会長の”三行日記”

2016.10.28

面白い日本シリ-ズ No.2914

 昨日の第5戦はサヨナラ満塁ホ-ムランという劇的な幕切れで、日本ハムが勝利を収めました。これで日ハムが3勝2敗となり大手をかけたわけですが、明後日からはまた広島の本拠地に移ることから勝負の行方は予断を許しません。本当に面白い日本シリ-ズとなっています。

昨夜はゆっくりとテレビ観戦できたのですが、やはり日本シリ-ズらしい随所に野球レベルの高さが見られました。1点を追う日ハムの攻撃の2回だったでしょうか、2死2-3塁のチャンスで8番市川選手のセンタ-に抜けようとする当たり、ショ-ト田中選手が横っ飛びで押さえ、1塁へ刺しました。

またこれだけではなく、1塁ギャレットはショ-トからの逸れた送球を倒れ込み、全身をいっぱい伸ばしてアウトにしました。体の大きい選手だっただけに、もしこのプレ-がなかったらまた局面は変わったかもしれません。

広島の敗因はメンド-サという日ハムの投手が、良いピッチングで広島の打線を抑えたわけですが、代わり端の2回、1死満塁のチャンスを生かせることができなかったことにあるのではないでしょうか。

ここで追加点が入っていれば広島ペ-スで試合ができたかもしれません。でも日本シリ-ズらしい白熱した良いゲ-ムでした。同点にした日ハムの7回、センタ-への犠牲フライなど少し浅いと思いましたが、思い切って突っ込んだプレイなどはさすがシリ-ズと言えるかもしれません。

これで日ハムが大手をかけ、第6戦はたぶん大谷投手の先発で一気に優勝といきたい日ハムでしょうが、なかなかそう簡単にはいかないのではないでしょうか。地の利もあるし、第1戦で大谷投手を少し攻略していることもあります。

それだけに昨日に引き続いて面白いゲ-ムになるのではないでしょうか。そしてできれば第7戦までやってもらい、黒田投手の有終の美を飾るピッチングを見たいところです。

このようにシリ-ズ開幕前には、一部で広島と日ハムの対戦では盛り上がらないのではないかと、懸念されていたところもないわけではなかったのですが、蓋を開けてみたら全く当てはまらないほど大きな盛り上がりを見せています。

やはりペナントレ-スを征したチ-ムには勢いがあり違いがあるものです。また今年のドラフトでもそうですが、良い投手がセリ-グではなくパリ-グに集中している現象が野球を一層面白くしているように思えます。

2016.10.26

成功 No.2913

 昨日の朝は(と言っても5時前ですから辺りは真っ暗ですが)、空を見上げると綺麗な星空が見えていました。ところが午前中のうちに、もう雨が降り出しています。本当に女心と秋の空とはよく言ったものです。この著しい寒暖の差に気をつけて下さい。

さて成功と題してこんな話が載っていましたので紹介いたします。戦国時代の名城と呼ばれた安土城を造った城大工親子の話で、「成功とは目の前のやるべきことにこそある」と言っています。

人間、何事かを成し遂げようとするとき、些細なことにあれやこれやと気を揉むものだ。ある意味人間の常であり、致し方ないことでもあろうが、戦国末期、安土城築城に力を尽くした城大工親子は違った。

安土城は、織田信長の命により天守閣が七重五層という当時としては革新的な意匠により建築された名城である。滋賀県安土の小さな山を切り開き、わずか3年ですべての工事を終了。そしてその後わずか3年で本能寺の変で天下をとった明智光秀の一族の手のよって焼き払われてしまうという短命な城でもあった。

その築城工事のさまは小説『火天の城』(山本兼一著/文藝春秋)にくわしい。工事を請け負った総棟梁、岡部又右衛門とその息子、以俊の物語であるが、まさに戦国版プロジェクトXと呼ぶにふさわしい大偉業であったことがわかる。

土台となる3本の木を組み合わせ、天守がその姿を現わしたとき、春の大嵐が襲う。雷鳴が轟き、いままで経験をしたことがないような雨風が激しく吹き荒れる。そのとき岡部父子は天守の頂上に登る。大嵐の時こそ高い建物の具合を見るにはうってつけだからだ。

そこで絶対に雨風では崩れぬという自信を示す父・又右衛門に対し、以俊は聞く。「どうしてそこまで自信がある。なぜ心配にならぬ」と。「自分で建てた建物の欠点は棟梁本人がいちばんよく知っているであろう。どこに雷が落ちそうか、大風が吹けばどこの軒があおられるか、すべて知っているのが棟梁じゃ。気にかからぬか」

その問いを聞きながら、又右衛門は吹きつける雨の中、笑いながらこう答えたのだ。「心配なのはよくわかる。だがな、建ててしまった後では、もはやどうにもならぬではないか。若いころはことにそうだった。お前の百倍も気に病んでおったとも。

だが建ててしまったものは、どうにもならぬ。そのことに気づいてから、わしは目の前の仕事で決して手を抜かぬようにした。大工にできるのはそれだけだ。それ以外になすべきことはない」

「自分はここまで天下一の柱を見つけ、天下一の腕で組み上げた。これ以上できることはなにもない。それだけのことだ」又右衛門は七重五層の天守を組み上げるために、山奥深く分け入り神木ともされる檜を多数入手する。

送られてきた檜は、又右衛門とその一門によって経験と知恵と技術の粋を傾けられ、見事に組み上げられた。つまりはそれだけのことだ。目の前にある、ひとつひとつのやるべきことに手を抜かず、全力で真剣に取り組む。その集大成が、安土城となって形をなしたのだ。

成功とはどこか彼方にあるのではなく、目の前のやるべきことにこそある。そこでの真剣な取り組みの末に、栄光が輝くのである。とかく成功を夢見ると目の前のことがおろそかになりがちです。「ロ-マは一日にして成らず」とはよく言ったものです。一歩一歩の着実な歩みをしなければと諭されています。

明日は一日私用で会社を離れますのでカキコミは休ませて下さい。

2016.10.25

無人運転自動車開発 No.2912

 完全無人運転の自動車開発が世界的に盛んになっています。先月アメリカ・フォ-ド社はハンドル、アクセル、ブレ-キのない完全無人自動車を量産するとの計画を発表しました。

それでは完全無人自動化とはどこまでのレベルを言うのでしょうか。自動化レベルを次の5つの段階に分けていると言われています。まずレベル0とは私たちが運転している、車のすべてをコントロ-ルしなければならない一般的なものです。

次にレベル1は一部の機能が自動化された自動車で、運転の一部を自動化機能に任せているもので衝突回避や自動ブレ-キが備わっているものを指します。またレベル2とは複合機能による自動化で、少なくとも2つのコントロ-ル機能を自動で提供しているものです。

ただドライバ-は運転をこれらの機能に任せることができるが、安全運転のサイドから自動車からの突然の通知にも反応することが求められています。そしてレベル3として限定的な自動運転化ということで、ドライバ-は特定の交通や状況下において安全上重要な機能を自動車にすべて任せることができるというものです。

つまりドライバ-が運転できることは必要とされるが、常に路上から目を離さないということは想定されず、ドライバ-が運転をコントロ-ルしない限り、単独で動作するよう作られているものです。

最後にレベル4ですが、 運転者なしで自動車がすべてのコントロールを握り、走行中の安全の責任を負い、ドライバーが運転する必要はないものを指しています。

ですから完全無人自動化とはこのレベル4のことを指しているのです。日本でも2020年の東京五輪の開催に合わせて東京で自動運転を実証する取り組みが進められています。

ただアメリカのように自動車社会を前提にした街と、日本での公共輸送を中心に人が歩ける街とではその導入のしやすさは大きく異なります。対面でのすれ違いの難しい道路や、人と車が混在する場所が日本では多すぎます。

ですから導入できたとしても、限られた一部の箇所に過ぎないのではないでしょうか。ただ記事によると、高速道路でのトラックの無人隊列走行という、交通量の少ない夜間の高速道路で、トラックを無人隊列走行させて大幅な燃費向上とドライバ-不足を解決する計画もあると言います。

これなどはまさに物流の革新につながることですが、構造的な面でまだまだ課題が少なくないのではないでしょうか。でも私などはよく思うことですが、こうした完全自動でなくても一部の機能を自動車に任せるだけでも不安が付きまといます。

機械を信じきれるかといった問題と、人間は体の一部で使わなくなる機能があると退化していくということがあるからです。たぶん自分たちが生きているうちにそういった世界がやってくるのでしょうが、あまりそういったものに慣れたくないものです。便利過ぎるのも考えものではないでしょうか。