会長の”三行日記”
2012年03月
2012.03.30
津波対策 No.2185
わが街・沼津の津波対策が大きく新聞に掲載されていました。と言ってもこれは行政指導のものではなく、地域住民が自分たちで真剣にこれからのことを考えた結論です。
沼津市の南に当たる、内浦重須地区の話です。この地区は湾に囲まれ、想定される東海地震がくると、一説には11m近い押し寄せてくると推定されている津波が、さらに湾だけにもっと増幅されるのではないかと言われているところです。
それだけに住民の不安は一層大きく募っているところですが、このたび住民の協議の結果、高台への集団移転をめざすことを決めたそうです。以下その掲載記事を紹介します。
自治会の総会で出席者の8割以上が賛成。今後、地区内でさらに意見集約を図り、正式に市に要望する。国土交通省によると、被災前の予防型高台移転が実現すれば、全国初のケースという。
同地区は伊豆半島の西側北部にあり、居住地域は内浦湾に面した海抜1.7~7.9メートルの海岸線に集中。山間部が近くまで迫る入り組んだ地形で、県の被害想定では東海地震発生時、県内最大の10.4メートルの津波が到達すると予想されている。
これまで住民らは防潮堤の建設を市に要望していたが、東日本大震災の津波被害を受け、高台移転への関心が高まったという。
18日に開かれた総会には同地区107世帯(約440人)中、委任状を提出した世帯も含め92世帯が出席。「次世代の子ども、老人が安心して住める地域をつくる必要がある」「安心して眠るには高台へ移るしかない」などと、移転を支持する意見が相次いだという。
賢明な選択ではないでしょうか。やはりあの東日本大震災の被害を目にすれば、子々孫々の代まで何らかの手を打たなければ安心してその地に住めないというものです。
また永年生まれついた愛着ある土地を離れるということは、東北・被災地でもそうですが、辛く忍びがたいものです。それゆえ地域住民が一緒になってすぐ近くの高台に集団移転すれば、そうした問題も軽減できるように思えます。
あとは行政がこれをどのように前向きに取り組んでくれるかです。依然として沼津市でも西側にある我が地域は、津波襲来の際の避難場所が明記されていません。それだけに早急にこうした対策に取り組んで欲しいものです。駅高架などの問題より、こちらの方がずっと差し迫る課題だと思うのですが...
2012.03.29
進化し続ける人 No.2184
メジャ-リ-グが開幕しました。しかもこの日本で行われたのです。イチロ-選手がいるマリナ-ズと、昨年まで松井選手が所属していたアスレチックスとの試合です。
開幕戦初めての日本でのゲ-ムということもあり、イチロ-選手は気合が入っていましたね。第一打席、今シ-ズンから座っている3番の打順が紹介されると、満員のスタンドからは大歓声が上がり、無数のフラッシュがたかれていました。
これでは選手冥利に尽きるというものです。その期待に応え、この日は得意の内野安打2本を含む、4安打の大活躍です。しかも最後のヒットは延長戦での勝ち越した後、駄目押しともいえるタイムリ-でした。
やはりこの人の持っているものは違います。聞くと毎年、そのバッティングフォ-ムを変えているとのことです。あれだけの大選手になっても、まだいろいろと試行錯誤を繰り返しているのです。
今シ-ズンはノ-ステップに近いフォ-ムで、昨年までの振り子打法を変えているみたいです。テ-クバックからバットの出る角度が良くなっているようで、その年齢に即した一番無理のない方法を選んでいるのでしょう。
こういったところが、この選手の凄いところです。普通、あれだけの実績を残している人なら、今までの方法を無理に変えたり、いじったりしないものです。でも逆に、これだから進化をし続けることができるとも言えるのでしょう。
しかしこのイチロ-選手でさえ、オ-プニングゲ-ムとなったこの試合の序盤では、恐ろしいほどの緊張感に包まれたと言います。やはり最初で最後とも言える日本での開幕戦と、開幕戦本来の持つ異様なまでの雰囲気からでしょう。
このゲ-ム、4安打を放った以上に、専門家が褒めちぎっていたことが別にあります、延長11回、駄目押しのタイムリ-を放った打席、3球目の甘いストライクを見逃し、1塁走者の2塁への盗塁を助けたことです。
テレビで観ていた人ならお解かりでしょうが、初回、イチロ-選手がヒットで出た後、2回も盗塁を試みたのですが、4番打者の何も考えていないようなスイングで潰されてしまいました。
この辺がただの選手とイチロ-選手との違いなのです。見逃してしっかりと2塁へ進めたランナ-を、自分のバットでホ-ムまで還しているのです。さすがですね。
とにかく一番好い打者が座るといわれている3番という定位置に、今年から座るわけですが、今までとはまた違ったイチロ-選手の魅力が引き出されるのではないでしょうか。ダルビッシュ投手と併せ、今年のメジャ-は楽しみです。
2012.03.28
AIJの社長 No.2183
AIJ投資顧問の浅川社長には腹が立ちますね。衆院の財務金融委員会に呼ばれても、テレビで見る限りでは心から謝るといった様子が全く感じられません。
そもそも顧客から預かった多額の年金資金を消失させてしまった責任を、どのように捉えているのでしょうか。委員会では「最初からだます気はまったくなかった」などと、釈明するほうに終始し、いまいち正式な謝罪が伝わってきませんでした。
それからその報酬額を聞いてびっくりしました。月額で何と600万円、年収は7000万円前後だと言われています。またAIJとして、過去9年間に顧客から合計で約27億円の報酬を得ているとのことです。
とにかく矛盾点がいっぱいあります。伝えられている問題はまず 「リーマン・ショックではプラスが出ていた」という発言です。リーマン・ショックのあった08年度の損失は37億円、09年度には501億円に膨らみ、02年度から9年間で黒字は一度もなく、損失額は計1092億円にも上っていることです。
またAIJ側の報酬のうち、27億円を関連のアイティーエム証券(ITM)に手数料として支払ったと証言していますが、両者の言い分が食い違っていることです。これでは年収7000万円前後ということが、更に上回る可能性もある点です。
それから損失が発生していたにもかかわらず、自らが水増しした、偽の運用利回りの数字などを入れ、顧客向けの運用報告書を改ざんしているのに、「詐欺というつもりはまったくなかった」と強調しています。
これがお客をだますということでなければ、何がだますことに当たるのでしょうか。とにかく運用に大きく失敗して次は何とかといって、大きなばくちのようなことに賭けて、成功した例は1つもありません。
これではギャンブル好きの、どこかの製紙会社の御曹司と何も変わらないではないでしょうか。一説にはマ-ジャンなど負けが込むと、朝までやっても取り返そうとしていたと言います。
会社が積み立てている年金資金は、こんな簡単なことに左右されるものではなく、極めて貴重なものです。ですからこの社長は自らの報酬をもってしてでも、今回の事態に対処すべきです。
まじめにコツコツと働いている一般からは、大きくかけ離れている報酬を得ているのですから、弁済の一部に当てるのは可能でしょう。でも何とか、かんとか、言い逃れてその責任はきっと取らないのでしょうね。全く腹の立つ話です。
2012.03.27
施して報いを求めず No.2182
「施して報いを求めず 受けて恩を忘れず」という言葉があります。仏教で布施というのは、目上の者が目下に施してやるというふうには使っておらず、その逆で、布施することによって、物欲とか財物への執着の心を捨てさせて戴くと解釈しているみたいです。
まさにこれが大乗仏教の大切な考え方で、布施することによって仏道の実践ができると言われています。こんな話が紹介されていました。
博多に仙厓さん(1751~1837)というお坊さんがおりました。寺に帰ろうとすると、一天にわかにかきくもって夕立が来そうになりました。
急ぎ足になって足に力が入ったとたん、プツンと下駄の鼻緒がきれてしまいました。門前の豆腐屋のおかみさんが見つけて、頭にかぶっていた手拭いを裂いて鼻緒をすげてくれました。
仙厓さんは丁寧におじぎをして駆け去りました。「あの和尚、偉いという評判だが、例も言わないとんでもない坊さんだ」と、ぼやきました。
世の中には、これを告げ口する親切な人がいて、仙厓さんの耳に入りました。すると仙厓さんは「なんだ、豆腐屋のおかみさんは、礼を言って欲しかったのか。わしは、一生忘れんつもりだったのに」と言ったそうです。
おかみさんは仙厓さんを見た時、無心でとんでいったのに、時間の経過と共に「親切をしてやったぞ」という功徳意識が沸いてきたのでしょう。
さりげなく他人に施す、結構、これが難しいことではないでしょうか。どうしても相手にその見返りを求めたくなるものです。ですから誰がしてくれたのか、気づかないように振舞える人って、やはり凄い人なのでしょうね。
とかく自分の責務もしっかり果たさない人に限って、ちっぽけなことをやったに過ぎなくても、自己アピ-ルをしがちです。なかなか真似のできない生き方ですが、さりげなく徳を積み重ねている人は素敵です。
2012.03.26
ちょっと良い話part89 No.2181
またまた石巻工に関係する新聞記事に、ちょっと胸が熱くなりました。残念ながら試合は鹿児島の神村学園に、善戦したのですが敗れてしまいました。でも終わった後にこんな、ちょっと良い話があったのです。
心を打たれた光景だった。22日にあった第2日の第3試合。試合後の整列で、神村学園(鹿児島)の選手が帽子とグラブを地面において石巻工(宮城)の選手に歩み寄り、両手で握手をした。
「選手が、片手でなく両手で握手したいと。我々は不自由なく野球できる。震災で苦労しながら、ここまで来た相手への敬意です」。山本監督が説明した。
やりにくさはあったと思う。球場の雰囲気は「頑張れ、石巻工」。報道陣の質問も、被災地のチ-ムと対戦することについてばかり。弥栄(みえ)主将が「なぜ自分たちのことを聞いてもらえないのか」と漏らしたこともあったという。
それでも、相手を敬うことは忘れなかった。石巻工の阿部翔人(しょうと)主将は「神村学園の主将からありがとうと声をかけられ、本当にうれしかった」。
開会式で阿部主将の宣誓を胸に刻んだ神村の選手たち。野球を通じて、心の輪が広がっていく。
何とも爽やかで良い話ではないでしょうか。石巻工も序盤、4点差をひっくり返し、絶対あきらめないという言葉どおりの試合展開を見せてくれました。
やりにくかったのはこの神村学園です。何しろこれでスタンドも大いに盛り上がり、ほんどのお客が石巻工側についていたからです。
でもさすがは九州一と言われている神村学園です。4-5と逆転された直後に、相手のエラ-を絡めて9-5と再逆転したのです。でも試合中は相手を気遣い、ガッツポ-ズは控えていたと言います。
こうした心配りが本当に嬉しいものです。一方の石巻工にしても、21世紀枠での出場を果たしたのですが、一部では震災枠などと陰口をたたかれていたそうです。
だがそんな陰口も吹き飛ばすことのできる、強豪を向こうにまわしての、少しも恥ずかしくない試合だったのではないでしょうか。再度の挑戦を期待したいものです。
2012.03.23
早起きの効用 No.2180
配信されるメルマガに、朝方人間へのお勧めという記事が載っていました。とにかく生活を朝型に変えると良いことがいっぱいあるとのことです。
それによると、元来人間の身体というのは朝型にできているということで、猫のように2時間眠って3時間活動するようなパターンを繰り返す動物と違い、日没後暗くなってからまとめて睡眠をとるのが人間だと言われています。
従ってその生理として暗くなったら眠り、明るくなったら活動し始めるというはたらきが組み込まれていて、もっとも活動的な条件が体内に整うのは体温が一番高くなる午後2時頃だというのです。
ですから近頃のように、朝5時半にはもう明るくなっていますから、この時間には活動する準備はできているわけで、条件を効率的に生かすには、理想的には午前5時くらい、少なくとも午前6時には起床したほうがよく、仕事の能率もアップすると言われているのです。
しかしながら近代人はその傾向として、起きる時間が遅くなったのに睡眠時間が減っているというのです。それは自宅に仕事を持ち帰ったり、家事や家族のこと、またいろいろな趣味に時間を割かれ、就寝が遅くなって、翌朝はギリギリまで床の中に入っているのです。
この起床が遅れ睡眠時間が減ると、単なる時間のズレなどの問題だけでなく、睡眠の質の違いから正しいサイクルから外れ、疲労が蓄積したり脳機能の回復がはかられなかったりといったことに繋がるそうです。
そして、うつ病などの精神的な病理に発展する条件を生み出すことまで論証されているのです。うつ病はストレスの多い職業や長時間勤務の職場に起因することが多いのですが、この睡眠の質と量が大きく関わっていることが明らかにされているのです。
ですからライフスタイルを、「早起き」を基本とした生活に建て直していけば、自然の摂理にかなうわけで、自律神経失調症やうつ病の克服にも繋がっていくと言われているのです。
また早起きの効用は仕事の能率アップに限られず、体調面でも血圧調整を行なうカテコールアミンのような分泌物が適度に生まれるようになるなど、疲労回復や成人病予防にも大変有効だそうです。
でも「言うは易く行いは難し」で、早起きという、この当たり前の積み重ねがなかなかできません。ではどうしたら“朝型人間”になれるかということですが、目当てをもち、決意を繰り返すことだと言っています。
それには朝の散歩やダイエットの体操でもよいし、読書の時間を30分作ることでもいいから、そうした目当てをつくり、強い決意を持って繰り返すことだと言います。でも失敗してもいいそうで、何度でも失敗しながらやることが定着に繋がっていくのです。
このように考えてくると、私などは本当に愛犬のお陰です。彼がいなければ、冬の寒い朝に毎日、きっと早くから起きることもないでしょう。
本文にも書いてあったとおり、こうした早起きの習慣化は静かな気持ちで内省、仏教の言葉でいえば内観することに繋がり、精神の安定と向上には大きなプラスになるでしょうね。とにかく、朝早いのは気持ちにも余裕が出て、すこぶる爽やかな気分になるものです。
2012.03.22
見事な選手宣誓 No.2179
いや-、感動しました!昨日から始まった春の選抜高校野球大会の開会式のことです。ここで石巻工の主将が選手宣誓をやると聞いていましたので、こっそり、その時間だけテレビの中継を盗み見したのです。
宣誓者の阿部主将はやはりこうした事前では唇が乾くのでしょうか。さかんに何度も唇を舌で舐めながら、いかにも緊張している様子がテレビに映し出されていました。大丈夫かなと心配しながら見守っていたのは、決して私一人ではなかったものと思います。
そして高野連会長の励ましの言葉が終わり、いよいよ選手宣誓です。阿部君の宣誓は私たちの心配を全く振り払う、完璧で見事なものでした。以下、その全文を紹介いたします。
東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。
人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。
我々、高校球児ができること、それは、全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
平成24年3月21日
選手代表 宮城県石巻工業高等学校 野球部主将 阿部翔人
大きなハキハキとした声で、それはそれはしっかりと、多くの人たちにその想いが伝わったことと思われます。思わず聞いていて胸がいっぱいになるくらい、被災地・東北を代表しての言葉だったのではないでしょうか。
甲子園への出発前、阿部主将は父親から託された、「お前には『震災に負けない』という被災者の思いを全国に伝える義務がある」という言葉どおり、しっかりとその大役を果たすことができました。
さあ後は思う存分プレ-に専念してもらいたいものです。まさに東北人の持つ、粘り強く、絶対あきらめない、ここ一番での芯の強さを感じさせてもらいました。大きな修羅場を潜り抜けてきた人は、やはり強いものです。
その石巻工は今日、3試合目で鹿児島・神村学園と対戦します。悔いのないよう、持てる力を存分に出し切って欲しいものです。
2012.03.21
立場の違い No.2178
私たち日本人にとっては、とっても良い結果が出た昨日の大リ-グオ-プン戦でした。今をときめくダルビッシュ投手の3回目の登板となった対ブルワーズ戦の話です。
というのも、このダルビッシュ投手が4回投げ、打たれたヒットがたった1本、これがタイムリ-となり唯一の失点に繋がってしまったのですが、打たれた打者が今シ-ズンからブルワ-ズ入りした、ヤクルトにいた青木宣親選手だったのです。
ここまでなかなか結果の出なかった青木選手だったのですが、1打席目のこのタイムリ-に気を好くしてか、3打数3安打3打点1盗塁の大活躍でした。
映像でも少し写されていましたが、タイムリ-を打った回の終了時、引き上げるダルビッシュ投手が青木選手に「打たないでくださいよ」と話しかけたそうです。
これに青木選手は「僕の方が立場は危うい。生き残りに必死なんだよ」と答えたとおり、まさに執念の一打だったのでしょう。何しろ破格の契約金や年俸で大リ-グ入りしたダルビッシュ投手に比べ、不遇とも言える待遇なのです。
年俸はヤクルト時代の1/4に減った7700万円、しかも過日も触れたとおり、日本で何度も首位打者をとり、年間200安打を2回も達成した実績があるのに、テストでの入団だったのです。
ですから本人が言われたとおり、レギュラ-の保証が何もないから、このオープン戦で結果を残さなければ出場も危ぶまれているのです。
またこの試合までの打率は1割台で苦しんでいました。でも必ず打てる時が来ると信じ、早朝の打撃練習や、自宅に帰ってからも近くの公園で素振りを毎日欠かさず、メジャーに適応する打撃フォームを追求していたそうです。
こうした成果が少しずつ現われてきたのでしょう。元々仲の良い二人と聞きます。でも入札額40億円以上で鳴り物入りのダルビッシュ投手に比べ、その1/20にも満たない1億9500万円と、立場が大きく違っている青木選手にはそれなりの意地があることでしょう。
是非これをきっかけとしてレギュラ-を獲得し、青木ここにありというところを見せてもらいたいものです。とにかくダルビッシュ投手もそこそこの結果を出し、青木選手が浮上のチャンスとなった、この試合は私たち日本のファンにとっては最高の結果だったのではないでしょうか。
2012.03.19
蔵開き No.2177
昨日の日曜日は友人のお誘いで、富士宮にある富士錦酒造の蔵開きに行ってまいりました。初めて蔵開きなるものを見させてもらいましたが、一口に言って、そのイベントの凄さと参加者の多さに驚いたものです。
元々その語源は、年の初めに、吉日を選んでその年初めて蔵を開くことやその祝いとのことで、多くは正月11日に行い、鏡餅を雑煮などにして食べたと言われています。また江戸時代、大名が米蔵を開く儀式をしたのに始まっているそうです。
ですが、こちらはお酒が無事仕込み終わったことを祝って、開催するお祭りなのです。富士山を眼前に控える、柚野の里と呼ばれるこの地域に酒蔵を構えて300年になると言います。
そうした地元に根ざした造り酒屋が300年もの長い間、やってこれたのも守り、支えてくれたこの土地があるからと、この一年、改めて故郷とは何かという想いを強く感じた年でもあったと、そのホ-ムペ-ジで語っています。
ですから、こうした地域への感謝の気持ちが人一倍大きいのでしょう。朝9時にはオ-プンとなる、このイベントも開始前から多くの人たちが並んでいるとのことです。
私たちが着いたのは9時半前だったでしょうか。既に大吟醸やしぼりたて原酒など、この日に限り特別価格で購入できる売店への列は多くの人で賑わっていました。
そんな列の横をすり抜け、受付なるところに行き簡単な記入を済ませると、記念の盃(おちょこ)を1個頂けます。この盃を持っていけばお酒の試飲ができるのです。
大吟醸酒、純米酒、本醸造酒、ワインなどと銘打った、それぞれの試飲コ-ナ-には既に多くの人たちが並んでいます。私たちもよく分からないまま、その列の後につくと、近づくにつれ大吟醸の列だったことに気づきました。
あとは既に先乗りしてくれて、場所を確保してくれていた友人たちとの酒盛りです。これも近所の農家の方々の協力があるのでしょう。田んぼの中にブル-シ-トを敷き詰めて、それぞれのパ-ティ-が小宴会を開ける場所を提供してくれているのです。
またつまみとなる、いろいろな食材も手ごろな価格で多くの売店が出て、売られているのです。今年は16回目と聞きました。ですから毎年来ている人たちにとっては、絶好の集まりの場所を提供してくれているのでしょう。ガスコンロなども持参して、よろしくやっている人たちも少なくありませんでした。
生憎、午後からは雨がちらつくようなお天気でしたが、晴れたこの時期なら絶好の春爛漫を味わえるのではないでしょうか。とにかく一酒造会社だけではなく、地域全体の協力で盛り上げていることを強く感じました。
やはりHPに記されていたとおり、故郷にある酒蔵として、私達に何が出来るのだろうか?私達が300年の時を経てなお、この土地で生かされている理由は何だろう・・・という想いをしっかりと心に持ち、常に考えているからこそ、為し得ているものと思われます。
こうして無料の試飲のお酒を何回か飲み続けたためか、すこぶる良い気持ちになってその場をあとにすることができました。でも余分なことですが、タダほど高いものはやはりないものです。多くの参加者に限らず、帰りの私たちの手にも、しっかりと何本もの購入したお酒が添えられていたものです。
2012.03.16
同友会福島全国経営研究集会より No.2176
先週出掛けた福島全研での総括をしたいと思います。まず何よりも感じたのは、地震・津波・原発・風評被害という4重苦、いや故郷の喪失等もありますのでそれ以上の苦難を強いられているこの地域で、同友会が頑張っているということです。
原発の影響があり、まさに今尚被害に直面しているとも言えるわけですが、全体会でのパネルディスカッションでは「私たちは負けない」と題し、中小企業家同友会の会員が先頭に立って、雇用を守ろう、地域を再生しよう、との強い思いで行っている、復旧復興の取り組みを聴かせていただきました。
報告者のお一人は被災地・いわきで建設会社を営みながら、しいたけ栽培も手懸けている方ですが、震災直後、全く情報が途絶え、ライフラインも全て止まった関係で、社員の安否が確認できた後、直ちに3月いっぱいは会社の営業を停止させたとのことです。
幸いにも社員で亡くなった方はいなくても、家を流されたり壊された人は少なくありません。それにもかかわらず、震災翌日には全員が会社に出てきたというのです。ですからこの社員の方々の雇用を絶対守ろうと、社長が強く考えたに違いありません。
それから4月13日ぐらいまでは、全くお金を使わない生活を余儀なくされていたというのです。普通であることがどれほど大事か、また社員との繋がりや信頼を実感したと言います。
情報が途絶えていた時期、同友会が使っているパソコンのネットワ-クサ-ビス・E-doyuが活用でき、会員の安否や緊急を要する情報などを入手できたそうです。やはりこうした緊急時には情報が大切なのでしょう。
とにかく大企業にはない、こういった時だからこそ、地域密着の自分に何ができるのかを考えた、ネットワ-クを駆使した地道な活動を行っていったのが地元同友会なのです。
ですから他の団体にはない、いち早い復旧作業の支援活動は地元の方達にも大変喜ばれたそうです。まさに大会のスロ-ガンに掲げられた「震災一年 強い絆のもと われら断じて滅びず」の言葉どおり、熱い福島の仲間の不屈な闘志と、大きな感動を存分に感じさせていただいた研修会でした。
最後に佐藤福島県知事が挨拶で述べられたとおり、1600名近く集まった全国からの友が、それぞれの地に戻り、福島はとても元気で頑張っているという発信をしなければいけない責任を痛感したものです。
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