会長の”三行日記”

2013.07.22

参院選が終わって No.2432

 参議院選挙が終わりました。予想通りと言えばそれまでですが、自民党の大勝利の中、民主党がここまで国民に失望感を与えていたのかと思わせられる、大敗という結果が顕著になりました。

これで衆参のねじれ現象は解消されたわけですが、果たしてこれからの日本、私たち国民が望む方向にしっかりと進んでいくのでしょうか。大勝利に驕ることなく、謙虚に国民の声にも耳を傾けてもらいたいものです。

そんな自民党の大勝利の中で、人々の声が象徴的な選挙区が2つありました。1つは岩手選挙区です。ご存知、生活の党代表の小沢さんの圧倒的な強さを誇っていた選挙区です。

結果は新人とはいえ第3位の、1位の得票の1/3強で、はるかに及ばないものとなりました。つまり小沢さんの力もここまでと思わせられたものに終わったのです。そして自民党の新人をも問題にせず、堂々と1位に当選したのが平野達男元復興相です。

やはり地元の人たちが何よりも望んでいるのが、いちはやい大震災からの復興ではないでしょうか。一番その思いが表れていた結果だったと思います。そしてもう一つ、地元の大きな願いが感じられたのが、沖縄選挙区です。

選挙前、自民党が一番重点地区として力を入れていたのがこの選挙区であり、総理はじめ大勢の自民党大物議員が駆けつけました。それでもその結果が、糸数慶子さんという、地元を何よりも愛し今の政府の圧力にも屈しない代議士が3選を果たしたのです。

つまり沖縄はいつまでも犠牲になっているのは嫌だという、地元沖縄の民意の表れではないでしょうか。このように、ただただそのム-ドに流されて大勝した他の地区とは違って、差し迫る大きな問題に直面している人々の叫びのようにも感じられたものです。

維新の会・全国比例区から出馬した、同級生の友人・土田博和候補は惜しくも次点で、その願いが叶いませんでした。全国比例区ということもあり、維新の会が6議席獲ったということは判っていても、上位2名を除き、誰が3位から6位まで入るのか、今朝方まで判明しませんでした。

そんなわけで、だいぶヤキモキさせられましたが、朝7時過ぎになって第7位が確定し、当選まであと一歩及ばない残念な結果と相成りました。その差が3500票ぐらいだっただけに、本当に悔やまれる結果になったわけです。

候補者への支援をお願いに、私も一緒に回らせて頂いた一部企業や友人の方々には、改めてこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。そして心より感謝申し上げます。なかなか選挙結果というものは思い通りにはいかないものです。

2013.07.18

ちょっと良い話その109 No.2431

俳優の杉良太郎さんに、こんな素敵な一面がありましたので紹介させていただきます。言うは易し、行いは難しと言われていますが、なかなか出来ないことです。

日本とベトナム両国の特別大使を務めている俳優・杉良太郎(68)が、日本・ベトナム外交関係樹立40周年の記念イベントを現地で開催した。同市のオペラハウスでは盲目のピアニスト・辻井伸行さん(24)がリサイタルを行い、観客を魅了した。

また、杉は24年にわたるベトナム支援の原点となった孤児院を訪問、新たに15人の子供と養子縁組し、76人の養父になったことを明かした。スタンディングオベーションの中、満面の笑みを浮かべる辻井さんの体を包み込むようにして、杉は熱演をねぎらった。

ベトナムのホワン・チュワン・アイン文化スポーツ観光相は目を潤ませ、辻井さんの両肩をがっちりと抱いた。流麗なピアノの調べが、日越両国の友好関係に新たな1ページを開いた。

数多くの海外公演を成功させてきた辻井さんだが、ベトナム訪問は今回が初。「日本とベトナムの友好が何百年と続くように」と、ドビュッシーの「月の光」、ショパンの「英雄ポロネーズ」など11曲を演奏した。

約600人の聴衆の熱気に「びっくりするくらい熱心で熱烈な反応を頂いてとてもうれしかったです」。約1年半かけて今回のイベントを構想してきた杉は「辻井さんは日本の宝。彼のピアノを聞いてたくさんの方が勇気づけられると思う」と、観客に呼び掛けた。

24年間、同国で草の根の支援を行ってきた杉は、61人の孤児を養子に迎えて支援してきたバックラ孤児院を訪問。1989年に最初の養子となった女性のガーさん(36)のあいさつに目を潤ませた。

さらに、15人を養子にすることを明かし、「ただお金を振り込むだけじゃない。喉頭がんの子もいるし、病気の面倒も見なきゃいけない。僕が死ぬまでお父さんであり続けたい」と決意を新たにしていた。

「あまりに戦争を強いられすぎた国」として同国への支援を志し、文化だけでなく、政治、経済の面でも両国の友好に尽力してきた杉。移動の際にはパトカーが先導するなど、日本を代表する人物としてVIP待遇を受けている。

前日には妻で歌手の伍代夏子(51)らによる伝統芸能と日本の食文化を紹介する「ジャパンデー」や、宇宙飛行士の野口聡一さんの講演も開催。「ベトナムは日本を『大親友国』と思っているが、日本は態度があいまい。八方美人をやめて、もっとあらゆる分野で突っ込んだ話し合いをやるべき」と、さらなる関係強化を訴えていた。

なかなか、こうした隠れた一面を垣間見ることがないものです。一見、派手で私たち庶民とは別世界の人間だと思われる人だけに、単なるスタンドプレイではなく、継続的事業を行っていることに深く敬意を覚えたものです。

明日19日は一日、会社を留守にしますので、カキコミは休ませていただきます。

2013.07.17

守成は難し No.2430

創業の心を忘れたとき企業の衰退が始まり、道を踏み外していくと言われています。そんな私も至らない後継者の一人ですが、「創業は易く、守成は難し」と言われていても、やはり創業者の強い思いがいつまでも感じられる企業でなければと思っています。

「創業は易く、守成は難し」という言葉は、新たに事業を起こすよりも、事業を維持、発展させることのほうがむずかしいという意味ですが、元々は中国の史書『十八史略』のなかにあり、唐時代の太宗の問いに答えた臣下のものと言われています。下記のように解説しています。

唐の国が興隆から衰亡と向かう分かれ道は、玄宗皇帝時代に起きた反乱にあったとされる。いつの時代にも大小の乱はあるものだが、興隆の時にはむしろ、それらさえ国を強くする方向に動く。これに対して玄宗皇帝時代の乱が致命的な打撃になるまで広がった背景には、唐の政治が草創の息吹を失っていたという事実があった。

そこには実力主義ではなく情実主義、賞罰主義でなく無責任主義が蔓延していたのだ。情実主義は甘えの温床となり、発展への厳しい姿勢を腐敗させてしまう。無責任となり自ら律することを忘れたときには、堕落がはじまることはいうまでもない。

つまり、要領よく立ち回った官僚たちだけが、いい思いをする。これでは誰も懸命に働こうという気力はなくなる。皆、国の繁栄に尽くすよりも、国から何を得るかだけを考えるようになっていた。「全員が創業者」という精神とは、まったく逆の姿であった。

このように聞くと、歴史は繰り返すではないのですが、過去の唐の時代から引き継いでいる現在の某国の実情とよく似ています。役人の多くは汚職などにまみれ、皆、私腹を肥やそうとしています。そしてシャドウバンキングなどと呼ばれる陰の金融機関の破綻も間近だと言われています。

話が少し横道に逸れましたが、「創業」も「守成」も、どちらも簡単なわけがありません。「創業」には無からの立ち上げだけに予期せぬ困難に立ち向かわなければならないでしょうし、「守成」とは継続することであって、発展し続けなければなりません。

こうした栄枯盛衰は企業につきものですが、要はやはり人の問題に尽きるのではないでしょうか。玄宗皇帝に示されるように、創業の心を忘れたリーダーに率いられた組織は、結局は衰退していくのです。それは政治の世界でも同じことが言えます。

官僚主義的で組織がどんどんと大きくなり、中央集権的となった結果、私たち消費者や社員の声も届かなくなり、その声を圧力で抑えるようになってはリ-ダ-の心が完全に離れてしまうことになるわけです。

それは血液の循環が悪い不健康な体のようなものです。ねじれ解消などと声高に叫んでいる、今回の参議院選挙ですが、ある意味、良識の府である機関のチェック作用がなければ、この国はどこに進んでいくのか不安になるものです。独占とか驕りほど危険極まりないものはないわけです。