会長の”三行日記”

2016年02月

2016.02.29

山の日 No.2816

 今年2016年から8月11日が山の日ということで祝日になります。このためお盆の休みと繋がり、以前より早めに夏季休暇をとる会社が少なくないことと思われます。その名前のとおり、この日から山に出掛ける人も多いのではないでしょうか。

さてこの山の日にちなんで、登山家の田部井淳子さんと、田部井さんをモデルにした小説を執筆中の作家・唯川恵さんの、山の魅力を語り合った対談記事を読みました。

田部井さんはご存知の通り、ちょうど40年前の1975年に女性として初めてエベレスト登頂に成功した方です。そして1992年にはやはり女性初の7大陸最高峰の登頂に成功しています。

そのくらい偉大な登山家として知られているわけですが、最近そのヒマラヤを訪れたそうです。40年前にお世話になった人たちにお礼を言うためということです。でも麓の村々は民家が増え、カラフルな建物も並んでいて結構、様変わりしているようです。

そして当時のシェルパのほとんどはすでに亡くなっていて、40年という歳月を実感したとのことですが、山そのものは全然変わっておらず、改めて大きな存在だと思ったそうです。

また昨年のネパ-ル大地震からまもなく1年が経とうとしていますが、現地の人たちが一番心配しているのが観光客が減ることです。観光に生計を頼るところが多いだけに、田部井さんの故郷の福島同様、美しい自然があるのにパタッと人が来なくなることを心配しているわけです。

福島でも現地に行って食べて、お土産を買うことが応援になると思っていることから、被災した福島の人たちとも毎月、ハイキングを続けているそうです。山では日頃の悩みを忘れ、前向きになれるからです。

この10年くらい山に登る女性が本当に増えていますが、登る環境も整ってきたし、山の魅力である素晴らしい風景を楽しめる人が多くなったからと言います。そして山は男も女も上司も関係ないわけで、登るのは競争ではなく、一歩一歩進むのはみんな同じですごく平等だと話しています。

でもそうした今の時代ではなく、男は仕事、女は家庭という、女性が置かれていた立場の大変な時代に、偉業を成し遂げた田部井さんの生きざまに凄まじいものがあるわけです。そんな観点で唯川さんは小説に書いてみたいと言われていました。

とにかく誰も成し遂げないことを先頭切ってやることの素晴らしさを感じます。山の日の意義は山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝するということらしいのですが、苦労して登るからこそ達成感が増すわけです。今年はまだ1回も登っていませんが、できれば何回も親しみ、山の持つ素晴らしさをまた味わってみたいと思っています。

明日は人間ドックに出掛けることもあり、帰社後、納品等の業務に追われるため、カキコミを休ませていただきます。

2016.02.25

21世紀枠出場校見学その2 No.2815

 小豆島高校野球部の続きです。杉吉監督のお話しでは秋には決勝で高松商に勝ったというものの、その前の夏の大会では3回戦でコ-ルド負けを喫したと言います。たとえチ-ムの編成が異なっていても、リベンジに燃えて夏以降、かなり猛練習に取り組んだのではないでしょうか。

でもお話を聞くとこの学校、結構生徒の自主性に任せているみたいです。こうした練習も、月の初めに監督が全体練習のスケジュールを選手にわたし、選手はそれにそって練習メニューを考えると言います。私が監督と話した後でも生徒が3~4人、グランドに出てきて自分たちだけでフィ-ルディングの練習をしていました。

また目についたのが17人の部員が全員いたわけではありませんが、目にしたほとんどの部員がいわゆる野球部独特の丸刈りではなく、髪の毛をのばしていたことです。このまま甲子園にも出るのですかと聞いてみたところ、丸刈りに変える理由は何もありませんという言葉が返ってきました。

そのくらい信念を持って子どもたちと接触しているのでしょう。後で知ったのですが、杉吉監督の赴任当時、負けて当たり前という雰囲気が部に蔓延していたと言います。それを払拭するため、島外から講師を招いて科学的なトレーニング理論を取り入れる一方、根性主義の象徴でもある丸刈りを廃止したとのことです。

そしてその改革が実り、2012年の春の香川県大会優勝という快挙を成し遂げたのですが、当時の部員はわずか12人だったと言います。その快挙の影には、杉吉監督が掲げる「エンジョイベースボール」というモットーがあるようです。

部員数の少なさをハンディではなく、メリットに変える工夫をしているのです。逆に言えば部員数が少ないため、効率的に練習ができ、一人ひとりへの指導もきめ細かくできるわけなのです。

少し写真も撮らせてもらったのですが、グランドの横にはマシ-ンでバッティングができるゲ-ジが3つもあります。こうしたところも少ない部員を補う工夫で、人数の割にはそれなりにバッティング等も効率よくできるのではないでしょうか。

とにかくこのような学校を眺めてくると、ただ野球だけをやっていればよいという学校ではありませんから、我が母校にも結構参考になるところがあるものです。そしてもう一つ、忘れていたのが地域の人たちに練習時から積極的にその光景を見てもらっていることです。

ネット裏の観覧席にはそのようなメッセ-ジも貼り出されていました。お互い張り合いが生まれてくるということなのでしょうか。応援する周囲の人たちと一体となることも、また違った力を引き出すことになるかもしれません。是非こうしたチ-ムに温かい声援を送ってあげたいものです。

2016.02.24

21世紀枠出場校見学 No.2814

 全研の帰り、家内の実家が小豆島ということもあり、実家で1泊させてもらうことにしました。19日のお昼で全大会が終わった後、フェリ-で島に渡ったわけですが、何度も訪れているこの場所ですから観光も不要で、夕方まで何をしようかと考えたところ、選抜の21世紀枠に選ばれた小豆島高校のことを思い出しました。

折角の機会だから少し練習風景を眺めてみたいと思ったのです。思いついたら矢も楯もたまらず、父の車を借りて早速、同校のグランドを覗きに行きました。ところが生憎、グランドではそれらしき練習をしている姿が見えないのです。

でも折角来たのだからと思い、一部グランドの近くにいた野球部員らしき生徒に声を掛けてみました。そうしたところ、テスト期間中のため今日はボ-ルを握った練習をしないということを教えてくれました。それでもあそこに監督さんがいることを告げてくれたのです。

こちらもほとんど自分の都合で行ったのですから、全く図々しい以外何物でもないのですが、監督さんに声を掛けさせていただきました。やはりこちらの人は親切ですね。誰もいないグランドのネット裏にある小さな観覧席に案内してくれ、部員にも座布団を持って来させ、丁寧に応対してくれたのです。

もっともグランドで通常の練習をしていれば、とても門外漢の私などにはかまってくれないわけですから、ある意味ラッキ-だったわけですが、名刺まで頂きながら少しお話を伺うことができました。

一部報道されているように監督は慶応大学で野球を4年間やった後、銀行員として勤めていたのですが野球の夢が捨てきれず、銀行を辞めて教職の道を目指したのです。大学時代は1年生からレギュラ-となり、4年のときにはリ-グ優勝まで果たしているのです。

そのくらいバリバリの現役時代を送った方ですが、見た目には体も大きくなく普通の人のように思えたほどです。ですから内に秘めるものが凄いのでしょうね。伝えるところによるとこの監督が来てから、かなり練習も厳しくなったと聞きます。

昨年の秋はこの香川大会の決勝で高松商を2-1で破り、四国大会に進んだのですが1回戦で敗れ去ってしまったというのです。でも四国大会で勝ち進んだ高松商が、その後の明治神宮大会で優勝したのですから、実力も備えた堂々たる21世紀枠選抜校と言えるのではないでしょうか。

この後、まだ少し長くなりますので明日、また続きをお話しさせていただきます。

2016.02.23

高松での全研からその2 No.2813

 高松全研からの続きです。この徳武産業・十河会長は奥さんの父の急逝により社長に就任したのですが、従業員との対立や業績不振などの過去の自社を振り返り、自分のおごりや自惚れにに気づく機会を様々な人からいただいたと言われます。

そして菩提寺住職の言葉にも経営者として強く心が動かされ、お客様の心に寄り添うサ-ビス・経営方針を究めていくのです。今では同社に届く「ありがとう」の数は日本一であり、それが私たちの勲章だとまで言い切られています。

またお客様アンケ-トに答えてくれた方々には全て2年間、記念品と社員の自筆での礼状を届けているとのことです。「念ずれば花ひらく会社の利益を真っ先に優先せず、困った人を助け人の心に届くサ-ビスを貫き続けた積み重ねが今日に繋がっていったのです。

講演の最中、お客様から届けられるお礼の言葉なども紹介されるたびに、ああこんないい会社が本当に存在しているんだと、感極まって思わず涙が流れ出たものです。

この全大会の最後のまとめとして、中同協の広浜幹事長が今大会の学びとして以下の3つのポイントを挙げていました。

1つ目は改めて何のために経営しているのかを問われたと言います。この講演でも話されていたように、損得よりも善悪、人が喜んでくれるのが人間はとても嬉しいことです。

そうした人に感謝される仕事をしたい。自社の仕事をいかにこうした憧れのものにしていくのかを考えていきたいと指摘しています。

それから2番目として同友会の学びを誇りとして覚悟を持って実践していこうということです。

そして最後に地域の期待に応える同友会を創ろうといい、自社が良くなっていき、地域を活性化していこうと言われていました。

まさにどれも記念講演の徳武産業が実践していることばかりです。この会社は駐車場のすぐ横が田んぼということもあり、社員の車は全て田んぼに向かって、きっちり前向き駐車をされています。

    十河会長の記念講演の様子です。

あゆみの靴愛用者からのこんな素敵な礼状も紹介されていました。

そして近隣の田んぼの草取りにも社員が参加したり、定期的に周辺の清掃にも取り組んでいます。また地元の学校の通学路にも面しており、学校までの道のりが長いため、会社にトイレを借りにくる生徒もあると言います。

そうした生徒のためにも、会社内に気を遣わず使えるように、わざわざ専用のトイレまで作って用意しています。何という素晴らしい、地域から愛される会社ではないでしょうか。こうした人を生かす経営の実践で、まさに地域の明るい未来を創っている実例なのです。

その一部でもよいから見習い、人の心に届くサ-ビスを自社の事業にも採り入れ、愛される企業を目指したいという思いが強く持つことができた今回の高松全研でした。

2016.02.22

高松での全研から No.2812

 香川県高松市で開かれた中小企業問題全国研究集会に行ってまいりました。全国各地から集まった参加者が約1350人と聞きました。我が静岡からは44人と、比較的多い方の参加だったのですが、19ある分科会のうち2つの分科会報告者を担当していたこともあったのでしょう。

結論から申し上げると、やはり全国に出掛けて行っただけのことは十分あるというものです。今回の全研で改めて「何のために経営しているのか」ということを大きく問われました。特にその問題提起を投げ掛けてくれたのは、2日目全大会で行われた徳武産業・十河会長の記念講演でした。

奇跡を起こしたピンクの靴」と名付けられた演題だったのですが、今から22~23年前にお年寄りが転ばないような靴をつくってくれいかとの依頼が、この会社にありました。特別養護老人福祉施設を運営している友人からです。

当時、徳武産業はル-ムシュ-ズや旅行用スリッパを企画製造していました。依頼を受け、ご夫人と共に30か所以上の老人施設を回り、500人以上にも及ぶ高齢者の生の声を聴いたと言います。

そのお客様の声により、左右別々のサイズや仕様違いの靴の組合せなど、靴業界の非常識とも言える靴づくりに挑戦していったのです。これが現在、あちこちの施設や高齢者からお礼のハガキがたくさん届けられる、「お客様に寄り添い笑顔を届けるモノづくり企業」の出発点となったのです。

ただ2年間に渡るケアシュ-ズ開発に没頭するあまり、十河さんが社長を引き継いで以来、初めての赤字を出してしまったのです。でも「それは必要不可欠な赤字」と言い、「ベストのタイミングでベストの金額で、あの赤字がなければ今はない」とまで言い切っています。

徳武産業の考え方は「損得」ではなく「善悪」であると十河会長は語ります。そして業績ではなく継続を目指して歩み続けるこの会社にピンクの靴が奇跡をもたらすのです。

同社HPに載っている、奇跡を起こしたピンクの靴という話をちょっと紹介させて下さい。あるおばあちゃんがかわいいピンクの靴を買ってくださいました。施設の方から「売りつけたのじゃないか」とご質問いただいたのは、その方が3年も寝たきりだったからです。

おばあちゃんは「かわいいピンクの靴がもう一度履きたい」その思いで自ら買ってくださったのです。ある日、施設の方から再び連絡をいただきました。「おばあちゃんがピンクの靴を履いて歩いたんですよ」というのです。

わたくしどものあゆみを通じて、ひとつでも多くの喜びを創りたい。その思いを胸に、一足一足我が子のように送り出しています。続きはまた明日紹介させて下さい。

2016.02.17

ちょっと良い話127 No.2811

 大病院を変えた一人の少女の死という、ちょっと良い話です。東北大病院の正門前にそびえる高さ約3メートルの救命救急の碑。元病院長の山田章吾(67)は碑を建てるきっかけになった16年前の事故を一日たりとも忘れたことはない。

1999年6月23日午後6時35分頃、病院正門前の歩道で自転車に乗っていた宮城一女高(現・宮城一高)2年の女子生徒(当時16歳)がバランスを崩して車道に倒れ、後ろからきた市バスにひかれた。「痛いよ」。苦渋の表情を浮かべていた。

居合わせた誰もが、目の前にある東北最大の医療機関に搬送されると思った。ところが、女子生徒を乗せた救急車が向かったのは、約3キロ離れた別の病院だった。当時、東北大病院に救急部はあったが、現在の高度救命救急センターのように常時患者を受け入れていなかった。診療は夜間や休日に限られていた。

研究第一主義を掲げ、不測の患者に対応する救急医療は研究の妨げになる――。そんな意識が大学側にあったのかもしれない。女子生徒は約3時間後、息を引き取った。

「行ってきます」。朝、いつものように元気に家を出た娘がベッドで人工呼吸を受けていた。女子生徒の母(59)は搬送先の病院に駆けつけた瞬間、腰から崩れ落ちた。娘の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

新体操部の練習が終わり帰宅すると、リビングで片方の足を持ち上げて、クルクルと回った。「見て見て」。愛くるしい姿を父(61)は今も忘れられない。「目の前の大病院に運んでくれれば、娘は助かったのではないか」。そんな思いが、母の頭を行ったり来たりした。夫とともに精神科に通い、安定剤をのんだ。

どん底にあった家族を救ってくれたのは、事故現場に供えられた花だった。事故から4年後の2003年、両親は東北大病院に呼ばれた。病院長室で「助けてあげられず、申し訳ありませんでした」と頭を下げたのは、その前年に病院長に就任していた山田だった。山田を含めた3人の目から涙があふれ出た。

山田が病院長になって最優先課題としたのは救急医療の充実だった。専門はがんの放射線治療で門外漢だったが、事故現場に絶えることなく手向けられる花を見て、碑を建てることに決めた。

04年4月の除幕式で、山田は「救急医療に対する東北大病院の決意を示すものだ」と述べた。「目の前で倒れた人に手を差し伸べることができなかった。ここで医療に携わる者は、その反省をずっと胸にとどめてほしい」と願いを込めた。

06年、院内に開設された高度救命救急センターには、東日本大震災の際、80人を超える患者がヘリで搬送されるなど、多くの命を救った。女子生徒が生きた年月と同じ16年が過ぎ、母は言う。「そのきっかけを作ったのは娘だった。今はこう自らを納得させているんです。娘は、このために生まれてくれたんだなって」

少女がこのようにして亡くなったのはとても残念な話ですが、悲しいその死をその後、生かせていけば無駄にはならないものです。リ-ダ-の想いは大切ですね。

明日18日より19日まで中小企業家同友会全国経営研究集会が香川県・高松で開かれ、これに参加してきますのでカキコミは休ませていただきます。

 

2016.02.15

片浜産業クラブ10周年 No.2810

 地元の地域産業団体である片浜産業クラブが10周年を迎えました。早いものでもう10年も経ったのかというのが正直な感想ですが、あまり目ぼしい事業はやっていないものの、10周年を記念して先週の金曜日、リバ-サイドホテルで記念祝賀会を開催しました。

祝賀会に先立ち記念講演が、大阪の山田製作所・山田茂社長をお呼びして行なわれました。山田製作所はそれなりの方はご存知のことと思われますが、3S活動を徹底して行なっていることから、年間200社900人以上の見学者が国内のみならず海外からも訪れるという素晴らしい会社です。

また社長の山田さんは中小企業同友会の盟友でもあり、15年近くお付き合いさせて頂いている間柄です。そんなこともあって、当初、記念事業として何をやるかということになったとき、他にいなければ私が知っている素晴らしい会社があるからと言って、頼んだ方です。

でも中小企業家同友会では全国各地で講演を行っていることから、後で聞いた話ですが、今はその講演を控えていたみたいですが、私からの依頼は2つ返事で引き受けてくれました。嬉しいものです。

毎年この会社を訪れるイタリアやドイツの団体は、トヨタやパナソニックという日本を代表する企業と共に、そのスケジュ-ルに必ずこの山田製作所を加えていると言います。正直言って山田製作所は上記の大企業とは違った中小企業です。

ではなぜこの会社を訪れるかと言いますと、3S活動で整理・整頓・清掃が行き届いているからばかりではありません。その団体がインタビュ-に答え「昨日行ったトヨタの工場より面白い。なぜなら入社2年の若い社員が胸を張って自慢げに自分の会社を説明してくれる。そんな会社は自国には無い!」とまで言ってくれているのです。

つまり3S活動は良い会社を創る手段であって、決してその目的ではないのです。日々実践するその活動を通して、経営者や社員が一体となった意識づくりが形成されているのです。

またこんな話があります。入社したての社員が毎朝当番で行われている3分間スピ-チで全然話すことができません。そんなある日、運悪く見学者が大勢来た朝礼でその社員がスピ-チの当番に当たりました。

社長以下やはり心配でならなかったのですが当番を変えるわけにはいきません。こうして迎えたスピ-チも3分間全然話すことができませんでした。見学者が事後、必ず行われている社長の会社説明や意見交換会の席でこう話したそうです。

とにかく御社の素晴らしさに心打たれました。朝礼のスピ-チの時、何も話せれなかった社員さんを必死で応援しようとしている他の社員の顔を見て、私はつくづくこの会社は本当に良い会社だと

まさに素敵な企業風土が根付いている、この山田製作所さんにはとても足元に及びませんが、少しずつ我が社も前進していかなければと改めて強く感じ入りました。山田社長には本当に感謝しています。

明日16日は一日、納品業務等で追われるためカキコミは休ませて下さい。

2016.02.10

松山選手の2勝目 No.2809

 米ツアー・フェニックスオープンで松山英樹選手が2勝目を飾りました。私も月曜日の早朝、仕事に行くまでの間、このテレビ画面に釘付けとなってしまったのですが、最終ラウンドでは決着がつかずプレーオフにもつれ込んでの勝利でした。

テレビを観ていた範囲では2打差で17番を迎えたときは、首位のファウラーが好調でしたので、今回も届かないかなと思っていました。ところが17番の比較的短いミドルホール(と言っても300ヤードは優に超えるホールですが)でドラマが待ち構えていました。

最初にティーショットを放ったファウラーのボールがグリーンをランで超えていき、奥の池にまでいってしまったのです。このショットは決して悪くはなかったものですが、アドレナリンでいつもより距離が出たのではないでしょうか。

これを見て次の松山選手は3ウッドで安全にグリーン手前に置いていったのです。この結果、池に落としたファウラーがボギー、そしてグリーン手前から難なくピンに寄せた松山選手がバーディーで、一挙に並んだのです。

そして次の18番までテレビを観ていたのですが、このホール、松山選手のバーディーパットは圧巻で見事でした。松山選手よりずっと近く2打目をピンに寄せていたファウラーでしたから、5m以上あった松山選手のパットが外れればほぼ優勝はないものと思われました。

ですが本人が今までで一番良いパットを打てたと言っているように、下りのスライスラインを見事に真ん中から沈めたのです。こうして両者プレーオフに突入したわけですが、その何ホール目かにも入れなければ負けという、追い込まれたパットを見事に沈めたようです。

まさにこの集中力に勝っていたのではないでしょうか。この松山選手、今まで国内6勝、海外2勝しているのですが、このうちの4勝がプレーオフによるものと言われています。しかも全てプレーオフをものにしているのです。

ですからそのくらい勝負強いのです。また今までのプレーオフの全ホールでボギーがないというのです。このことからも今後のメジャー制覇に向けても、私たち日本のサポーターとしてずいぶんと心強いことではないでしょうか。

とにかく今シーズン2戦目から良いスタートが切れました。これで4月のメジャー初戦となるマスターズがとても楽しみになります。夢の日本人メジャー制覇も俄然、現実味を帯びてきたというものです。やはり日本人が勝つのは嬉しいものです。

12日の金曜日は納品やら他の業務でカキコミができませんので、ご容赦下さい。

2016.02.09

春節と爆買い No.2808

 今日8日は中国のお正月に当たる春節の新年最初の日となります。春節とは中国の伝統ある祝い事であり、中国だけではなく、全世界の華人にとって最も大切な伝統的な祝日となり、多くの人は一週間の連休になります。

大晦日に当たる7日から13日の土曜日までの7連休となるわけですから、この間、休日を旅行に当てる人も少なくないことでしょう。こうして連休中、日本にやってくる人もいるわけですが、中国景気の停滞で言われている爆買いも少し鳴りを潜めているようです。

今年1月になって発表のあった、中国の15年国内総生産は経済成長の減速ぶりが鮮明となっています。そもそも日本を訪れる中国の富裕層は資産を土地で持つ人が多く、中国国内で株だけでなく不動産価格が下落するときは観光にも大きな影響をもたらすのではないかと言われています。

従って爆買いの対象になっていた化粧品などのモノ消費だけでなく、美容サロンの利用などの体験型コト消費を含め、ニーズの多様化を求められているわけです。また東京や京都といった定番の観光ルートだけでなく、日本各地の東北や四国など、他の地域にも足を延ばしてもらい、様々な文化体験といった消費を喚起したいというのが受け入れるこちらの狙いのようです。

このような流れにより、今までの爆買いから日本各地の“穴場”観光に着目しているような記事が伝えられていました。有名観光地を一巡したリピーターを中心に、何の変哲もない赤ちょうちん街や路地裏などに外国人が続々と姿を現しており、地方へも本格展開中とのことです。

長野県の場合は、地域の伝統の祭りや温泉に入る猿を見ようとする外国人でごった返す騒ぎになったりしていて、地元では、経済効果にとどまらず「外国人が普段の日本の姿に関心を持つようになった」と歓迎する声も出ているそうです。また周遊券などの格安チケットに群がる人も少なくないと言います。

いわゆるごく普通の日本社会を見たいという関心が、こうした穴場観光に繋がっているわけです。ですから東京などでも一般の観光ルートのほかに、書店街やターミナル駅近くの一杯飲み屋の赤ちょうちん街をのぞいて歩く外国人も増えているとのことです。

まあこれは中国人というよりは、他の外国人も含めた彼らによる日本観光の深まりと期待される動きのようですが、今までの爆買いを含めた日本観光の定番的流れが変わってきているということも言えるわけです。

逆に言えば今までの定番的観光などではこの先、多くを望むことができないとも言えるのではないでしょうか。ここでも差別化が求められているわけで、無策なありきたりの観光に頼ることはできないということです。

ですからもう1回、日本古来の伝統文化を見直し、景観を生かした骨太の観光戦略の策定が求められているということでしょう。つまり私たち製造業に限らず、ここでもありきたりのものではなく、一層、独自の経営戦略が不可欠ということなのです。

2016.02.08

北朝鮮の蛮行 No.2807

 またまた各国の忠告を無視して北朝鮮が大陸間弾道ミサイルを発射しました。今まで擁護していた中国まで、ほとほと手を焼いたようで庇いきれなくなってきた様子です。まさにこの蛮行は世界の中で益々孤立化を極めていくものと思われます。

発射があったのが日曜日ですが、そのちょっと前の土曜日の午後、折しも沼津でこの北朝鮮による拉致問題を考えるシンポジウムが行われました。拉致被害者家族の横田さんご夫妻が沼津に来てくれたのです。

ちょっとそのお話を紹介させて下さい。現在この拉致被害者の家族では、夫婦揃っているのが横田さんと有本さんの2組だけになっているようです。そのくらい皆さん高齢になってきているわけですが、横田さんの奥さん早紀江さんも今月4日で80歳の誕生日を迎えたとのことです。

またご主人の滋さんに至っては85歳になるそうですが、正直、マイクの前でもなかなか言葉が出てこないほどの結構しんどいご様子だと見受けられました。お話によると娘・めぐみさんがある日突然いなくなってから、それが北朝鮮による拉致と判るまでには20年の年月が掛かったと言います。

警察犬による捜索でも、ある角から煙のようにすっかり消息が絶たれているのです。夫妻はその後、あちこちに問い合わせ捜しているのですが、拉致だと判るまでにそんなに長い年月を要したのは1つは日本政府の責任も少なくないということです。

それは1977年9月19日に久米豊さんという方が拉致被害にあったのですが、未遂に終っています。めぐみさんがいなくなったのがそれから2ヵ月後の11月15日ですから、可能性としては十分考えられたと指摘しています。

20年経ってそれが拉致による仕業だと判っても、早紀江さんは正直生きていてよかったという気持ちが強かったと言います。それが親心というものでしょう。そしてその61歳の時から20年近くの救出が活動が続いているわけですが、ニセ遺骨問題等、その後根本的な解決には何も繋がっていません。

そのとてもやりきれない想いが言葉の端々から伝わってくるものです。日本国民の命を守ることが国の使命で、拉致問題は最優先課題とまで安倍総理は述べています。しかし一向に解決への道は遠く、再調査を約束してからも1年以上も何も進んでいません。それだけに今の無策のままでいいのでしょうか。

こうした北朝鮮に対し、ある程度の制裁も必要だが核等の脅威もあることや、拉致問題解決への道が遠のく懸念を考えると、とても複雑な思いが家族にとって正直なところではないでしょうか。

ただ一つめぐみさんの子ども、キム・ウンギョンさんと一昨年、モンゴルで面会し、結婚して可愛い女の子をもうけていたことが唯一の嬉しい出来事だったと述べています。

とにかく一向に解決策が見出せない現状なのですが、横田ご夫妻を眺めているとこの先、そんなにも長い猶予があるとは思えません。それだけにせめて生きているうちに、一目だけでも会わせてやりたいと願うのが人情です。

豊穣の中ですきま風が漂っているのが今の日本」という締めくくりの言葉がとても印象的です。日本人は事が起きたばかりのときは皆、大いに関心を持ち大騒ぎするものだが、しばらく経つとすっかり打ち忘れ無関心となりがちです。私たち日本人が戒めなければいけないところです。対岸の火事とはしないことです。