会長の”三行日記”
2012年03月
2012.03.15
ル-ル違反 No.2175
今朝の朝日新聞のトップに、巨人6選手に高額契約金という記事が載っていました。球界で取り決めた契約の最高標準額を超えた額を、過去に払っていたという内容です。
それによると、プロ野球は93年のドラフトから、選手が入団したい球団を選べる逆指名制度を採り入れました。これに伴い、球団間の争奪戦で契約金の高騰を懸念したため、新人選手の契約金の最高標準額を1億円(翌年からプラス出来高払い5000万円)ということで、全球団合意で申し合わせました。
この1億5000万円が94年から新人選手の契約最高額と決まっていたのですが、巨人は97年から2004年までの間入団した選手6人に、一人10億円を筆頭に合計27億円を超過する、36億円もの途方もない契約金を払っていたというのです。
その記事から推察する限り、明らかにル-ル違反です。でも一方の巨人側では、この取り決めた標準額はあくまでも標準であって上限ではないと言い張っています。
しかし、かつては横浜(現在のDeNA)や西武でも同様のケ-スがあり、罰則はないにしても厳重注意処分を受けています。またその支払いを複数年に掛けて行わないと、ル-ル違反が判明するから一括払いでない方がよいと薦めた文書まで、契約選手に渡されたことが判明しています。
これが事実だとすると、ル-ル違反を承知の上やっていたことにも繋がります。そして今回、6人の当該選手に対しても、球団から一切のコメントをしないようにとのかん口令をしいています。
仮にも球界の盟主といわれる巨人軍がこんなことでいいのでしょうか。また江川問題にはじまり、こうした自分のところさえ良ければいいという類のことは、今回に始まったことではなく、いろいろと少なくありません。
それでなくても一流選手をメジャ-に引き抜かれ、日本のプロ野球が全球団、力を合わせてやっていかなければいけない、ある意味では危機的な状況に置かれているときです。自分さえよければよいといった、こういった体質に本当に腹が立つものです。
それにしても朝日新聞のこのスク-プは、読売に対してのナベツネ問題等、何か怨念でもあるのでしょうか。そういったことまで勘ぐりたくなる、今朝の記事でした。
2012.03.14
ちょっと良い話part88 No.2174
こんなプロポ-ズもあるのですね。ちょっと良い話に入れさせてもらいます。
あれは私の誕生日の6月5日。主人と付き合って3度目のバースデーのこと。いつもより少しいいお店でディナーをし、私の年齢と同じ25本の色とりどりのバラの花束をプレゼントしてもらった。
胸いっぱいお腹いっぱいの帰り道、主人はおもむろに車をUターンさせると、側道に車を止め、大阪駅前の陸橋に向かい走り出した。
私が「も~、どうしたんよ」と話しかけても全く無視。とりあえず私も汗だくでついていった。そして陸橋の真ん中についたとき・・・。
「りえ、あれ見て!」と主人が指差す方向に目をやると、「大スキなりえ、君とこれからの人生一緒に歩きたい。だからりえ、結婚してくれ!!」と駅前のマルビルの電光掲示板に流れているではないか!
あっけにとられている私に、主人は「結婚しよう」とささやいた。私はコクンと頷いて号泣してしまった。あとで考えると、あの日は主人はやけに腕時計を見て時間を気にしており、「早く帰りたいのかな~」と私は少し不安になっていた。
21時ちょうどにメッセージが流れるよう予約していたため、予定通りに陸橋に着かなくてはと焦っていたようだ。走っているとき携帯電話をずっと耳にあてていたのも。時報を聞いていたからだったそうだ。
主人の熱烈なプロポーズの甲斐あって、私たちは昨年結婚した。将来子供ができたら、必ず私のこの貴重な体験を自慢すると思う。これからの人生、二人で仲良くやっていきたいです!!
「仲良きことは美しきかな」。こうやって結ばれることはとても喜ばしいことですが、できればいつまでも末永く添い遂げてもらいたいものです。一人のみならず、またまた姓が変わり、家を出て行きそうな娘の様子から、ちょっぴり寂しさを伴うものの、ただただ願うばかりです。
2012.03.13
会社にとって大切なもの No.2173
昨日は仕事の終わった後、社員と一緒に夕食に出掛けました。このところ、ずっと忙しい仕事を強いられていた彼らが、ようやく一段落したからです。
それともう一つ、過日の朝礼での社員からの一言で、少し気づかされたためです。その話はある休日、社員さん同士でドライブに出掛け、先輩社員が帰りにご馳走をしてくれたという内容です。
話をしてくれたのは中国からこちらに戻り、晴れて正社員となった後輩社員です。忙しい中を縫っての、たまの休日で、先輩のそうした気遣いがとても嬉しかったからでしょう。
良い話だなと思って聞いていたこちらも、聞いているうちにだんだん穏やかではなくなっていきました。それというのも、自分の胸に手を当ててみて、そうした機会を近頃全く作っていなかった自分に気がついたからです。
確かに仕事が終了してから、何かといろいろな所用で出掛けることが多いにしても、それは全て外向きで、一向に一番大事な足下を見つめていなかったのです。
今回の福島全国大会で、私の選んだ分科会は「成長を続けるためのグロ-バル戦略」と題した、大阪で攪拌機製造を営む方の報告をベ-スの研修でした。
父親が57年前に創業した会社に入社後、2年目で倒産、先代との葛藤を経て平成8年に社長を引き継ぎ、年商6億とほぼ同額の借金を抱えた債務超過の会社を、中国進出を契機に見事立て直します。
そして今では年商12億、社員57名による業界2位にまで押し上げているという、素晴らしい内容の会社です。そこには確かに中国での生産開始という、新たな活路を見出した戦略がありますが、決してそれだけではありません。
一言でお話しすると、社員に明日に繋がる夢を持った会社創りを実践していったのです。詳しくはまた別の機会に触れますが、社員からは一切お金を取らず、全て会社の費用で海外研修という形で、毎年広く日本以外の国を見せたのです。
そして行き先で必ず一部、貧困の地域を入れていったと言います。つまり自分たちの立ち位置を知ってもらうのがその目的です。まさに報告者が持つ、良いものを知らないで夢が拡がるわけがないというポリシ-を実践していったのです。
弊社はとてもこうした良い会社の比ではありませんが、会社にとって一番大切なものは何かを改めて知らされたものです。ですから小さなものから、まずコツコツと積み上げていかなければと思っています。
2012.03.12
あの日から1年 No.2172
木、金と2日間、全国大会参加のため、少しカキコミの間が空いてしまいました。大きな感動をいただいてきた、この内容については、また後日触れたいと思いますが、福島は想像した以上に、苦境の中、頑張っていることを知らされました。
昨日で未曾有の大震災から、ちょうど1年が過ぎ去りました。まだまだあの惨劇が昨日のことのように思い出されるほど、被災者の蒙った傷はとても癒えてはいません。
そんな中、東京の国立劇場はじめ、各地で犠牲になった方々のご冥福を祈り、追悼式典が行われました。政府主催の国立劇場での式典には、先日心臓の手術をしたばかりの天皇陛下も、ご本人の強い希望で皇后陛下を伴い参列されていました。
本当に優しい人なのでしょう。お二人で深々と頭を下げられた後、述べられたお言葉にも、慈愛と心からのお悔やみの気持ちが満ち溢れているように思えました。
また皇后陛下も、しっかりと正装された、和服での喪服に身を包まれての参列でした。お言葉は出掛けていた車のラジオで聴いたのですが、消防団員はじめ、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事し亡くなられた方々への配慮も忘れてはいませんでした。
これは震災直後から、何度も被災地にご自身の足で訪れているとおり、お二人の犠牲者への思いが強く滲み出ているからでしょう。
こうした天皇陛下のお言葉に比べたら、その前に主催者を代表して行った野田首相の挨拶が極めてありきたりのようで、被災者への労わりの思いがいまいち感じられなかったのは、決して私だけでもないでしょう。
この1周忌のことを仏門では「小祥忌」と呼ぶそうです。亡くなって1年経つ頃には、同じ季節が巡ってくるため、喪失感がひときわ強くなります。そんな時期に営む法要で、大きな区切りをつけ、それ以降は新たな一歩を前向きに踏み出そうとするのがこの儀式らしいのです。
でも政府が取ろうとしている復興政策には、特に原発周辺の町村に見られるように、全くこの先目指すべき方向やどう対処していくのかが不明です。これでは被災者の抱える不安はいつまで経っても一向に消え去ることがないのです。
ですからいち早く、被災者の方々の心に区切りをつけ、「小祥忌」の言葉同様、新たな再出発の一歩を踏み出せるものにしていかなければなりません。それには決して生まれ育った故郷を簡単に切り捨てるのではなく、新たな地域の仕組みや連帯を生み出していくものを早急に考え出すことが求められているものです。
2012.03.07
鈴木という姓(名字) No.2171
秋山とか前田といった名字の話です。ある所で読んだ雑誌にこの名字について、いろいろと書かれていました。
それによると、日本で一番多い名字の双璧は、何と言っても佐藤と鈴木であるそうです。次いで田中、山本、渡辺、高橋、小林、中村、伊藤、斉藤、加藤の順番で続くと言われていました。
この鈴木はなんと全人口の14%を占めているそうです。そして佐藤という姓は藤原から分かれたものとのことですが、鈴木の名字の由来について触れていました。以下、その説明文です。
鈴木は元々「すすき」と読み、秋の収穫が終わり稲穂を田んぼに積んでおく状態を指す言葉だった。農民は積まれた稲穂の中に1本の木を立て、神に祈りを捧げる。
その木を伝わって神が下り稲穂に魂を入れると信じていた。平安時代に盛んだった熊野信仰の教えである。そんなことから熊野大社の神官は、だれもが鈴木姓を名乗っていた。
中世に入ると、熊野大社は全国各地に山伏を派遣して、布教活動を繰り広げた。その結果、信仰心の厚い武士やその支配下にある農民は、続々と鈴木を名乗るようになった。
熊野大社の末社が網の目のように広がっている東海や関東にかけて、鈴木の名字が多いのはそのせいである。静岡県のある村では、全人口の四割まで鈴木という村もある。
確かにイチロ-選手の名前のように、鈴木一郎さんなどの名前は、いろいろな書式などの見本にもよく書かれているほど、多くの人が知るところです。
でもこうした鈴木という、名前のル-ツまで知っている人は数少ないのではないでしょうか。またある特定の地域に偏らず、全国的にその名前があちこち多いのも理解できるというものです。
熊野大社といえば、紀伊半島南部にあたるこの熊野の地と、伊勢や大阪・和歌山、高野及び吉野とを結ぶ街道の総称である熊野古道が思い出されます。
昨年9月の台風被害で、熊野古道中辺路・小広峠~船玉神社間など一部が通行止めとなり、大きな被害が出た関係で、友人と昨秋に計画していたツア-が今年へと延期になりました。
でも3月には迂回路なども整備され、復旧の見通しも立ったことから、7月ぐらいに仲間で訪れようと思っています。世界遺産ともなっているこの地ゆえ、鈴木姓の由来なども思い出しながら、是非満喫できたらと願っています。
明日8日~9日の2日間、被災地・福島(郡山)で開かれる、中小企業家同友会全国研究集会に参加致します。従ってカキコミは休ませて頂きます。この全国大会、当初1100名ぐらいの定員でしたが、それぞれの熱い思いからでしょうか、1500人もの会員が参加します。是非そのパワ-に与ってきたいと思っています。
2012.03.06
であい村・蔵ら その2 No.2170
”蔵ら”のお店の中をご覧いただきましょう。まず1階の靴を脱ぎ上がったすぐの部屋です。
そして2階には、このような素敵な展示が飾られています。まず奥側の部屋です。力強い作品なので、てっきり作者は男性だと思ったのですが、女性のア-ティストとのことです。ですから、さすがに色使いは綺麗なものです。
娘の子どもが生まれたら是非欲しくなるような作品もありました。それから手前の部屋にも、このように盛り沢山の作品が所狭しと並べられています。
また1階に下りると、このような可愛い作品がびっくりするような安い値段で置かれていました。本当に欲しくなりますね。
とにかく、ある人が言っていましたが、人が当てにされ当てにする、最後まで人間らしさを失わず、生きられる場を提供できることはとても素晴らしいことです。
家内も新事業立ち上げにつけ、大きな勇気を頂いたことと思われます。松崎までの距離が本当に短くなりました。
2012.03.05
であい村・蔵ら その1 No.2169
松崎にある”蔵ら”に行ってまいりました。伊豆・松崎・であい村”蔵ら”と呼ばれる、このお店は生まれ住む自分たちの地域を活性化しようと、ほとんどボランティアとも言えるスタッフが一昨年の10月にオ-プンされたものです。
私事で恐縮ですが、この4月からやはり地域のお年寄りのためにと、家内が地域友人の方々の力をお借りし、始める地元集会所でのコミュニティ事業開始に当たって、研修でいろいろと教えて頂いた先生はじめスタッフの方より、是非一度見ておいた方がよいと薦められたからです。
お店には先々週から2回ほど行かせていただきました。1週間も経たないうちにまた伺ったのは、家内がこのお店のことをうまく言い当てた「気取らない優しさ」があったからだと思います。
最初伺った時、”蔵ら”をまとめている代表者の青森千枝美さんにお会いしたのですが、不覚にもお会いするまでこのお店が、三島信用金庫の創立100周年事業で夢大賞を獲得したお店だと、少しも気づかないでいたのです。
お会いして挨拶を交わしているうちに、私の少し傷み始めている頭でも、どこかでお会いした人だなという記憶が戻ってきました。お会いしているのではなく、100周年記念事業でやはり会場に詰め掛けていた私たちの客席から、壇上で表彰されている青森さんをお見掛けしていたのです。
そうしたお店ですから、私がいろいろとお話しするまでもなく、素晴らしいお店とその取り組みには何も違いがなく、最近ではテレビなどメディアにも多く取り上げてもらえるほどです。
私と家内はこうした人気店と解っていた関係で、2回ともその訪問はわざと忙しいお昼時の時間を外し、お店が閉まる16時の1時間ぐらい前にお邪魔したのですが、どちらも本当に温かく迎えていただきました。
というわけで、評判のひる膳(500円)には与(あずか)ることはできませんでしたが、店内の手作り品や2階まで上がって、評判のア-ティストの作られた作品を眺めさせていただき、十分堪能することができました。
このいろいろある作品の説明をして下さったのは、青森さんの実の妹さんとの紹介があった深井さんという方です。お住まいは神奈川ということですが、元々そうしたショップの経験もあり、ノウハウが活かせることから、青森さんの取り組みにも共鳴し、強い味方になったのでしょう。
とにかく、全体で25人のスタッフがいるとのことですが、代表の青森さんはじめ、私たちがお会いした全ての方々の輝いている眼がとても印象的でした。この町おこしとも言える活動を通して、自分たちの貴重な生きがいを見出しているのでしょう。
そして青森さんが言われていた、「自分は今、年金をもらっているが、年金をもらっているからこそ、働かなければ申し訳ない」という言葉に強烈なインパクトを感じました。全ての人がこうあって欲しいものです。
お店の紹介文には、築150年の古い蔵というか民家が取り壊されようとしていたのを、青森さんたちスタッフが必死になって守り、新たにこのお店という形で蘇らせたそうです。
そうした建物はたとえ古いものかもしれませんが、そこに気楽に集い、まちをもっともっと元気にしたいという思いで頑張っている人たちの姿は、羨ましくなるほどの明るく新鮮なものでした。家内共々大きな元気をいただきました。何度でも行ってみたくなるお店です。
2012.03.02
首相の器その2 No.2168
民主党・野田首相と自民党・谷垣総裁が密談したなどと、大きく騒がれていますが、果たしてその真相はどうなのでしょうか。このきな臭い話は置いといて、先日少し触れさせてもらった、首相の器という続編です。
池上さんと御厨教授との話し合いでの結論は、首相が機能を果たせなくなったのは官僚を排除したことにあるというのです。欧米では大統領や首相の在任期間は5年以上という国が多いそうです。
そんな欧米と比較し、我が国の「首相の器が小さい」というのは、単に政治家の資質の問題だけではなく、日本の政治的な特性かもしれないと言われるのです。仮にもアジアでは、他国に先駆けいち早く先進国の仲間入りを果たした我が国ですから、日本の政治が全く無能だったとは言えません。
では日本の首相はそもそも重要な存在なのか、という疑問が生じてきます。首相が短期で代わっても社会的混乱が起こらず、政治が機能していました。これは優秀な経済と優秀な官僚があったからというのです。
ですから極端に言えば、誰が総理になっても上記の2つの車輪がちゃんと機能していれば、大勢に影響はなかったとも言え、短命の首相たちや国そのものを経済と官僚が支えてきたと言っています。
55年体制以降は自民党内で首相になる競争が続き、勝った人間が首相となっていました。それでも多くの首相の在任期間は2~3年と短く、大局的には政策を進められない割には、何とか続いてきました。
こうしたリ-ダ-シップが首相に定着しているわけでもないのに、ある時を境に、この支えてきた官僚組織を政治の現場から排除してしまったというのです。
それは安倍政権の時からとのことです。お友達内閣を作り、自分に打てば響く組織を作ると同時に、官僚を行政の中心から追放してしまったのです。こうしてそれ以降の政権にも引き継がれ、民主党政権に至っては、誰もがご存知のとおり、官僚外しをますますエスカレ-トさせてしまったのです。
はっきり言って、今の政治家に単独で政治を動かす力があるとはとても言えず、行政を支えてきた官僚をうまく活用するのが現実策とも言えると指摘しているのです。
ですから官僚たちは仕事をしようにもなかなかやらせてもらえない、目立てば潰されかねないというのが現状なのです。これでは官僚の能力がどんどん落ちていき、質の低下にも繋がります。
かつて、「日本の官僚ほど優秀な人材はいない」と世界中で言われていました。それが官僚嫌いで有名だった菅首相のときには、御厨教授が議長代行を務めていた東日本大震災復興構想会議での提言を、官僚がまとめたことすら菅さんは知らなかったと言います。
官僚は信用できないと繰り返す菅さんに、彼ら官僚に手伝ってもらわなければ復興会議の委員は何もできないということを、伝えたくらいだというのです。
こうした政治家が機能せず、政治主導という言葉だけが独り歩きし、官僚から自主的行動を外したことから指示待ち体質に変わってしまったのが現在です。不幸にしてこんな時、東日本大震災が起こり、政治の混乱は更に増すことになりました。
そして政治が一番やらなければいけない必要なことを、時の首相はやりませんでした。それは全世界と日本国民に向けてのメッセ-ジの発信です。世界に向けても、日本は必ず立ち直りますから、ぜひ支援してくださいという発信です。
これが政治というものだと強調されるのです。そして官僚にもできない政治家の仕事、特に首相がやるべきことは、「メッセージ」と「決断」を下すことだと言われているのです。
こうした言葉が政治には大事なのですね。以上のことから、国を動かすのには、「メッセージを発信」し、優先順位をつけながらどんどん「決断する」というのが、首相の必須条件と理解できます。
こう考えてくると、他人の顔色など窺っている人間ではなく、強い信念の下で毅然として政策を進めていく人が首相の器なのでしょう。少し長くなってしまい申し訳ありませんが、残念ながら今の日本にはどこにもそんな人は見当たりません。この先に繋がる、明るい灯りが見えないようで、本当に残念なことです。
2012.03.01
格安航空会社(LCC)の運行開始 No.2167
いよいよ今日から3月です。でもこのところ雨が多いですね。この時期、菜種梅雨とも言われるようですが、一雨ごとに春が近づいて欲しいものです。
さて、3月1日今日からいよいよ格安航空会社(LCC)が運行を開始します。そのトップを切って、関西国際空港を起点とする、ピ-チ・アビエ-ションなる会社の札幌便が一番機として飛び立ちました。
同機に搭乗した感想文が記されていましたが、最新のボーイング787のような快適さは無理にしても、新品のエアバスA320だけに、他の機種と比べても座席の広さ以外は大きな差異を感じないと言われていました。
ですから思ったより我慢を強いられるということも少ないようです。ただ徹底したケチケチ作戦ゆえに、座席に映画などを楽しめる液晶モニターや、座席前のポケットに機内誌などはなく、機内食は全て有料となります。
でも利用者が一番気になる安全面では、格安航空会社3社とも新品のエアバスA320を使用しているとのことです。これは新しい方がトラブルも少なく、整備経費も安上がりで済むという理由からです。
そして日航を退職したベテランパイロットを多く雇った会社もあり、安全性は高いと言われていますから、安いからといって心配は要らないかもしれません。
ただ面白いのは料金に買い時ということがある点です。今回就航した札幌行き初便についても、売り出し初日の昨年12月27日時点では最安価格は14780円でした。
しかし、今年になって2月21日には4780円と大きく下落し、27日には7980円まで上昇、また前日の29日には廉価なハッピーピーチは受け付け終了でしたが、1個分の預け入れ手荷物料金や座席指定料金が含まれるハッピーピーチプラスは9480円と、その価格に大きな変動があります。
ですから結果的には売り出し初日が一番高いことになり、早く予約すれば安くなるというものではありません。そして予約は電話よりインタ-ネットの方が安いそうですが、一番安い運賃では預け入れ荷物や座席指定にも料金がかかるし、足下の広い座席も別料金とのことです。
でも安全面だけでもしっかり配慮してもらえれば、フライト中の多少の窮屈や不便さは我慢できるというものです。とにかく飛行機は高いものだと思っていただけに、格安運賃はとても歓迎できる嬉しいものです。
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