会長の”三行日記”
2011.09.20
国語の難しさ No.2076
先日の新聞に国語世論調査の結果が載っていました。それによると、「寒っ」などの語幹のみの形容詞や、「来れる」などの、ら抜き言葉がよく使われていることが判明されています。
また間違った言葉の使い方も指摘されていて、そのうちの幾つかは私も該当するものもあり、しっかりと正さなければと反省させられたものです。
まず語幹のみの形容詞ですが、やはりこの時代の若者の感性が、多分に影響が及ぼしているのでしょう。「寒っ」」もそうですが、「すごっ」や「短っ」、「長っ」また「うるさっ」などは、どちらかと言うと、私たちより若者の方が多用している言葉です。
これらはテレビを通じて耳慣れていることもあって、こうした言葉への抵抗感がほとんどないとのことです。そしてこうした語幹のみの形容詞の用法は、文法的には決して間違いではないとも言われています。
それから。ら抜き言葉もよく使われています。「食べられない」が「食べれない」、「見られる」が「見れる」また「出られる」というより、「出れる」という方がよく使われています。
この「出られる」という言葉などは、自分が出ることができるという意味より、むしろ相手の尊敬語として使う、「出る」という意味合いの方が強いような気がします。
こんなことで、日本語の味わい深さを改めて知らされたわけですが、結構、私たちはその言葉の意味合いを間違って使用しているケ-スも多いようです。いくつか次の使い方を試してみましょう。
・情けはひとのためならず・・・①人に情けを掛けると、巡り巡って自分のためになる ②人に情けを掛けると、その人のためにならない
・姑息 ・・・①一時しのぎ ②ひきょうな
・雨模様・・・①雨が降りそうな様子 ②小雨が降ったりやんだりしている様子
・号泣する・・・①大声を上げてなく ②激しく泣く
さてどうでしたしょうか、私はその意味合いをほとんど間違えていました。正解は全て①の方が本来の意味です。このように日本語は結構、気がつかないまま間違えて使っているものですが、誤りを指摘されたなら素直に直さなければいけませんね。少し勉強になりました。