会長の”三行日記”
2012年09月
2012.09.12
パチンコとAKBの合体 No.2275
さて今日はあのAKBがパチンコにまで登場し、ヒットしているという話です。私たち年代ではAKBと言っても、どの顔が誰なのか、なかなか判らず、最近になってようやく前田敦子さんと大島優子さんの違いが判るくらいです。
そんな私たちとは違って、10代や20代のファンは相変わらず熱狂的な様子が伝えられています。先日、この前田さんの卒業公演があった日、専用劇場があるビルの1階のパチンコ店には300人ほどの人が並んだそうです。
劇場ではなくパチンコ店にです。お目当てはこの日から登場した新機種「ぱちんこAKB48」です。店長はファンの多い場所なので思い切って大改装したと言います。
この店にある178台のうち、138台導入した結果、初心者が連日来店するようになり、稼働率も5割アップしたとのことです。それというのも、この機種のためにAKBメンバ-16人によるチ-ムが結成され、前田さんもその一員として歌っているそうです。
つまりパチンコ台から流れるライブ映像の中で、新曲を歌いながら踊っていて、さらに新曲が順次この台から公開されるという仕組みです。またその画面も綺麗で歌もクリヤ-で聞きやすいから、パチンコという概念ではないみたいと言います。
まさにAKB人気にあやかろうと、パチンコをやらない人まで取り込もうという作戦です。うまいことを考えたものです。製造したのは京楽産業というところで、販売台数約20万台、近年まれにみる大ヒットだそうです。
こうしたこともAKBを陰で操るプロデュ-サ-の秋元康さんらしいところです。しかしながら1つだけ考えなければいけない問題があるそうです。それは新機種見たさに18歳未満である中高生らの来店が増えていることです。
もちろん入店を断わられているとのことですが、新たな波紋が広がらなければよいと思います。私はこのパチンコを止めてから、もう30年以上になるでしょうか。全自動になった時に止めたのですが、今では行ってもどうやって狙ってよいのか、判らないと思われます。
とにかくこのパチンコ業界に限らず、生き残るためには未経験者や新たな客層に向けた、新市場の開拓が必要になってきます。このパチンコとAKBの合体はそうした何かヒントになるものがあるものでしょうか。
明日13日は急遽、軽井沢にモノレ-ルの改修工事が発生しましたので、早朝より出張いたします。このためカキコミは休ませていただきますのでご了承下さい。
2012.09.11
藤本氏の勇気と決断 No.2274
8月の末、日朝政府間協議(予備協議)が3日間の会議を経て終了しました。実に4年ぶりに開かれたのですが、これも少なからず、元金正日総書記の料理人だった藤本健二氏の存在が影響したのではないでしょうか。
というのも、藤本氏は今年7月下旬から8月にかけて、金正恩・第1書記の招きで平壌を訪れていたのです。その様子が新聞にも詳しく書かれていましたので、少し紹介したいと思います。
藤本氏は正恩氏が幼かった頃の遊び相手です。1982年、月給50万円にひかれて、平壌のレストランの料理人となった藤本氏は、作ったすしを気にいられ、金正日氏の専属料理人となり、正恩氏や彼の母親である故高英姫夫人らと親しく過ごしました。
そうした生活は13年間にも及びましたが、軟禁状態に置かれていたようなこともあって、やがては恐怖を感じるようになり、2001年、日本に生鮮品を買い付けに行くと言って出国し、戻りませんでした。
その後は日本で、ベ-ルに閉ざされたこのファミリ-などの日常を著書などで示していたことは、私たちの知るところです。そして今年の6月になって、自宅近くで連絡役と接触し、家族ともうひとかたが会いたがっていることを伝えられました。
信じられず一度は断わった藤本氏でしたが、1ヵ月後「2001年の約束を果たそうではないか」との正恩氏のメッセ-ジを受け取り、これが紛れもなく同氏の言葉であることを理解しました。
日本に帰国する際、藤本氏は正恩氏と「必ず戻ってくる」という約束を交わしていたからです。こうして訪朝することになったのですが、「裏切り者の藤本、帰って参りました」と非礼を詫びる同氏に、正恩氏は「もういい、いい」と正恩氏は温かく迎えてくれたというのです。
政府の要人しか立ち入れない施設の宴会場で昼食をごちそうになり、11年ぶりの対面に涙を流しながら正恩氏と抱き合う写真まで載っていました。そして両国の架け橋になりたいと、携えたメッセ-ジが通訳の手により読まれたのです。
「敬愛する金正恩将軍、お願いです。横田めぐみさんたちを日本に帰国させてあげてください。そうすれば、日本との国交正常化や日本から多額の資金を引き出す道も必ず開けると思います」
これを聞きながら「うん、うん」とうなずきながら、最後まで聞いていたと言われます。このように北朝鮮の現状ではこれ以上、活路を見出すために切り出すカ-ドがないとも言えるのではないでしょうか。
大多数の国民は干ばつなどの被害により飢えに悩まされ、経済は逼迫状態です。従って間接的に藤本氏を通して、交渉を求めてきたのではないでしょうか。そう考えると拉致問題を解決できる最後のチャンスとも言えるわけです。
横田さんご夫妻もだいぶ歳をとられました。おそらく生きているうちに、こうしたチャンスはもう何回も訪れないことでしょう。それだけに何とか無事な姿だけでも見せてあげたいものです。そういった意味でも必死で北朝鮮に渡った藤本氏の勇気と決断を無駄にしたくないものです。
2012.09.10
ロンドン・パラリンピックから No.2273
パラリンピックが閉幕しました。回を重ねるごとに盛大に開催され、障がいを克服しその道に賭けているアスリ-ト達はさぞかし張り合いを感じているのではないでしょうか。
そんな中で土曜日、テレビで中継していた車椅子ラグビ-なる競技を観ました。初めて観たのですが、予想していたよりずっと迫力のあるゲ-ムでした。
それというのも、通常のラグビ-同様、人と人とぶつかる代わりに車椅子同士が、かなりのスピ-ドでぶつかり合うのです。ですから時にはそのはずみで、車椅子が人間ごと転倒してしまうことすらあるのです。
こうした場合はゲ-ムを一旦止めて、係員が起こしてから再開するのですが、その迫力たるやラグビ-そのものです。また時によっては、車椅子を押さえつけて動けなくするのも戦法の1つのようです。
この日は地元・イギリスとの試合でした。日本チ-ムのエ-スと呼ばれる池崎大輔選手の動きはさすがです。それに仲里、官野両選手とのコンビネ-ションが見事に決まり、次々と得点を挙げていくのです。
またファ-ルを犯すと、1分間のペナルティとしてゲ-ムに加わることができず、コ-トサイドで休んでいなければいけません。こうした相手方のファ-ルの時、日本チ-ムはただ得点を取りに行くのではなく、得点をリ-ドしているとき、その1分間を有効的に自軍の攻撃で使うのです。
さすが日本という、頭を使った攻撃だと感じました。当初、ご当地・沼津出身の若山英史くんがこのゲームに出るかなと期待していたのですが、残念ながらその願いは叶いませんでした。
彼は私の長女の同級生で、沼津と言っても全くの地元である、片浜の出身なのです。不運にも事故に遭い脊髄損傷で下半身麻痺となってしまったのですが、挫けず見事このオリンピック代表に選ばれたのです。
ですから地元ではこの同級生をはじめ、多くの人たちが期待を持って注目していたのです。でもこの球技歴5年とまだ浅く、年齢的にもこれからが自力のついていく時でもあると思われます。
それだけに今回のこの経験はかなり大きなものになるのではないでしょうか。とにかく、こうした全てに障がいを持つ人々がそのハンディにめげず、見事に克服して大きなことを成し遂げている、パラリンピックという世界中の祭典は、大きな夢と感動を与えてくれるものです。
益々、このロンドンのように一般のオリンピック同様、盛大に開催され、多くの人々が集うことを願っています。
2012.09.07
ちょっと良い話part97 No.2272
「いただきますを忘れずに」という、外国で日本人なのかと疑われたちょっと良い話です。
数年前、バンコクにある現地の大手チェ-ンのレストランで、タイ人の友人と食事をしていた時のことだ。日本人として恥ずかしい思いをした。
運ばれてきた料理を食べ始めた私に、友人があきれた顔で「君は本当に日本人なのか」と聞いてきたのだ。びっくりしている私に、彼はテ-ブルの上に敷かれたマットにタイ語で書かれていることを読んでくれた。
そこには日本人は食事の前に「いただきます」、食事の後には「ごちそうさまでした」とあいさつする習慣があると書かれていたのだ。
さらに「いただきます」には「私の命のために動植物の命をいただきます」、「ごちそうさまでした」には「大事な客をもてなすために、遠くまで走って食材を集めた人たちへの感謝を表わす意味がある」との説明がされていた。
日本の良い習慣をタイでも見習おうということで紹介されていたのだが、日本人である私がその習慣を忘れ、それを外国人に指摘されてしまったのだ。
これからは、日本の良い習慣である食事のあいさつを忘れないようにしたい。
主客転倒な話で、さぞかし恥ずかしい思いをしたのではないでしょうか。この指摘にあるとおり、私たちは食の有難さや作ってくれる人への感謝ということを見直す時でもあるのではないでしょうか。
何気なく食べているものでも、そこに至るまでは多くの人たちの手を経ています。そう考えると、巷でよく見掛けるような、汚い食べ残しなどできないはずです。食を粗末にする人は将来きっと食に泣かなければいけなくなるものです。
2012.09.06
母親の有難さ No.2271
我が家にやってきた新しい命の話です。先月22日に誕生した、この素敵な命は1週間ちょっとの入院後、母親と共に我が家に戻ってきました。
2874gとそんなに大きくない体ですから、手も足も触れるのが少し怖いくらいの大きさです。ですから抱き上げてもそんなに重くはありません。むしろ首がすわっていないことから、怖々ぎこちなく抱いているというのが実情です。
そんな昼間は妖精のような彼女が、夜になるとギャングのように豹変するのです。時によっては一晩中泣いていて母親を寝かせてくれません。おっぱいを飲んでいる時しか、泣き止まないのです。
お陰で母親は始終寝不足状態が続き、何も要らないからできることなら一日中眠ってみたいとまで、言い出す始末です。ですがこれは世の母親なら誰しも経験することではないでしょうか。
こうした経験をしてみて、初めて自分がこの世に出てきた母親の有難さを実感できるというものです。そうは言っても、だらしないのは父親の方です。泣いてもオロオロするだけで、夜中に泣いていても隣で高いびきです。
これは私自身の経験からも明らかです。これではよく自分の娘はよいもので、一生母親には尽くすと言われていますが、納得できるというものです。娘は自身の子どもを育ててみて母親の凄さに気づきますが、息子の方は体験していないだけに、子育ての大変さを知る由もありません。
そして感じたのが、よく言われている育児ノイロ-ゼです。もし実家のように頼れる所がなかったときや、周囲に協力してくれる人がいなかったときのケ-スです。
このようなケ-スでは夜寝かせてくれなかったり、いつも付き添っていなければいけないような状態では、ノイロ-ゼになるのも仕方がないのではないかと思うのです。
やはり体の大変さと併せ、精神的な支えは大きな要素となるものです。でもお陰さまで我が家はこの小さなギャングの登場で、いっぺんに前にも増して明るくなりました。
話題のほとんどは彼女に纏わることだし、家に帰ると必ず覗くのが彼女の様子です。やはり「子はかすがい」と言われるとおり、全てのモヤモヤを彼女一人の存在が解決してくれるというものです。感謝しなければいけません。
2012.09.05
伊豆一番のおふくろ食堂 No.2270
先日、久しぶりに伊豆松崎・蔵らに行ってまいりました。ひだまり亭をやっている家内が、ここを訪ねると元気をもらえるからです。またその少し前には、蔵らの代表の青森さんより結構な物を送っていただいたお礼も兼ねてです。
訪ねたのが土曜日のお昼ちょっと過ぎですから、蔵らはそんなに暇な時間帯ではありません。それにもかかわらず、いつも変わらない笑顔で、私たちを温かく迎えていただきました。
嬉しいものです。家内とはすっかり顔なじみになっているスタッフの森さんも、青森さん同様、にこやかな笑顔で大歓迎です。忙しい時間帯だろうと思って、食事は済ませて訪れたのですが、お腹は大丈夫と気遣ってくれながら、お手製のスイ-ツを出していただきました。
そしてこの蔵らに背中を押していただき、開店した家内のひだまり亭の様子などを話していたのですが、そのとき耳にしたのが蔵らを今、TBSテレビ系列で全国放送にまでとり上げてくれているということです。
既に放送のあった北海道からも、訪れてくれた人がいたそうです。また我が地域では9月2日の日曜日、朝5時45分から30分間、SBSにて放送されることを知りました。
こうして待ち構えていた当日、少し朝早い時間帯だったのですが、しっかりと番組を観ることができました。番組の中では蔵らを伊豆一番のおふくろ食堂と呼んでいました。
まさにその言葉がぴったりの素敵な場所です。平均年齢60歳はゆうに超えていると思えるスタッフは、いつも元気そのものです。番組の中で青森さんがこの店をやり始めた目的を述べていました。
第一に町興し、また二番目は高齢者の生きがいを見出せる働き場所の創出、そして三番目には高齢者の居場所を作ってやることです。その当初の目的どおりに展開のできていることはさすがです。
この松崎という町は37.5%という高い高齢化率を示します。また以前は看護婦の経験を持つ青森さんはナイチンゲ-ル誓詞をしっかりと身につけています。それだけに10年前にご主人を亡くし、現在は一人暮らしの彼女が、自分がやらなければという気持ちが人一倍強いのでしょう。
番組の中でも、小さい町だからお互いの助け合いの気持ちが強いところが、ふんだんに表れていました。誰かがやってくれるのではなく、自ら率先して元気な高齢者の町にしていこうとする取り組みには頭の下がる思いです。そんな蔵らの素晴らしい取り組みに、家内もまた一段とその気にさせられたのではないでしょうか。
2012.09.04
160kmの豪腕 No.2269
現在、韓国で行われている18歳以下の野球世界一決定戦には、この夏、甲子園を湧かせた精鋭たちが選抜されてこの大会に挑んでいます。優勝の大阪桐蔭からはエ-ス・藤浪投手、また準優勝の光星学院から強打の田村、北條選手などが名前を連ねています。
数えるところ25回目の開催となる今大会ですが、日本は6回目の出場で、過去には2004年ダルビッシュ、涌井投手らを擁しての準優勝が最高の成績です。ですから今年はレベルの高い選手が揃っていることから、悲願の初優勝をめざしているのです。
このメンバ-の中で4番を打っているのが、あの160kmで騒がれた花巻東の大谷投手です。この大会1回戦のカナダ戦は先発したものの3回1/3で3失点と、いまいちの出来でしたが、投げない時はその打力を買われて堂々の4番起用です。
並み居る甲子園組のつわものを押しのけての4番ですから大したものです。何しろ高校通算の本塁打が56本と言います。ですから一説には160kmを出した投手としてより、打者の方が大成するのではないかとも言われているくらいです。
それにしても岩手大会の準決勝で記録した、球速160kmというのは凄いものです。対する一関学院の打者はバットを動かすこともできず立ちすくんだと言います。素人でも打てる球速がだいたい110kmぐらいと言われていますから、とてもバットを振ることはできないでしょう。
この大谷投手、身長193cm、体重86kgの恵まれた体格ですが、両親とも父親が182cm、母親169cmと、長身であるお陰でしょう。父親はかつては社会人野球でならした選手だとも言います。
こうした恵まれた環境ですくすく育ったのでしょうが、闘志は内に秘めるタイプで、食が細いという悩みもあったみたいです。ある日、母親が寮の部屋を訪ねるとカビの生えた弁当を見つけたこともあり、高校入学後、体を大きくできずに苦労する息子の姿を何度も見たと言います。
それが今ではユニホ-ムがはちきれんばかりの尻や太ももになったのですから、人知れない努力の積み重ねがあったのでしょう。何よりそうした下半身強化の賜物ではないでしょうか。
とにかく、この先が楽しみの選手であります。既に大リ-グ・ドジャ-スあたりからも声が掛かっているようですが、大阪桐蔭の藤浪投手や亜細亜大の東浜投手などと同様に、今秋のドラフト会議の目玉となるのではないでしょうか。今後に大いに期待したいものです。
2012.09.03
犬との散歩の効果 No.2268
昨晩というか、明け方は少し寒いような気配を感じ、慌ててタオルケットを掛けました。ようやく秋の足音が聞こえるようになってきたのですね。夏バテはこの時期に一番多いと言われますから、お互い気をつけるように致しましょう。
さて、そんなわけで、朝の散歩も以前より少し凌ぎやすい陽気から、爽やかで快適になってきたものです。愛犬と毎朝、散歩をし続けていてもう8年以上の歳月が流れます。考えてみるとこのお陰で、私自身も健康でいられるようなものです。
そういった意味でも愛犬に感謝しなければいけないものですが、新聞にも注目される散歩の効果として、犬の散歩が健康増進の効果が高いのではないかと載っていました。
一人で歩くよりリラックスできるからと指摘していました。ある研究グル-プがお年寄り男女13人に3日間、犬を連れて30分の散歩をしてもらい、リラックスした状態を示す副交感神経の活性値などを測定したそうです。
その結果、一人で歩くより数値は倍近く上昇し、日を追うごとに増加したとのことです。従って犬の散歩は、リラックスもできる一石二鳥の運動なのです。
ではどのような散歩が効果的かということですが、犬の集中力は45分ほどと言われていますので、それ以内の時間で朝夕2回ほどがベストとのことです。
そしてダラダラ散歩より運動という意識を持つことが必要で、犬の意識が散漫にならないよう、おやつを効果的に使うのがよいとされています。
そして何よりも大事なのが、犬との関係を常に良好に保つことが前提で、食事や散歩前に犬と目を合わせ、座れなどの訓練を日常的に行うことが必要だと言われています。
この良好な関係があれば、犬との触れ合いにより飼い主の側に「オキシトシン」というホルモンが分泌されるみたいです。これは陣痛促進や母乳の分泌を促すもので、母子などの親しい関係の人が接する際に出るホルモンです。
これによって、ストレスの軽減や癒しなどに繋がっていけるわけです。でも人間と違って犬の寿命の平均は13年程度と言われています。従って遅かれ早かれ、愛犬を失う悲しみに向き合わなければなりません。
今から考えても、このことがとても辛く思えることなのですが、致し方ありません。お互い元気なうちに精一杯触れ合っておくしかありません。とにかく、愛犬との散歩のお陰で私自身もメタボの解消や、尿酸値の軽減など生活習慣病の改善にも繋がっています。大いに感謝したいものです。
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