会長の”三行日記”
2011年03月
2011.03.31
今できることと気をつけること No.1981
東日本大震災や原発事故による風評被害というものが少なくないようですが、タレントの神田うのさんも被害を受けたその一人だと聞きました。
全く事実無根の酷い作り話しがネット上を駆け回っているとのことです。この誹謗中傷とは、「16年前の阪神淡路大震災において死亡人数を賭けていた」というものです。
もちろんこれは事実ではなく、実際には当時19歳であった、うのさんは50万円の寄付を行っていたそうです。また、今回の東日本大震災においても、日本赤十字社に1000万円を寄付しているとのことですから、ずいぶんと口惜しい思いをしているのではないでしょうか。
このようにネットでのカキコミは、根も葉もない噂が事実のように広まることがあるので、十分注意したいものです。こうした一部嘆かわしいことがあるものの、一方では今回の災害で世界から日本を応援する、嬉しい話も聞かれます。
タイの国が無償で発電所ごと、日本に貸与してくれるというのです。貸し出されるのは、巨大な煙突、タービン、発電機といった発電設備一式ですが、この発電所をを2セットまるごと、日本に移設するというものです。
何とも嬉しくなる話ではないでしょうか。貸し出されるのは12万2000KWのガスタービン発電設備2機などで、約24万世帯分の電力を賄うことができると言います。
この設備は元々日本製とのことで、ピ-ク時を除いて使用されていないと言われますが、計画停電等実施され、電力不足に悩む日本の現状を見て見ぬ振りができなくなったのでしょう。
現地の係員からは「日本はこの困難に対し決して孤独ではありません。何でもサポートします」という温かい言葉が届いています。この夏の電力供給不足問題が深刻なだけに、いくらかでも解消される、嬉しい話ではないでしょうか。
100年に一度、いや1000年に一度あるかないかと言われる、今回の未曾有な災害だけに、被災された方々に対し、せめて私たちにできることは何かと考え、十分な配慮ある行動をひとり一人とっていかなければいけないものと思っています。
そうした意味では、東京都知事の天罰発言はあまりにもタイミングが悪く、受け取り方によっては被災者に対し、無神経で配慮に欠けたと言ってもよいものだったと思われます。
とにかく今、私たちにできることといったら、義援金も含め、被災地に温かな気持ちを届けることと、可能な限り節電に努めることです。明日は我が身かもしれないと思ったら、この非常時、とても辛らつな発言はその口から飛び出ないことでしょう。
2011.03.30
決死の沈静化作業 No.1980
日々悪戦苦闘している福島第1原発の沈静化作業に、多くの人たちが現地で携っています。放射能の危険に直面しているだけに、まさに命がけの仕事とも言えるわけです。
まず注目されていたのが、燃料プ-ルの冷却用に放水していた自衛官や消防隊員の人たちです。この事故処理に当たっていた方の奥さんが「私は既に覚悟を決めています」と話されていました。ご主人同様、何とも見上げた姿勢ではないでしょうか。
また別の奥さんは「日本の救世主になって下さい」と言って送り出したそうです。まさに戦場に出掛けるようなものですから、なかなか真似のできない、胸を打たれる言葉です。
そして誰もがやりたくないと思われるものですが、そうした本音は一切見せることなく、決死の作業に命を張って携っているのです。大げさに言えば、こうした方々に私たちの運命を預けなければいけないような、逼迫した状況が今なのです。
そんな過酷な作業に当たっている、ある自衛隊員は「宣誓しているから」と口にします。自衛隊入隊時、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」との宣誓の言葉に嘘はつけないと話しています。
またこうした隊員の中には、「妻は自衛官だからわかってくれている。4歳と0歳の子供がいるんだけど、上の子がテレビの消防の映像を見て、『これ、お父さん一人でやるの?』っていうんだ。『俺が終わらせてくる』っていってきたよ」という人の話も紹介されていました。
改めてこうした緊急時の役割の重さを感じさせられるものです。また作業員の中には、被爆するかもしれないという恐怖と戦いながら、建屋内で懸命に沈静化と復旧作業の活動を続けている人たちがいます。
その多くは原発建設に携った関連会社の技術員と、東京電力というよりはむしろ下請けに当たる作業員の人たちで、先日も高濃度の放射能を含んだ、たまり水により被爆して入院した人たちがこれに当たります。
ポンプを動かす電源復旧の為、ケ-ブル敷設作業に当たっていたわけですが、一刻も早い現場作業を求められていたのでしょう。そうした原発での現場作業員が一番気にしているのが、“タマがあるかないか”ということらしいのです。
このタマとは、人間が1年間に放射線を浴びても大丈夫な許容量が決められているわけですが、それを指すもので、毎日炉心近くで作業を営む人にとっては、どんどんその許容量が少なくなっていくわけです。
それだけに、あとどのくらい許容量が残っているかどうかが作業の目安となっているのです。こうしてベテランの作業員ほどタマが少なくなっている関係で、比較的経験の浅い、タマが残っている若い人が起用されることになるようです。
とにかく、そんな方たちの奮闘のお陰で、沈静化に向けた作業が繰り返され、何とかこれ以上の被害の拡大を防ぐことができているわけです。改めてこの決死作業に取り組む方々に感謝し、何よりもその安全を祈り、原発事故の早期復旧と避難されている方々の無事帰還を願うものです。
2011.03.29
感慨無量 No.1979
昨日は工事で平塚に一日出張していたため、カキコミができませんでした。ご容赦下さい。さて今朝も引き続き、試運転の関係でこの平塚まで出掛けてきたのですが、午前中で終了したお陰で、帰路小田原のお客様のところにお寄りすることができました。
JT小田原工場です。ご承知のとおり、工場はこの3月いっぱいで営業を終了することになっており、今日が閉鎖する式典もあり、事実上、最終日となっていました。
いろいろとお世話になったお客様に、しっかりと永年のご愛顧のお礼を申し上げたかったからです。ただ、気楽に入っていけるいつもとは違って、この日はやはり異様な雰囲気を醸し出していました。
もちろん、何日か前からは工場の生産は稼動していないというものの、この日は式典もあることから女性の方は着物とか、袴をはいている方も目立ち、ご挨拶に伺ったお客様も、いつもは見ることのないス-ツ姿で正装されていたのです。
改めて今日でいよいよ終わりなんだなと実感しました。私にとっても永年お世話になった工場で、隅から隅まで知り尽くした場所です。
それだけに今日で終わりなんだなと思うと、万感胸に迫るものがありました。思い起こすと、自分が独立したのが昭和53年で28歳のとき、初めてお声を掛けていただきました。
それ以前も前の会社で出入りはしていましたが、自分でやり始めたときに最初にお声が掛かったのはこの小田原工場です。お付き合いをしていた電気工事屋さんの現場代理人さんから呼んで頂いたのです。
同業の他社の試運転トラブルを解決してくれないかとの依頼でした。3日3晩、ほとんど眠ることもなく、その復旧に努めたことを、33年経った今でも懐かしく思い出すことができます。
以来、少しずつ他社の好まないようなニッチの部分からお引き合いを頂き、それが段々と認められてきて今日までのお付き合いに繋がったのです。
それだけに、この工場に対する愛着は人一倍強いものがあるわけです。工場の老朽化とたばこに関するいろいろな事情から閉鎖に追い込まれたわけですが、何とも寂しい気持ちでいっぱいです。
1年以上前からこの事情は知っていましたが、こうしていざその時を迎えると、言い様がない複雑な胸に迫るものがあります。業者である私ですらこんな気持ちになるのですから、当事者であり、しかもこの機に退職される多くの方々の思いは、何ともたまらないものがあることでしょう。
ご挨拶を終え、正門を出て来たとき、それこそ数え切れないほど通り過ぎていた場所ながら、かつて一度も味わったことのない感慨無量な思いが込み上げてきたものです。改めて永年のご愛顧に心から感謝申し上げます。
2011.03.25
ちょっと良い話part73 No.1978
あっちこっちで温かい、ちょっと良い話が聞かれます。こんな時こそ、日本人の本来持っている思いやりの心をふんだんに発揮したいものです。
11日の大地震発生時、私は地元から電車で1時間ほどのJR立川駅にいた。都内の鉄道は全て運転見合わせとなり、地元までの道のりが分からないので徒歩で帰宅することもできなかった。
利用できる交通機関はタクシ-だけで、やむなくその乗り場に並んだ。厳しい寒さの中で、5時間以上も長蛇の列にいた。
深夜、立川市の職員が毛布を配り始めた。後方から順に配られたが、私を含め、皆一刻も早く手にしたかったと思う。実際、寒さに耐え切れず、順番を無視してもらおうとする人も続出していた。
しばらくして私ももらえたが、私の辺りで配給はいったん途絶えてしまった。ふと目をやると、毛布を受け取った私ぐらいの年代の女性が、赤の他人であるお年寄りの方にそれを譲っていた。
女性は軽装で本当に寒そうだった。にもかかわらず、彼女は自分よりも他人を優先した。一方で、私はただ、もらえた安心感でいっぱいだった。私は女性の振る舞いに感心すると共に、利己的だった自分を恥じた。
投稿者は18歳の高校生とのことですが、同じ年代の人が自分のことより他人の傷みを思ってやっていたことだけに、強く心を動かされたのでしょう。
私も一昨日、静岡でのセミナ-を終え、電車で戻ってくるとき、計画停電の影響からJR東海道線でのダイヤが全て上下線とも富士駅で途切れていることで、ちょっと寒い思いをさせられました。
静岡を21時40数分に出た電車が、22時10分過ぎには富士駅に着いたのですが、それからの上りの電車が乗り継ぎが悪く、22時50分過ぎまでないのです。
およそ40分近く富士駅で足止めを食らってしまったのです。従って少し計画停電のことを恨めしく思ったわけですが、被災地で暮らしている大勢の人たちのことを考え、家に戻ってから少し反省させられたものです。
各企業がCMを自粛している関係で、テレビから繰り返し流されているACジャパンの広告、「“思い”は見えないけれど、“思いやり”は誰にでも見える」との言葉のように、こんなときだからこそ、みんなで優しい心で支え合っていきたいものです。
2011.03.24
元気の出るつぶやき その4 No.1977
まだまだ、温かい元気の出るつぶやきがいっぱい寄せられています。非常時には企業のお役立ちとか個人ひとり一人の行動が特に大切なものです。
①日本の強さ
サントリ-の自販機無料化、softbankWi-Fiスポット解放、いろんな人達が全力で頑張ってて、それに海外が感動・協力してる。
海外からの援助受け入れに躊躇したり、自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より、日本は確実に強い国になってるんだ。みんな頑張ろう。
②声をかけること
昨日、裏の家の高1になるお兄ちゃんに感動した。家に一人で居たらしく、地震後すぐ自転車で飛び出し近所をひと回り
「大丈夫ですか...!?」と道路に逃げてきた人たちにひたすら声掛けてた。あの時間には老人や母子しか居なかったから、声掛けてくれただけでもホッとしたよ。ありがとう。
③バイクでよければ
僕は感動しました。バイトの先輩が1人でも救うために寒い中、紙に「バイクでよければ送ります」と書き、駅前で掲げ、とび職のお兄ちゃんを所沢まで送ったそうです。
世の中まだ捨てたもんじゃないなって思いました。本当に尊敬です!自分もなんか人の役に立ちたいと生まれて初めて思いました。
④呼びかけ
何時間も歩き続けてたんだけど、到るところでトイレ貸しますとか、休憩できますとかいうビルや飲食店が沢山あって感動しました。
とある企業ビルの人がボランティアで、○○線運転再開です-!とか、休憩できます-!!って呼び掛けてるのを見て感動して泣きそうになった。マジで日本も捨てたもんじゃないな。
大変な中、「ありがとう」という美しい言葉が増えていて、嬉しくなってくるものです。
2011.03.23
災害から感じ入ったこと No.1976
未曾有の災害は本当に残念なことですが、今回のことで少なからぬ感動を覚えた話がいろいろと聞かれます。気がついたものだけでも少し紹介させて下さい。
まずユニクロの被災地に対して、即座の対応が見事なものです。支援物資としてヒ-トテック30万着(7億円相当)など送ると発表されました。
またそれだけではなく、会社として3億円、それに従業員から集めた1億円の義援金も出すと言われています。そしてこれとは別に柳井社長個人でも、10億円の義援金を送ると言われます。
何とも真似のできない素晴らしい支援です。さすが世界に誇るファ-ストリテイリングのユニクロです。社長個人でも10億円とは、いくら稼ぎがあるとはいえ、なかなかできそうでできないことです。こうした支援は決してその額ではありませんが、本当に恐れ入る尊いことです。
それから国民ひとり一人が少しでも傷みを分け合おうと、今回の計画停電に対しても不平不満があまり聞かれることなく、節電にしっかりと努めていることです。
これなどは日本人の古くから引き継がれている、困ったときはお互い様という、他国にはない素晴らしい文化ではないでしょうか。お陰で予定されている計画停電は回避されることが多くなっています。嬉しいことです。
また、NHKテレビはもちろんですが、民放でも地震直後、最初の頃はほとんどコマ-シャルなしで番組を放送し続けていました。スポンサ-の温かいご好意でしょうが、10日以上経った今でも、自社をただ売り込むようなCMは控え、公共性のあるものだけに自粛しています。
これも皆で何とか助け合おうとする、日本人の伝統的な思いやりとか優しさではないでしょうか。この国の、人の事などどうでもいいといった自分勝手な風潮が顕著だっただけに、見直した点です。
このような私が気がついたことの他に、新聞にもこう書かれていました。すすんで食べ物を分け合う被災者の姿に感じ入り、怒号もけんかも起きない避難所の静けさに心動かされている。
また日本では被災地であからさまな便乗値上げが横行していない。水や米が地震前と同じ価格で売られ、しかも人々は我慢強く、店の前に何時間でも列をなして待っている。
海外の人々は、この日本の被災者たちの沈着で節度ある態度に賛嘆を惜しまない。苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合う。日本の市民社会に対する世界の信頼は少しも揺らいでいない。
全くその通りではないでしょうか。災害を受けていない私が言ったら申し訳ないようなことですが、日本人として生まれてよかったと、つくづく感じ入っているしだいです。
2011.03.22
異様な空港への見送り No.1975
先週の18日、弊社で3年間、研修生及び実習生として無事務め上げてくれた、劉 慶くんが期間満了となり、ここで中国・ハルビンに一時帰国するため、飛び立つ成田空港まで車で送っていきました。
3年間はあっと言う間に過ぎ去ってしまったわけですが、彼とは永遠にお別れということではなく、帰国後、技術員として再度、在留資格認定証明の発行申請が許可されれば日本に呼び寄せることができるわけです。
それだけにちょっとした里帰りのようなものですから、特別感傷的にもならなかったのですが、ちょうど時が時ですから、成田空港は異様な雰囲気に包まれていたものです。
何しろ、いつもは空いていると思われる搭乗手続きの窓口が、異常に混んでいるのです。特に彼が向かう大連とか上海への便は、ほとんどが中国人と思われる人たちでごった返していました。
その列は優に100mを超えているのです。やはり福島原発の影響なのでしょうか、慌てて日本脱出を試みているように感じました。
もちろんその中には、住んでいた東北や北関東地域が今度の被害に遭遇し、仕事が無くなり、泣くに泣けぬ思いで離れなければいけない人たちもいることでしょう。
でもその数の多さから、必ずしもそういった人たちばかりではないものを感じたのです。新聞でもこうした在留外国人の退避の動きが激しくなったと伝えていましたが、まさにそれを間近に感じたのでした。
仕方がないことかもしれませんが、何となく寂しい思いがしたものです。一方では被災者のことを考え、自分に少しでもできることは何かと、私たち国民がいつになく、思いを一つに一致団結しているように思えるからです。
そこにやはり文化の違いを感じないわけにはいかなかったのです。そういったことではなく、たまたま帰国が同じ時期に重なってしまい、とんだトバッチリを受けた、我ら劉君もいい迷惑だったと思われます。
でも彼は力強く、再会を約束してくれました。早くて3ヶ月先か、また遅いと1年先になるかもしれない彼との再会のときに、少しでも被災地が元気に立ち上がっていることをただただ願うばかりです。
2011.03.18
元気の出るつぶやき その3 No.1974
昨日は同友会の仲間から連絡が入り、災害地への救援物資を送る便があるので協力して欲しいとのことから、家内にス-パ-等に要請のある、マスク・乾電池・粉ミルク・女性用衛生用品・新品の肌着等を買って届けてもらいました。
どれも品薄になっていて、なかなか集めにくくなっていて大変ですが、少しでも、私たちにできることからやっていきたいものです。すぐ行動に移す同友会の仲間って、こういう時には本当に頼りになり、嬉しくなるものです。
さて温かい話がもっともっとありますので紹介させて下さい。
①父親の行動
1階に下りて中部電力から関東に送電が始まっている話をしたら、普段はTVも暖房も明かりもつけっぱなしの父親が、何も言わずに率先してコンセントを抜きに行った。少し感動した。
②ス-パ-での出来事
ス-パ-で無事買い物できました。でもお客さんのほとんどが、他の人の事を考えて必要最低限しか買わない感じだったのが感動しました(涙)
③「みんな」
タクシ-運ちゃんと電車駅員さんとおばさんと話したけど、みんな遅くまで帰れなかったりして、すごく疲れているのに、苛立つ事なく、言葉遣いも振る舞いも丁寧で、逆に気遣われてしまった。
「みんな大変だから」という”みんな”って意識があることに感動するし、私も受け継いで大事にしたい文化。
2011.03.17
元気の出るつぶやき その2 No.1973
まだまだ温かい話がありますので紹介させていただきます。日本って少し見直しました。
①段ボールに感動
ホ-ムで待ちくたびれたていたら、ホ-ムレスの人達が寒いから敷けって段ボ-ルをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。
②外国人から見た日本人
外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているス-パ-で、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。
③BBCの報道
本当に感動。泣けてくる。→BBCめっちゃ誉めてる。地球最悪の地震が世界で世界で一番準備され訓練された国を襲った。その力や政府が試される。
犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力がある。
④パン屋
昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。
こんな喧騒の中でも自分にできること見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
2011.03.16
元気の出るつぶやき その1 No.1972
緊急事態の中、日本頑張れという、心温まる話題がいっぱい届いています。まだまだ我が国も捨てたものではない、この国に生まれて良かったと、嬉しくなったので紹介させて頂くことにしました。
①ディズニーランドでの出来事
ディズニ-ランドではショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生達が必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが避難所の子ども達にお菓子を配っていたところを見て感動。
子ども連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった。
②国連からのメッセ-ジ
国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」良いことをしたら戻ってくるのです。これがいい例なのです。
③渋滞した交差点での出来事
一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。
複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシ-ンもあったけど、10時間の間、お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。
恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。
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