会長の”三行日記”

2013.10.18

丸ごと交換 No.2477

 新聞にこんな投書が載っていました。共感するところが少なくないので紹介したいと思います。パッキンが壊れ、丸ごと交換しなければいけなくなったという話です。

浴室をリフォームして約1年が経ち、早くも排水口のパッキンがダメになってしまった。消耗品だから仕方がないと思い、大手メーカーの窓口に電話したところ、パッキンのみの交換はできず、排水口の部品ごと交換しなければならないとのこと。

納得いかない。パッキンは黒く丸い輪ゴムのようなごく普通の物で、着脱できるようになっている。パッキン以外は新品同様なのに、部品丸ごと交換しか方法はないらしい。

手のひらにのるくらいの部品だが、プラスチックの丈夫な部品までゴミになってしまう。でも、パッキンなしでは使い物にならないので、交換することにした。

取り外しのできるパッキン部分だけ交換できれば、十分なのに。今回のことはメーカーのもうけ主義しか考えられない。

なるほどその通りですね。これも、もったいないの典型的なものです。近年、これに限らず、似たようなことが増えました。部品が壊れたからといって、その部品を交換するのではなく、ユニットを丸ごと交換してしまうのです。

また故障の原因を追究するのではなく、さほど調べもすることなく、関連箇所を丸ごと取り替えてしまうのです。果たしてこれがプロと言える仕事なのでしょうか。こんなことではプロでなくてもできる仕事です。

こうしてまだ使える部品がどんどん捨てられていくことになるわけです。そしてある程度、経ってからメーカーに電話して部品の取り寄せをお願いすると、もう廃止機種だから部品もありませんという返事がかえってきます。

これってどこかおかしい話ではないでしょうか。これでは技術者のレベルも上がらないというものです。手間暇かけてもさして利益にならないからというのが、大手の取り組まない理由でしょうが、こんなところにも私たち中小零細企業のチャンスがあるというものです。

ニッチやいろいろな業界の隙間を見つけ、それを活かしていくことが私たちの務めではないでしょうか。またそれがお客様の喜ぶ顔が描ける、生き残りの道にも繋がるものと信じて疑いません。

2013.10.17

ネット検索について No.2476

 ネットビジネスにおいて、検索にいかに自社のサイトが引っ掛かるかが売上げに直結するそうです。その利用者は通常、最初の2ペ-ジぐらいしか見ないとも言われています。

このためSEOと言って、サイトが検索結果で上位に表示されるよう、その作り方などを専門業者に依頼しているところも少なくありません。中には無理やりその順位を高めようと、無料ブログなどにこのサイトのリンクを数千件貼り付けていることもあります。

検索順位が高まるには、1つには他サイトにどれだけリンクされているかで重要度を判断する傾向があると言われています。これを狙っているからですが、上記のことは本来のネット来場者がどれだけ見ているかという、本来の趣旨からは外れていることになります。

またペ-ジ数が多いサイトも上位に表示されやすいという傾向があるそうです。これにより他サイトの内容を自動的にコピ-したり、無意味な記事を大量に載せたりする不正な行為を生むことになります。

このため検索最大手のグーグルはこうした手法の行過ぎたサイトの摘発に乗り出したのです。この結果、今まで検索の上位に引っ掛かっていた業者が突然、圏外になるという事態が生じたのです。過剰なSEO対策が施されていたからです。

慌てたのは圏外に追いやられた業者です。コンサルを通して調べてみたところ、グーグルからこんな警告がきていたのです。「ガイドラインに違反した手法が使用されている。」そして無意味なリンクを削除し、グーグルに再審査を依頼したところ、1ヵ月後には以前の順位に戻ったと言います。

グーグルは世界の検索市場の2/3のシェアを誇り、日本国内でもヤフージャパンに次いで40%台で2位ですが、ヤフージャパンはグーグルの検索技術を採用していることから、実質シェアは断然のトップです。

ですからSEO対策とは、まさにこのグーグル対策そのものなのです。グーグルの言っている、「情報制度を高めるためには絶えず改善し、価値の低い検索結果を表示すれば検索サイトとして選ばれなくなる」ということは至極、当然のことでもあるわけです。

やはり自作自演の不正をしていては長続きはしないものです。本来のあらゆる人が見に行きたくなるようなサイト作りを心がけるべきで、企業としてもそうした付加価値を少しでも高める努力が必要になってくるものです。

2013.10.16

大谷徹奘氏法話会より No.2475

 月曜日の祭日、長泉ベルフォ-レで開かれた大谷徹奘氏法話会に行ってまいりました。薬師寺の執事として知られている同氏ですが、いつも元気いっぱいのお話はこちらまで元気を頂き、勇気づけられるものです。

主催していただいたのは深澤電工さんといって、電子機器やプリント基板の製作をやっている会社なのですが、3Sでも知られていて整理・整頓・清掃が徹底されていることから、多くの見学者が訪れているほどです。

その深澤電工さんの会社創立50周年を記念して、開いていただいたものです。講演会の冒頭、大谷さんはいつもそのように心がけているらしいのですが、演壇からわざわざ客席まで降りてきて、詰め掛けた皆さんに挨拶をされるのです。

皆さんと同じ目線で挨拶をしたいからということです。この辺がさすがお坊さんというところで、皆さんと自分は同じですよという表われなのでしょう。17歳高2で薬師寺に入り、今年で34年目という大谷さんは50歳になられたそうですが、今は亡き高田好胤師を慕っての入門だったようです。

その好胤師は生まれてきた人は必ず死ぬと言い、人の命に厳しい人だったと言われていました。大谷さんはそこで会場の私たちに、こう問い掛けました。「皆さんのご両親の名前を口に出して言ってみて下さい

これはさすがに言えない人はいないはずです。そして次に「父親の両親、母親の両親の4人の名前を言ってみて下さい」と尋ねられました。この途端、私もそうですが、これをしっかり答えられる人は極端に少なくなってしまったのです。

こうした先祖が存在したからこそ、今の自分が存在するということです。その自分という一人の先祖を625年遡ると、何とその数は3355万4432人にもなるそうです。従って死んだらお終いではなく、命のリレ-という役目を担っていると指摘していました。

命は自分のものだが、自分だけのものではないということです。また前の人の生き方が次の人に引き継がれるとも述べていました。このことから現在の自分さえ良ければいいといったことや、今さえ良ければいいといった風潮についても触れていました。

また人を敬うことがなくなり、聞く耳を持たなくなってしまったことについても、日本人として取り戻さなければいけないと指摘していたのです。先輩を敬うことを敬上というそうです。また1300年前、聖武天皇の時代には今のことを中今と呼んでいたみたいです。

この敬上と中今という言葉の大切さを説いていました。以上、今日紹介したのはお話のまだほんの一部ですが、続きはまた後日紹介させて頂きたいと思います。やはり年間400講座を持つという人だけあって、立て板に水の如く、お話はさすがに聴きやすい上手なものです。

今という言葉がその昔は中今というだけに、今に生きる私たちは先祖から、後々の子々孫々へのリレ-役(仲立ち)として、ただ流されて生きていてはいけない、人間の生き方としての役目というか使命のようなものを知らされたような気がしました。