会長の”三行日記”
2014.02.18
大雪その2 No.2528
そして翌週15日のことです。やはり前日から降り出した雪は先週とは違い、この日も降り続いているのです。このため平塚に工事後の試運転調整で向かう私たちにとって、今度は東名高速、箱根全山が通行止めにより全く向かうことができなくなってしまったのです。
仕方がないからその時は他の唯一のル-トだと思っていた、国道246号線に向かわざるを得なかったのです。でも先週の経験があるから何か悪い予感がしていたのは事実です。このためか246号バイパスを避け、246旧道を行ってみようかと思い、バイパスと並行するこの道を選択したのです。
でも当たって欲しくない悪い予感がすぐに当たってしまうことになるのです。上を通る伊豆縦貫道を潜った辺りから、やはり全然動かなくなってしまったのです。どうすることもできず、仕方がないからそのまま流れにはまっていました。
しかしながら一向に流れ出す気配がないのです。待つことおよそ1時間半以上経ったのでしょうか、6時過ぎに会社を出た車の時計はもう8時を回ろうとしていました。私たちを待っている客先にも迷惑を掛けるから、何とか行かなければと思案をめぐらしたところ、熱海に出ることが思い浮かびました。
なぜもっと早く気がつかなかったのかと少し悔やみましたが、雪のため1車線に絞られ、車輪が通るところだけが少し雪のない、轍となった伊豆縦貫道を函南まで抜けました。そして峠のトンネルの前が少し雪のため渋滞していましたが、熱函道路を経由して何とか熱海まで出ることができたのです。
もちろんチェ-ンをつけなければ走れない道でしたので、熱海の市街でこれを外し、海岸線を一路小田原まで向かいました。この道はすこぶる順調だったのですが、小田原まで出たらもう1つ難関が待ち構えていたのです。
やはり雪のため西湘バイパスが通行止めとなっていたのです。仕方がないから国道1号線を行くしかありません。案の定、ここから東に向かう唯一の道となった1号線が混んでいたのは言うまでもありません。
こうしておよそ6時間半あまり掛けて目的地の平塚に着いたのです。今か今かと私たちを待っていてくれたお客様には、すっかり迷惑を掛けてしまうことになりました。一部指摘があったように、前泊して備えるなど、こうした大雪に備えての準備が足りなかったかもしれません。
やはり自分たちの都合だけで物事を考えていただけに、今後のことも含め大いに反省しなければなりません。それにしても工事後の帰路、東名や箱根、そして西湘バイパスまで通行止めが解けなかった影響で、大渋滞となっていた国道1号線から覗くコンビニの食品陳列棚が全て空っぽとなっていたのにはびっくりさせられました。
改めて日本列島、特に普段雪のない東日本の太平洋側がたいそう雪に弱いことを知らされました。往きが6時間半、そして帰りが4時間ちょっとの、こうした思いもしない出張移動でしたが、前回の一人旅とは違って、同乗者がもう一人いただけに心強かったことが唯一の救いでした。本当に雪は怖いですね。
2014.02.17
大雪その1 No.2527
やあ、とにかく先週末の大雪にはまいりましたね。あちこちで孤立状態が続いたりして大変だったというか、今でも大変なところがあるみたいですが、私もその影響をもろに受けた一人でした。
それもその前の週の日曜日に続き、2週連続のことでした。まず最初は9日の日曜日のことです。この日は弊社製品の制御盤をトラックに積み込み、東京の平和島まで届ける予定でした。
しかし前日にもたらした大雪の関係で、大動脈の東名高速がまず機能しなくなったのです。雪の影響は少しあるかもしれないがタイヤチェ-ンさえ持っていれば何とかなるだろうと高をくくり、会社を出たのが朝の5時過ぎです。
このくらいの時間に出て行けば、たとえチェ-ン規制があったとしても、現地9時搬入には何とか間に合うだろうと読んでいました。ところが東名の沼津料金所を潜った途端、車が全然動いていないのです。
全て上りの車が身動きできないでいるのです。しばらくして警察官が東名を下りに向かう車の交通整理でやってきました。料金所を入ってすぐのところで渋滞している関係で、下りの本線は空いているのですがICの入口まで行けないでいるのです。
このため警察官の指示で下りに向かう道を開けるため、私の車もバックなどして通路を調整したのです。そのときこの警察官から「当分、上りは動きませんよ」との言葉を投げ掛けられたことから、「ここでUタ-ンはできますか」と聞いてみました。
構わないということでしたので、早めに東名はあきらめることにしてそのまま246号線に向かいました。しばらくは順調だったのですが、裾野付近まで来るとやはり多くの車が本線に止まったまま全然動かないでいるのです。
あまり動かないことから周囲の車に連られるようにタイヤチェ-ンを巻くことにしました。でもトラックのチェ-ンは初めて巻くこともあって、悪戦苦闘でなかなか思うようにいきません。こうして時間は掛かりましたが、苦労しながらも何とかチェ-ンを着けることができたのです。
そしてこれだけ少なくない時間が掛かったわけですが、本線上は一向に車は動いてくれません。これではいつになるか判らないと判断し、チェ-ンも着けたことだし雪の道でも構わないと、別ル-トの箱根の山道に挑戦することにしました。
これが意外や意外、車は少ないし雪は綺麗に掻いてくれてあったお陰で、かえってチェ-ンが邪魔になるくらいだったのです。ところが順調だった箱根に引き換え、小田原から厚木に向かう小田原-厚木道路は雪で通行止めだったため、西湘バイパス経由で一旦、平塚に出て一般道を厚木まで向かうことになったのです。
こうして何とか厚木からは東名に乗ることができたのですが、厚木で本線に入った途端、びっくりしたのが後ろからほとんど車が来ないことです。きっと裾野-御殿場-大井松田間でまだ雪掻きが終了せず渋滞が解消していなかったのではないでしょうか。
そうしてみると回り道はしたものの、選択したル-トは案外、正解だったかもしれません。こうしてあちこち通行止めだった首都高速を縫いながらも、何とか9時20分ぐらいには現地に辿り着くことができたのです。
でも一人の運転でしたし、わだち状態の道路をずっと走っていっただけにずいぶんと疲れたものです。それがまさか翌週も同じ経験をするとは、このときは夢にも思わなかったものです。続きはまた明日紹介させていただきます。
2014.02.12
明と暗 No.2526
昨日までの2日間、お陰さまで無事工事は終了いたしました。でも今日を除く今週、他の日は企業見学研修、営業挨拶、工事試運転等でいずれも会社を留守にしてしまいます。2月はよく暇な月だとも言われていますが、そんなことはなくこのように追いかけられているのは嬉しいことです。
さて連日行われているソチ五輪で、今朝は明と暗がはっきり分かれてしまいました。日本期待の女子ジャンプとスノ-ボ-ド男子ハ-フパイプ決勝が日本時間の午前2時から放映されると聞き、それならいっそのこと、早く寝て早く起きようと思い、昨夜は9時過ぎに床に着きました。
そして目覚ましの音に促され、慌ててテレビをつけたところ、ちょうど女子ジャンプがこれから開始されるところでした。先頭の競技者は高梨沙羅選手のライバルとも言われた、あのサラ・ヘンドリクセンです。
なぜこの選手がトップバッタ-なのかと不思議に思ったのですが、今シ-ズンはケガの影響でワ-ルドカップに一度も出ていないと聞き、それならと納得しました。従って我らの沙羅ちゃんは、そんなわけで総合第1位ですから最終の30番目になるわけです。
こうして1回目の最終ジャンプとなった沙羅ちゃん、結果は100mを飛びまずまずの第3位です。解説の原田さんが言われていたように、かえって1回目トップで2回目を迎えるより、後ろから3番目の方が飛びやすいという言葉に安心して、BSで放送していたハ-フパイプの方にチャンネルを切り替えました。
画面にいきなり出てきたのは1回目の結果表示です。それによると日本の平野歩夢くんが唯一90点台の得点でトップに立っているのです。これは面白いとばかりに画面に釘付けになっていると、2回目スイスのユーリ・ポドラドチコフという選手が94.75という高得点を挙げてトップに躍り出たのです。
それでも日本の平野、平岡両選手の滑りはまだこれからだけに期待の持てるものです。こうして迎えた両選手、滑りは二人ともほぼ完璧だったのではないでしょうか。個人的にはスイスの選手より平野くんの方が跳びは高いし、得点は上回るのではないかと思われたのですが、それは審判の採点競技ゆえ仕方ないかもしれません。
でもほぼ遜色ないと思われた得点は平野選手が93.5、平岡選手92.25と、文句なしの高得点です。そしてこの後、最後に滑った、今大会NO.1と呼ばれた、アメリカのショ-ンホワイト選手はこれに及ばず、二人は銀、銅メダルの獲得となったのです。
気をよくしてまたチャンネルをジャンプに方に戻すと、もう既に2回目が始まっていました。1回目はそんなによくなかった日本の伊藤有希さんが、2回目に100mを超える見事なジャンプを見せたのです。これは沙羅ちゃんにとっても良い傾向だと信じ、今か今かとその出番を待ちました。
こうして28番目にやっと出てきた沙羅ちゃん、2回目のジャンプは本人も満足のいくものではなかったみたいです。2本ともジャンプでは不利な追い風という不運もあったかもしれず、結果は予想外の4位でした。でもそれよりもやはり、いつもの彼女ではありませんでした。
これが五輪で勝つということの怖さなのでしょう。思い通りの伸び伸びとした滑りを見せたハ-フパイプの二人に比べ、沙羅ちゃんには大本命としての、絶対勝たなければいけないというものがいつもの自分を変えていたのではないでしょうか。残念な結果に終わりましたが、捲土重来、この口惜しさを次期五輪に是非ぶつけてもらいたいものです。