会長の”三行日記”
2012.12.26
被災地からの年賀状 No.2335
大震災の被害を受けた東北各地には、2度目の年越しがやってきます。依然として復興が進まず、まだ本当にお気の毒な現況なのですが、一足早く被災地から寄せられた年賀状が紹介されていました。
■ママ、げんきだよ
岩手県釜石市鵜住居町の保育園児、川崎遥斗(はると)君(4)は天国のママに宛てた。 元気いっぱい遊び、帰ってくるとぐっすり眠る。楽しく遊ぶ様子をママに知らせたくて保育園でピクニックに行くときのバスの絵にした。
名前は自分で、「げんきだよ」の文字は祖母の弘子さん(55)に手を添えてもらって書いた。 昨年の大津波の4日後、遺体安置所で母真理子さん(当時25)と対面した。その夜、遥斗君は弘子さんに「ママ、治るかな?」と聞いた。今年の七夕の短冊には「ママ、会いに来てね」と書いた。
「飛行機で空に上がり、ママを連れて帰ってくる」。最近はこんなことを言うようになった。育てる弘子さん夫妻は真理子さんの死を何度か教えており、以前ほどママの話はしなくなったという。それでも会いたいのだ。その気持ちはママにきっと伝わっている。
■支援に感謝 新居決まりました
福島県相馬市の仮設住宅で暮らす阿部洋子さん(66)は、ボランティアで野菜などの支援物資を何度も運んでくれる長野県小諸市の男性に宛てた。「感謝の心を伝えたいから」
津波で家を流され、消防団副分団長の長男健一さん(当時39)を亡くした。いまでもふとした時に涙が出る。
仮設住宅暮らしは1年半を超えた。自宅跡から2キロほどの高台に出来る災害公営住宅に移ることがようやく決まった。地元に近い場所に住める。「希望の春」にその思いを込めた。
■10歳、会えない友達へ
小学5年生の紺野ななさん(10)は原発事故で福島県浪江町から避難し、同県二本松市で再開した浪江小に通う。ふるさとで同じクラスだった仲良しの女の子に書いた。
土日も放課後もいつも一緒に遊んでいたが、今はどこに避難しているのかわからず、宛先が書けない。「遊びに行く時はいつも手をつないでいたから、今度会った時も手をつなぎたい」。そんな思いを込めた。
■川内村 よみがえれ!
原発事故で住民の避難が続く福島県川内村の遠藤雄幸村長(57)は村再生への思いを込めた。今年1月の「帰村宣言」を経て3月に役場は元の場所に。ただ、戻った村民は半分にも満たない。
例年、年賀状にはその年の目標を書く。「強く思えば思うほど思いは通じる。だから、明るい未来しか想像しない」
■気仙沼から、宮崎のカツオ漁師へ
宮城県気仙沼市の芳賀清成さん(85)はカツオ一本釣り漁船が朝日を浴び気仙沼漁港を出て行く様子を水彩で描いた。長年付き合いがある宮崎県日南市の第21愛宕丸の元漁労長に宛てた。
入港すると、野菜や焼酎につけた渋柿を土産に持たす。逆にカツオの塩辛を大量にもらうことも。 津波で長女を亡くし、年賀状を出すのは2年ぶり。気仙沼を支えるのは今もカツオ。
だから「黒潮とともにお出(いで)下さい」と書いた。被災後しばらく酒を控えていたが、今年秋、愛宕丸の乗組員らと酌み交わした。酒も魚も漁師も本当に好きだ。
私たちが当たり前のように暮らしている裏には、不自由な仮設住宅や、愛する故郷を離れ、ただ遠くから想いながら、このように暮らさなければならない方々がまだまだ少なくありません。
早く元の暮らしに戻れるよう、祈るしかないものですが、少しでも幸せのお裾分けをみんなで届けてあげたいものです。来年はもっともっと良い年になれるように!