会長の”三行日記”

2014.11.25

喪中はがき No.2650

 年賀状は既に売り出されていて、もうそういった季節が近づいてきていることに気づきます。拙宅にも身内に不幸のあった方からの喪中はがきが日毎、届けられるようになりました。この喪中はがきについてのマナ-について、先日新聞で紹介されていました。

この喪中はがき、宗教行事ではなく慣習的なマナ-なので、特に明文化された決まりはないと言いますが、相手が年賀状の準備をする前に知らせたいことから、12月上旬までに出すのがマナ-だと言われています。

無料仏事相談のテレフォンセンタ-に寄せられる相談の中で、一番多いのが自分が喪中はがきを出す範囲に入るかどうかという問合せらしいです。その基本は下記の通りのようです。

①故人が1親等(親、子ども)なら喪中はがきを出す ②故人が2親等(祖父母、兄弟姉妹など)は自分と故人との間の親交の深さによって考える ③故人が3親等以下なら喪中にしない(但しこれも親交の深さによっては喪中とすることもある)

また年賀状を出す相手が会社の取引先などの場合は、相手側に気を遣わせることを避けるために通常の年賀状を出すことは構わないとのことです。

そして相手方の不幸を全く知らず、喪中はがきをもらって初めて気がつくことは少なくないことと思われます。親しい人ならやはりお別れがしたかったという気持ちがあるでしょうから、お悔やみに伺うか、香典に手紙を添えて現金書留で送るというのもよいそうです。

香典は49日前なら「御霊前」、それを過ぎたら「御仏前」となります。また香典の代わりに菓子、花を贈る方法もありますが、品物が他の人と重なっても困らないように、線香などにするのも一案だと言われています。

それから喪中はがきの中に、結婚や出産といった自分や家族の近況を書き添えてもよいかいう、相談が多いみたいですが、お祝い事を一緒に書くのは避けるべきと指摘しています。

そのときは寒中見舞いでお知らせした方がよいとされ、自分の近況などを年賀状で済ませる人が増えているみたいですが、出産や結婚などで近況が変わったときにはそのつど親しい人には知らせるのが一番だと言われています。

要はこの時期にまとめてではなく、筆まめに連絡をした方がよいとのことでしょう。でも身内に不幸などなく、喪中はがきの心配などない方が一番良いわけですね。この時期に纏わる話題でした。

2014.11.19

高倉健さん No.2649

 高倉健さんが亡くなられました。昭和の最後のスタ-とも呼ばれている健さんは独特の雰囲気を持った方でした。背中で演技ができる人はこの人を置いて他にいないのではないでしょうか。

各界からその偲ぶ声がたくさん届けられていますが、やはり健さんの人柄とも言えるものと思います。新聞にも書かれていた通り、東宝ニュ-フェイスの頃、俳優座に預けられたそうですが、自分では結構器用な方だと思っていたものの、バレエや日本舞踊など何をやっても不器用で仲間に笑われていたみたいです。

そんなことで何度も俳優を辞めようと思ってはみたものの、食える飯のタネがないことからこの道で辛抱していたわけです。そして東映の任侠シリ-ズでようやく当たって本格的な役者人生が始まりました。

それから任侠シリ-ズが少し下火になってきた頃、幸せの黄色いハンカチや八甲田山といった映画に出会ったことから、また違った健さんの魅力を引き出すことができてファン層が広がったわけです。

私もこの映画の他、鉄道員(ぽっぽや)など何本か観ましたが、いつも寡黙でストイックな健さんそのもののような役柄は味わいのあるものでした。駅という映画だったかどうか、記憶は定かではありませんが、相手役の倍賞千恵子さんが「夕べ私うるさくなかった?」と聞いたシ-ン、「まるでオホ-ツクまで聞こえるかと思った」とボソッと呟くセリフが忘れられないものです。

そんな健さんは「人生は切ない。切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」という言葉をインタビュ-で述べています。この年の3月11日に起きた東日本大震災での惨状から、もう一度自分自身を奮い立たせたみたいです。

演技に一層、切なさを抱えて生きる人の思いを込めたのです。その生涯で205本もの映画に出演したとのことですが、最後の作品となった「あなたへ」の映画ロケでは、震災のがれきの中、唇をかみしめて水を運ぶ少年の写真を台本に貼り付けて挑んだそうです。

毎朝音楽を聴きながらこれを見つめ、「宝物です。ぎゅっと気合が入る。被災地をずっと思っています」と語っています。心底優しい人なのでしょうね。享年83歳とのことですが、日本映画にこの人がいなくなると、とても寂しいものを感じます。心よりご冥福を祈ります。

明日20日より24日まで出張で会社を留守にいたします。しばらくの間、カキコミを休みますがどうぞご容赦下さい

2014.11.18

オフィス時計の寿命 No.2648

 先週末からすっかり冷え込んできました。もうズボンの下にタイツが欲しいくらいです。いよいよ冬将軍の到来ですね。さてこの寒さに合わせたわけではないでしょうが、やはり先週末より事務所の中にあるオフィス時計が止まってしまいました。

この時計はAC100Vの電源で動くタイマ-ですが、始業から休憩及び就業時の時間をメロディ-で知らせてくれています。バックアップの電池はつい先頃交換したばかりですので関係ないと思うのですが、何度か調整して時が進むようにしたものの、しばらくすると時計そのものが止まってしまうのです。

これでは素人の私たちにはもうお手上げです。考えてみると工場・事務所を新築したのが平成3年の3月、今から数えると23年以上の時が経っているのです。このときに建物にセットしてもらった製品ですから、そろそろ寿命がきたのではないでしょうか。

こういった電気製品を扱う我が社もその一員ですが、よく電気製品や部品の寿命は20年から25年と言われています。それだけに交換せよというお知らせではないかと思いました。

もちろん当時と同じ製品はないのですが、同じような週刊式のメロディ-ウィ-クがカタログを調べたら載っていました。これなら互換性がありそうなので、修理に出しても同等な金額が掛かると思い、新しいタイプを購入することにしました。

それにしても、時を自動的にメロディ-やチャイムで知らせてくれないと不便なものです。弊社は始まりの8時半に毎朝、朝礼を行っているだけに始まりを音で知らせてくれないと集合が掛けにくいわけです。

また10時からと3時からの10分間もその始まりと終わりに、やはり時を告げていて、これがないと社員が休憩時間も気がつかないような始末です。こうした長年の習慣というものはしっかり身についているだけに、なかなかこうした不測な事態に対応できないものです。

人間はこのように、自動的に機械や装置に自然と飼い慣らされているとも言えるわけです。近年、様々な機能を持つ製品が登場し、益々私たちの生活は豊かで便利になっているわけですが、一方ではこれがないと人間がままならなくなるということもあるわけです。こう考えるとあまりにも文化が進み過ぎるというのものも善し悪しですね。