会長の”三行日記”
2014.12.01
榛原支部経営指針委員会から No.2653
本当に早いもので今日から師走、カレンダ-は最後の1枚となりました。雨でのスタ-トとなった師走は今日はまだ温かいものの、明日から厳しい寒気が入り込むというから要注意です。くれぐれもご自愛ください。
さて金曜日の夜は榛原の静波に行ってまいりました。中小企業家同友会榛原支部・経営指針委員会の報告者としてお呼びいただいたからです。会場はスウィングビ-チという東急ハ-ヴェストクラブの1つで、南欧風のリゾ-トホテルの雰囲気を醸し出している素敵な場所です。
夏の海水浴場と知られる静波海岸ですから、さぞかしシ-ズンのピ-ク時には賑わいを見せるのではないかと感じられました。こんな素敵な場所に宿泊まで用意して頂き、報告させてもらうのは本当に有難い限りです。
何しろ自分の支部でも最近ほとんど報告などという機会がないだけに、自分自身の歩みや、やってきたことの検証をする意味でも良いチャンスだったと思います。内容は経営指針委員会だけに、「我が経営を語る」形式ながら県の指針を創る会に携わっていることから、その関係する話が中心となりました。
現在、第11期を迎えている県の指針を創る会ですが、第1期の受講生として関わって以来、その後もスタッフとしてずっと関わり続けている理由などから、自社の会社変遷に続いて話し始めさせていただきました。
自分自身でも改めてなぜだろうと問いかけてみたところ、次の理由が見つかりました。まずスタッフになっていると言えども、受講生の悩みはそのまま自社にも置き換えることができるとも言えます。
またメンバ-それぞれの前向きな取り組みに大きな刺激を受けるからです。苦しいのは皆同じで、そんな中でも何とかしようという戦略的な話を持ち合わせているのです。
それに自社の業界では見えていないところが他業種の目からは気がつくことがあり、異業種の話こそ自社でも大きなヒントになるからです。それから誰しも楽な方に逃げ込みたいところがあるゆえ、ある程度自分自身の逃げ道を塞ぎ、追い込んでおきたいという気持ちもあるのでしょう。
そして何よりも素晴らしい仲間との出会いがそこにはあるからです。またその他の報告では時代の求めるものとして、大したものではないかもしれませんが、自社の差別化戦略についても述べさせていただきました。
その他、同友会に求めるものや今後の課題についても触れ、報告を締めくくりました。約45分の報告が5分ほどオ-バ-したのかもしれません。でもこうした私の拙い話ながら、熱心に最後まで耳を傾けてくれた榛原支部の方々には本当に感謝しています。やはり報告者を引き受けると、何よりも自分自身が一番勉強になるものです。
2014.11.27
汚職 No.2652
中国の汚職を記述した、こんな記事があります。まさに腐敗した権力構造そのものですが、習近平政権がどこまで本気で払拭する気があるのか問われることでもあるわけです。
中国政界の汚職事件に、「四知(しち)」の故事を思い浮かべた方もあろう。後漢の時代、楊震(ようしん)という人が、ある地方の太守に赴く途中、夜遅く一人の役人が訪ねてきた。
懐から金を出して、誰も知る者はありませんから、と手渡そうとした。賄賂である。はねつけた言葉が後世に残った。「誰も知らないことはあるまい。天知る。地知る。君も私も知っている」。すなわち四知。
楊震の爪の垢(あか)が残っていたらと、中国の国民は思っただろうか。こうした故事が光るのも、官位で私腹を肥やす者が古今東西に絶えないからだ。巨悪から小悪まで、中国共産党の歴史も腐敗と粛正のせめぎ合いだった。
摘発された周永康氏は、最高指導部に名を連ねた超大物である。周氏一族らから当局が没収した財産が、1兆5千億円に及ぶと聞けば驚く。白髪三千丈ばりの誇張ではない。
司法や警察を統(す)べ、石油業界を基盤としただけに、うまい汁の出どころには敏(さと)かったようだ。中央から地方まで、かの国では腐臭が充満し、民衆の不満は爆発寸前という。
習近平政権は、周氏という「巨大な穴」で危険なガスを抜く算段らしい。法治による正義というより、見せしめ、さらには権力闘争の色が濃い。共産党にはびこる腐敗は根深く、絶やそうと日にさらせば党自体が滅びかねない。
いわば、水虫の退治に足を壊死(えし)させる覚悟がいるほど深刻だ。習政権にその意思はあるまい。清廉(せいれん)の士の故事は苔(こけ)むして、いまや隣国の新聞に引用されるだけの存在であろうか。
これとは全然比較にならないでしょうが、静岡市役所でも職員が業者に事前に入札金額を漏らすという不祥事が起こりました。おいしい餌に釣られて仕出かしたことでしょうが、何とも浅はかなことです。これで一生を棒に振るなんてずいぶんつまらない話ですね。
中国の高官の方は周囲にそういったことが蔓延っているだけに、自分だけやらなければ損だということでしょうが、時の政権が本気で撲滅しようとしなければ、やがては国そのものが滅びるというものです。「李下に冠を正さず」疑いを受けやすいところにいれば心して掛かれということだと思います。
明日28日は出張のためカキコミを休みます。
2014.11.26
ちょっと良い話116 No.2651
横綱・白鵬がとうとう大横綱・大鵬さんの優勝記録に並びました。その充実ぶりから時間の問題だと思っていましたが、あっけなく達成したものです。その白鵬関に関したちょっと良い話を紹介したいと思います。
白鵬はいま、横綱としての自身をこう表現する。「綱の責任を背負い続けることで、私自身が成長させてもらっていると思う」最大の転機が、自身の26度目の誕生日だった。八百長事件で春場所の中止が決まっていた、2011年3月11日。
それ以前から不祥事が続いた大相撲を嘆き、白鵬は投げやり気味にこう言った。「もう、引退するんじゃないか」。その数時間後、東日本大震災が起きた。
3カ月後、日本相撲協会は東北の被災地を巡回慰問した。「大地を鎮める」とされる、横綱の四股。「よいしょ」のかけ声。そのとき、土俵入りでせり上がる白鵬の目に、何十人もの被災者の姿が飛び込んだ。
家を、街を、親を、子を失った人たちが、避難所で無慈悲な労苦を背負わされている人たちが、自分を、拝んでいた。「生涯、忘れられない」と語る光景だった。
瞬間、自問したという。横綱とは、何か――。「横綱とは、日本の魂なのではないか。私は、日本の魂でなければならないのではないか」以来、「横綱として、いかに生きるか」を自らに問いかけ続けている。
常にその手本としているのが、「角界の父」と慕う大鵬だ。大鵬も白鵬を「私に似ている」と息子のようにかわいがった。生前こう語っていた。「白鵬なら私の優勝回数を超えられる」
昨年1月。初場所5日目の朝、体調を崩した大鵬を白鵬が自宅に見舞った。同じ高みである「優勝32度」への志を伝える白鵬に、大鵬はこう言った。「努力次第だよ。そのかわり、いい加減なことはするな」。それが遺言となった。2日後、大鵬が亡くなった。
あれから8度の優勝を重ねた白鵬は場所前、「32度目」への思いを問われ、こう語った。「大鵬親方との約束です」32度目の表彰式で、あの「魂」という言葉を口にした。「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたから、この結果があると思います」大鵬との約束を、いま果たした。
もうこの横綱はモンゴルとか日本といった国の違いなど超越しているように思えます。むしろ今までの横綱と比べても、よっぽど日本人らしいとも言えるのではないでしょうか。相撲はよく心・技・体が揃わなければと言われていますが、久しぶりにそれを備えた大横綱が誕生しました。益々その活躍を祈りたくなりました。