもあるわけです。こう考えるとあまりにも文化が進み過ぎるというのものも善し悪しですね。

2014.11.17

どうしたMLB No.2647

 沖縄知事選挙は辺野古基地移設に反対していた前那覇市長、翁長雄志氏が前知事を破って当選しました。またこれに伴う那覇市長選挙も反対派の方が当選したみたいです。さてこれにより辺野古移設問題はどうなるのでしょうか。

この結果を無視するかのように国民などそっちのけで、暮れの忙しいときに総選挙をやろうとしている現政権は、かまわず推し進めるようなことを言っていますが、少なくとも基地移設に影響があることは間違いありません。沖縄県民の総意を無にしてもらいたくないものです。

さて先日より久しぶりの日米野球が開催されていますが、いったいMLBはどうしたのでしょうか。昨日こそやっと1勝を挙げましたが、第3戦まで勝ち星なしで、特にこの試合などアメリカ側は日本の4人の投手に対し、無安打無得点という無様な結果に終わっているのです。

しかし決して遊び半分で来ているわけではないと思うのですが、少し首を傾げてしまう結果となってしまっています。これで第5戦までですから日本が24年ぶりと言われる勝ち越しを決めたわけです。

果たして日本の実力が上がったのか、また、まだまだあちらが十分その力を出し切れていないのか、計り知れないところですが、日本の良い投手の打者に対する攻め方が通用することは認められたのではないでしょうか。

それにしても第3戦の則本、西、牧田、西野と繋いだ投手リレ-は見事でした。この1戦は日本球界にとって忘れられない試合となったのではないでしょうか。特に楽天の若きエ-ス、則本投手は5回まで投げて6三振で、もちろん無安打です。

150キロを超える速球と、思い通りに制球された変化球を組み合わせたコンビネ-ションに、メジャ-の強打者たちが翻弄されていました。これからの投手生活に大いなる自信となったのではないでしょうか。

また第2戦は日本シリ-ズを制したソフトバンクの柳田選手が活躍しましたね。この試合4打点と一人で気を吐いていました。相手投手は岩隅、和田という、メジャ-で活躍する日本人投手だっただけに、とても強い印象を植えつけたものです。

私もあまり知らない選手だったのですが、足も速いし、長打力も持っていて、これからの注目される選手になることと思われます。とにかく若手中心の侍JAPANですが、今回のこの対戦を契機に大きく躍進することを願っています。

2014.11.14

香る化粧品 No.2646

 昨日から朝はめっきりと冷え込むようになりました。いよいよ秋過ぎて冬の到来ですね。心身ともにきりっと引き締めていきたいものです。

さて個性的な香りが特徴の化粧品が注目されているようです。私たち男性の立場では滅茶苦茶、香水くさい匂いにも辟易しますが、花や果物の香りなら心地よいものです。

そんな化粧品が開発されているようです。記事によると、花や果物の香りが心身に好影響をもたらすとの研究結果から開発された商品は、気分転換やストレス軽減につながるとの評判です。

まずポ-ラの研究では華やかな花々と濃厚な果実の香りを合わせたものを嗅ぐと、口角が上がって笑顔に近い表情になり、感情も前向きになると感じる人が多いと言います。

このため、この結果を基にさまざまな花や果実の香りを合成香料で再現し、クリ-ムや化粧水などを開発しました。この結果、子育てに追われる中でも肌の手入れを楽しめるようになったとの声を多く、発売後1か月間の売り上げは当初目標の3割近く上回ったそうです。

また資生堂では繊細なバラの香りを再現し、大人の女性の人気を集めているそうです。毎日の繰り返しで雑になりがちな肌のケアを改善しようと、洗顔用の石鹸や夜に使う美容液など、商品によって香りに変化をつけ気分が切り替わるようにしたのです。

この記事にも書いてありましたが、最近は香水や柔軟剤のにおいで周囲の人が不快感を抱いたり、体調を崩したりする「香害」が問題になっているそうです。でもこうした香りのあるものなら周囲の人も楽しめるというものです。

私の娘たちを見ていても、子育てに忙しく、とても自分自身の肌の手入れどころではないように思えますが、こうした香りを楽しみながら肌の手入れができたら、少しはリフレッシュできるのではないでしょうか。

私たち男性のためにも、女性は常に綺麗であってもらいたいものです。それがギスギスしないで、世の中平和になる要因でもあるわけです。でもこうした女性と違って、私たち男性はこんな肌の手入れなど、わずらわしいものが毎日なくて本当によかったというのが実感です。

2014.11.13

動物との共生 No.2645

 近頃、犬や猫の死骸を大量に捨てるという事件が起こっていますが、朝日新聞の天声人語に救われた命を生かしている、こんなコラムが載っていました。動物との共生といった話題です。

痛ましいできごとの中に、ふっと心にふれる話がある。8月に広島市で土石流が起き、74人が亡くなった。その現場へ救助犬として初出動した雑種の夢之丞(ゆめのすけ)は、かつて殺処分寸前の捨て犬だった。

4年前の11月、夢之丞は動物愛護センターにいた。処分される順番の日になった。だが数が多くて翌日にまわされ、救助犬候補を探しに訪れたNPOスタッフの目に留まる。紙一重の僥倖(ぎょうこう)で生き延びて訓練を受けた夢之丞は、泥まみれになりながら捜索にあたったそうだ。

「人助け」の言葉は知るまいが、無辜(むこ)の動物の話はじんわりくる。だが、ひとつの話の陰で、殺処分に消える犬と猫の命は多い。減ってはいるが、なお年に計約16万匹にのぼっている。

「伴侶」として暮らしを共にし、ペットロスに泣く人もいる。一方で捨てる人の身勝手には恥ずべきものがある。先日来、生きた犬や死骸がまとめて捨てられるできごとも各地で相次ぐ。ペットブームのもたらす受難である

青森県の三本木農業高校の愛玩(あいがん)動物研究室の取り組みを、ある本で知った。殺処分された犬と猫の焼却後の骨を砕き、土に混ぜ、鉢植えの花を育ててイベントなどで配っている。共感の輪を広げ、日本動物愛護協会の今年の日本動物大賞グランプリを受けた。

犬や猫たちのもっと生きたかったという思いを、花の生命に託すことで遂げさせたい。生徒たちは「命の花」と呼んでいる。生きた証しの骨は、機械ではなく、自らの手にれんがを握って砕くのだという。

文中、無辜(むこ)という言葉の意味が解らなかったので辞書で調べたのですが、罪がないことの意味を示すとのことです。本当に世の中ペットブ-ムみたいで、朝の散歩でも随分とワンちゃんを連れた方々を見掛けます。

でも相変わらず改善しないのがそのマナ-の悪さです。糞の始末をしないで放置されているのは日常茶飯事のことです。これでは果たして愛犬と呼べるものでしょうか。

また今は寒くなってきたから影響は少ないものですが、夏の炎天下の中、平気で犬を連れて散歩をしている人を見掛けます。これなどアスファルトやコンクリの熱をじかに犬の足が受けるだけに、人間は良いものの犬の方は大迷惑です。

このように、ペットとして家族同様に可愛がっているのならもう少し考えてもらいたいものです。私も愛犬と朝の散歩を続けて10年以上になります。もちろん健康そのものですが、もしその存在がなかったらと考えると、おそらくここまで続いていなかったでしょう。その存在にいつも感謝しているものです。

2014.11.12

素敵な町おこしその2 No.2644

衆議院の解散風が漂う昨今ですが、少しはこの町の姿勢を見習ったらどうでしょうか。前回ご紹介したように破綻寸前の町の財政を立て直すため、町長は自らの給与を50%カットし、その心意気にほだされた議員以下、町の職員も給与削減を申し出た島根県・海士町の取り組みの続きです。

立ち上げた第三セクタ-「ふるさと海士」は当初、絶対黒字にはならないと批判されていましたが、町長以下まさに背水の陣で挑んでいった結果、見事に黒字化に成功し2012年度には売上高2億円、595万円の黒字決算となったのです。

これが後で振り返ると、ものづくりの一大革命だったと言われていますが、山内町長は、「島の中だけで経済をまわしてもだめ。島の外からいかにお金を持ってくるか、それが大事です」と話しています。

また「それまでは予算ありきで、国から補助金が下りて終わり。自ら役場が企画しなかった。これからの行政は、特に我々のように小さいところは、営業もやらないと」と続けています。

そしてそれだけに踏みとどまらず、今度は「隠岐牛」ブランド化に挑戦したのです。この町を訪れるとのんびりと草をはむ隠岐牛に出会うのですが、隠岐特有の黒毛和種で急峻な崖地で放牧されながら、ミネラルを含んだ牧草を食べて育つため、足腰の強くおいしい肉質牛が育つと言います。

でもこれまで海士町では子牛のみが生産され、本土で肥育されて松阪牛や神戸牛となって市場に出ていたのです。しかし、公共事業が減ったことで売上が激減した建設業の経営者が、2004年に異業種だった畜産業へ進出し「隠岐潮風ファーム」を立ち上げて、島生まれ島育ちの隠岐牛のブランド化を目指したのです。

そして2年後には3頭を初出荷し、これがすべて高品位の格付けを得て、肉質は松阪牛並みの評価を受けたのです。現在、月間12頭を品質の厳しい東京食肉市場に絞って出荷していますが、今後は新しい牛舎を建設して、出荷頭数を倍の24頭に増やす計画とのことです。

この取り組みに町長も一役買っていて、昨年の10月に東京都中央卸売市場食肉市場で開かれた「東京食肉市場まつり2013」に出張し、自らこの隠岐牛をPRしながら、イベントでは職員がしろイカを始めとする島の特産品を声を上げて販売していたと言われています。

町長以下、職員全員でこの海士町を売り出しているのです。それは「東京のお客さんは舌が肥えているので、良いものは買ってくれます。東京で認められれば、ブランドになる。一見、短絡的な考え方ですが、間違いではなかったなと。また、東京の人たちに食べてもらえるというのが、漁師や農家の人たちの誇りにもなる」という考えからです。

それからこの町の挑戦はまだまだ続きます。「島留学」と言って、ビジネスだけでなく生き残りの戦略として、「島をまるごとブランド化」ということにも取り組んでいます。これはまた次回詳しく紹介したいと思いますが、とにかく行政が町民と一体となっていて、本当にうらやましい限りの話で、どこかの町では耳が痛くなるのではないでしょうか。

2014.11.11

壮絶な演技 No.2643

 壮絶な演技と言ったら、中国で行われたフィギュア中国杯での羽生選手でしょう。運悪くフリ-演技直前の練習で中国選手と激突し、その場に倒れ込んだから、その後の演技ができるかどうか心配されたほどです。

でも控室に一旦戻って氷上に現われたときには、頭に包帯を巻き顎に絆創膏を貼っての出で立ちで演技を続けたのです。演技の後で分かったことですが、顎に7針、右耳上に3針縫い、しかも右足首まで捻挫しているケガだったのです。

これでは満足な演技などできるわけではありません。2位には入ったものの、5度もジャンプで転倒するほどの無残な演技だったのです。でも高得点が出たのはそういう状況にもかかわらず、4回転ジャンプにしっかりと挑戦し続けたその姿勢にあったのではないでしょうか。

そうした壮絶とも言える彼の勇気と心意気に称賛の声が増す一方で、一部にはこれでは選手生命を縮めてしまうといった懸念する声が挙がっています。

彼のコ-チでさえ「今はヒ-ロ-になる必要はない」と言って競技中止を求めたということですが、本人がどうしても出ると言って応じなかったと言います。まさにプロ根性そのものです。

あの優しい顔の裏にそこまでの根性があるとはなかなか結びつかないのですが、私たちの知らないところで結構、その若さでは背負い切れない試練に耐えてきたみたいです。

東日本大震災もその1つですが、膝や足首の故障などに加え、ぜんそくという持病も持っているみたいです。それゆえ体力測定では肺活量がスポーツ選手の平均を下回っているほどで、同じ持病を持つスケ-トの清水宏保さんが人一倍の練習でそのハンディを克服したと聞き、ぜんそくを理由にしないと自分に誓ったそうです。

それにしても負傷後の演技中、転んでも転んでも起き上がり、必死に演技を続ける羽生選手の姿には多くの人が胸を打たれたのではないでしょうか。演技を観ていなかった私でも、ニュ-スを見ただけで胸が熱くなるほどでした。

また急遽の帰国後でも空港で出迎えた大勢のファンに対し、丁寧に頭を下げ続けるその姿にも好感を持ったほどです。日本男子フィギュア界に現われた、久しぶりの救世主とも言える存在ではないでしょうか。

それだけに大事をとってゆっくりと体を休め、しばらくは無理をしないことです。でも今回のこの1件でまた羽生ファンは増えたのではないでしょうか。若き20歳に称賛の拍手を送り、今後益々の躍進を願いたいものです。