会長の”三行日記”
2016年01月
2016.01.29
政治と金 No.2803
今朝は久しぶりの雨模様です。今日が雨という天気予報が以前から出ていましたので、昨日製品の搬入を急遽早め、納品させて頂きましたがやはり正解でした。最近の天気予報の精度に改めて感心しています。
さて昨夕、甘利経済再生大臣が辞任しました。週刊文春で報じられた、建設業者からの現金授受の問題からですが、全てをはっきり申し上げると言って会見を何日も延ばしていたのですから、何ともあっけなく情けない結果になったわけです。
甘利さんは大臣室と地元事務所の2回にわたって50万円ずつ現金を受け取ったとのことですが、そんなことすら政治家は記憶が飛んでいてすぐに答えられないほど、こうしたことにマヒしているのでしょうか。
またそれが10年以上前のことなら仕方ありませんが、つい2~3年前のことです。秘書を通じてのことかもしれませんが、明らかに見返りとか口利き以外、その受け取りは考えられないものだと思われます。
そもそも雑誌への告発者にとって度重なる現金授受の目的は、この千葉県白井市にある自社の建設会社と独立行政法人都市再生機構(UR)との、道路建設の補償交渉の口利きだったことに違いありません。
それがうまく進められておらず、費用対効果に見合わなかったことから告発に踏み切ったことと思われます。伝えるところによると甘利さんの秘書側から何度も必要だからと言って、現金をせびられていたとも言われています。
まさに政治と金、私たちが一番嫌っている醜い構造そのものなのです。また一部は政治資金収支報告書に記載したと言っていますが、そのほとんどは秘書が勝手に使ったなどと言われ、記載そのものもされていません。
それだけに辞任は免れないものですが、安倍内閣の重要閣僚として責任、特にTPPの問題などどうするつもりなのでしょうか。自ら招いたものとはいえ、無責任極まるものだと思います。
また録音までしていた告発者に、一部ハメられたようなことが言われていますが、火のないところに煙は立たないものです。それにしても最近の週刊誌のスク-プ合戦には凄いものがあるように思えます。
ベッキ-などの下種の勘ぐりなどには敢えて触れたくはありませんが、週刊新潮が報じたSMAPの独立騒動や、今回の週刊文春がスク-プした政治家の金銭授受疑惑等に人々に大きな話題を投げ掛けています。
この週刊誌、聞くところによると想像以上に人々の雑誌離れが進んでいて、その販売額が過去最大の落ち込みだと言われています。それゆえにこうした特ダネに活路を見出しているとも言えるのではないでしょうか。「壁に耳あり、障子に目あり」疑わしきことはするべかれということです。
2016.01.28
悲しいメッセ-ジ No.2802
軽井沢で起こったバス事故の遺族からのメッセ-ジを読ませて頂きました。突然の変わり果てた我が子の姿に遭遇した遺族の悲しみは、とても言葉には言い表せないものと思われます。無念さとやるせなさが交錯している想いを以下のように語っています。
「安全はマスト項目。子どもたちが何が大切なのかを気づけるような声かけが年長者の役目」。長野県のバス事故で亡くなった阿部真理絵さん(22)の父親(56)が20日、通夜の後に取材に応じ、二度と同様の事故が起こらないように願う胸の内を語った。
早稲田大4年の真理絵さんは希望の会社への就職が決まっていた。父親は変わり果てた姿で戻った娘を普段使っていたベッドに寝かせると、「おはよう」「元気か」といつものように声をかけたという。
「本当に明るく自慢の娘だった。多くの友人や恩師の言葉を聞き、とても楽しく充実した22年間を過ごせたことがわかった。泣いている人が多くて、その涙を見てどうしてもまたやるせなさがこみ上げてくる」と静かな口調で答えた。
事故について、「憤りを禁じ得ないが、いまの日本が抱える偏った労働力不足や過度の利益追求、安全の軽視など社会問題で生じたひずみによって発生したように思えてなりません」。
さらに「今日も多くの若者がバスツアーに出かけているでしょう。ぜひ自分の身は自分で守るということを考えてください。安全はマスト項目で、費用削減はウォント項目」と娘と同世代の若者に向けて呼びかけた。
その上で「ツアーはどんな内容かとか、ちゃんとシートベルトを締めろよ、とかの声かけをすべきだったと悔いている。親、兄弟、おじいちゃん、おばあちゃんとして子どもたちが何が大切なのかを気づけるような声かけをしてほしい。おせっかいとかうざいとか言われるかもしれないが、年長者の役目だと思う」と語った。
事故が起きた1月15日を挙げ、「私たちにとっては命日となるが、報道や旅行業者の関係者においては、毎年なんらかの発信、行動をしていただければ、今回の犠牲者がみなさんの心の中に生き続け、安全に対する意識のたがが緩むことを防げる一助になるのでは」と要望した。
父親なりに努めて冷静に話をしていることと思われますが、本当の胸のうちは怒り狂っているのではないでしょうか。もし自分がその立場なら、おそらくこのように落ち着いて語ることは到底できないことと思います。
まず失った者への悲しみから始まり、愛しさが募り、そして憎しみが増していくのではないでしょうか。数年前からの規制緩和の影響でこうした業者は倍以上になり、まともな運転手が引手あまたとなったことから、その質がだいぶ低下していると言われます。
また繰り返される安売り合戦で、人の命を預かる、一番大切な安全が軽視されているみたいです。言語道断のことですが、二度とこうした悲劇を起こさないよう願いたいものです。
2016.01.27
表純子さん No.2801
表純子さんってご存知でしょうか。その道の人なら知らない方はいないと思われますが、ベテランとして活躍している女子プロゴルファ-です。その表さんが昨年、ツア-記録更新となる155試合連続出場という記録を6月に達成しました。そしてその後も175試合まで記録を伸ばし続けています。
かつて鉄人と呼ばれたプロ野球の衣笠さんなどの記録と比べたら、175試合という数字は大したことはないと思われるかもしれませんが、2011年のシ-ズンから5年間フル出場を続けていると言いますから、やはり凄い記録と呼べるのではないでしょうか。
また野球と違って個人競技のゴルフは、プレ-ヤ-自身への負担も増すものと思われます。何しろ野球は個人の成績が多少落ちてもチ-ムが勝つということがあるでしょうが、ゴルフはそうはいきません。全て個人である本人の両肩に責任がかかってくるわけです。
その間、やはり平坦な道のりではなかったと言われます。2014年11月には試合当日の早朝に、母の他界を知らされました。ですが親族の後押しもあって、辛い気持ちに鞭打って試合に出場したのです。またゴルフですから背中や手首も痛めることもあります。
それでも周囲の「無理に出なくてもいいのでは」という声を振り切って、「振れないほどのけがではない」と我慢強くクラブを握り続けたと言います。この出場に本人がこだわり続けるのは、過去の悔しい経験があるからです。
プロテストに合格してから5年間、予選の成績が振るわずツア-への出場が十分得られなかったそうです。そのときの気持ちから「試合に出たくても出られない人がいる」という思いが強く、シ-ド権を獲得してからも下積み時代の貪欲な姿勢を忘れていないと言われます。
この困難が絶えない彼女のゴルフ人生を支えてくれたのが、キャディを務めているご主人の広樹さんの存在です。プレ-中はキャディに徹し助言を送り続け、家では余計な負担を掛けないように洗濯や掃除といった家事まで一人でこなしていると言います。
琴奨菊関のコラムでも触れましたが、まさに内助の功の逆パタ-ンでもあるわけです。これではプレ-ヤ-本人もゴルフだけに集中できるというものです。夫唱婦随で、いつまでもこの連続出場を伸ばしていきながら活躍してもらいたいものです。「仲良きことは美しかな」継続は力なりですね。
2016.01.26
歌舞伎 No.2800
日曜日、東京の浅草公会堂に歌舞伎を観に行ってきました。新春浅草歌舞伎というもので、社会保険協会が募ったバスツア-に家内と共に便乗させてもらったのです。この歌舞伎見物は私にとって初めての体験だけに、結構、新鮮でワクワクしていたものです。
1月2日にスタ-トした新春浅草歌舞伎は翌々日の26日が千秋楽ということや、休日の日曜日とあって客席は溢れんばかりの人で満員となっていました。出演者は尾上松也さんや中村隼人さんといった、新進気鋭の若手役者です。
私は歌舞伎に詳しくないから全然その名も知らなかったのですが、これらの役者さん、結構人気があるみたいです。最前列にはお馴染さんでしょうか、熱烈なファンが陣取っていました。
昼の部に行ったのですが、出し物は三人吉三巴白波、土佐絵、与話情浮名横櫛といった三話というか、三幕で構成されていました。最初はお嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三といったお馴染みの三人吉三の物語です。
この三人、知らなかったのですが皆、盗賊なのですね。「月も朧に白魚の...」というお嬢吉三の名台詞から始まった後、お坊吉三が現われ、奪った百両の金を巡って二人が斬り合いを始めたのです。
そして花道から和尚吉三が登場し、二人の諍いを仲介し、三人が義兄弟の契りを結ぶという一場面なのですが、私たちには予め貸してもらっていたイヤホンガイドがあったので、逐一その詳しい説明が耳から入ってきていたのです。
これなら歌舞伎を全く知らない私のような者でも楽しめるというものです。こうしている間に第1幕も終わり、配られた弁当を客席についたまま頂きました。事前に仕入れていったお酒をチビチビ飲みながらで、もうすっかりご機嫌です。
その間、歌舞伎などはやはり古来からの日本独自のものらしく、お客の座席まで弁当や土産物など売りに回って来るのです。この辺が洋物とは少し違った日本らしい風情を漂わせているものです。
こうして最後は昔流行った春日八郎さんの歌ではないのですが、お富、与三郎が再会する「源氏店の場」での有名な場面です。「イヤサ、お富、久しぶりだなあ」という名台詞も登場し、江戸風情を味わえる粋な世話物を楽しませていただいたわけです。
歌舞伎を初めて観たわけですが、決して違和感はありませんでした。むしろ三幕に分かれた舞台のセットもとても綺麗で、特に二番目の土佐絵など、新春に相応しい艶やかなものだったと思います。やはり伝統ある古来からの芸能だけに、しっかりとその重みと風格が感じられたものです。
2016.01.25
10年ぶりの日本人優勝 No.2799
22日は納品等の業務でカキコミができず、ご容赦ください。それにしても寒いですね。日本上空を覆っている強い寒気団の影響で、日本列島全般で冷え込んでいるようです。聞くところによると、沖縄でも雪が降ったと言われ、実に39年ぶり史上2回目とのことです。
もっとも沖縄は別としても、これが本来の冬の天気なのでしょう。くれぐれも風邪などひかぬようご自愛頂きたいと思います。さて、大関・琴奨菊が大相撲初場所で見事、初優勝を飾りました。千秋楽、大関・豪栄道を倒し、14勝1敗という見事な成績での優勝でした。
ちょうど東京からの帰り、海老名のサ-ビスエリアでこの一番を観たのですが、多くの人がこの画面に貼り付いていて、勝った瞬間、大変な騒ぎでした。それはそうでしょう、日本人力士が優勝を飾るのは実に10年ぶりと言われているからです。
朝青龍から始まって白鵬、日馬富士、鶴竜、旭天鵬、照ノ富士のモンゴル勢と、琴欧洲、把瑠都のヨ-ロッパ出身の二人という、外国勢しかその間、優勝していなかったのです。ですから私たち日本人からすれば待ちに待った優勝だったのです。
これで国技館に飾られている優勝力士の写真を掲げた優勝額にも、やっと1枚、日本人が入ることになります。やはり嬉しいですね。それにしても14日目を終わり、ただ一人1敗を堅持した琴奨菊関のプレッシャ-は相当なものだったと思われます。
それだけに重圧に打ち勝った自信は今後に繋がるのではないでしょうか。そんな関取に失礼なのですが、今場所誰がその優勝を予想できたのでしょうか。おそらくほとんどいなかったものと思われます。むしろ場所前の期待はライバルの稀勢の里にかかっていたくらいです。
そんな中からの優勝は誰よりも本人が一番嬉しいのではないでしょうか。何よりも過去に相次ぐケガの影響もあり、カド番を5回も経験していることからも、ここまで決して平穏な道のりではなかったからです。
苦難を支えてくれたのは昨年7月に結婚した、祐未夫人がいたからとも伝えられています。その同じ7月の名古屋場所、5度目のカド番で12日目を終え、5勝7敗という絶対的なピンチを迎えていました。
満足に稽古もできないまま出場して結果が出ないことから、本人は引退まで考えていたと言います。それを土壇場で踏ん張れたのもこの夫人のお陰だとも言われます。何とか勝ち越し大関残留を決めた後は、体幹や下半身を強化した新たなトレ-ニングを採り入れ、プラス思考も身に付けたと言われています。
また家に帰れば、栄養に配慮した食事や楽しい会話で癒やしてくれる祐未夫人の存在があるわけです。やはり内助の功に優るものはないものです。その夫人とも今月30日に結婚披露宴が開かれるということで、二重の喜びとなったわけです。是非、来場所にこの巡った来た絶好のチャンスを生かしてもらいたいものです。
2016.01.21
夕やけその2 No.2798
昨日の続きです。「そんな...ぼくがドロボ-みたいなことをしたら、かあちゃんがビックリするよ。かあちゃん、泣いてしまうもン...」私はその時、土手にすわって、彼に謝ったのです。私は、いや、私だけではなく、院長も保母も、みんな戦災孤児の名を彼にかむせていたのです。
それは常識でもあったのです。でも、ア-坊には通用しない常識なのでした。彼は母親の遺体を見ていない。だから「孤児」ではないのです。私は、自分も幸せな生い立ちではなかったから、あきらめることに慣れていたのかもしれない。
ア-坊や、そして多くの孤児たちに協力(?)して、あきらめることを、かしこい分別だと思っていたのじゃないか?それは「負ける」ことだったのです。ア-坊の脱走は、それからも続きました。何回も何回も...です。そして私は、迎えにゆくのです。何回も何回も。
彼の行く先は、わかっているのだから、私は時間を計って、バスや電車を利用して行けばいい。時には、私が先に言問橋に着いてしまうこともありました。私は橋の下へかくれて彼を待つのです。やがて、彼は、歩きつかれて、ほとんどよろめくようになって到着しました。
しかし私は、かくれたままでいます。せっかく大変な努力で辿り着いたものを、すぐつかまえてしまってはと思うからです。しばらく好きなようにさせておいてやろう...。そ-っと見上げてみると、彼は橋の袂にしゃがんで、石ころをいじったりしているのです。
そうして待っていれば、あの時、手をはなしてしまった母親が、うしろから背中を叩いてくれると信じきっているように...。やがて、こっちが辛抱できなくなり、「さ、ア-坊、もういいだろ?もう帰ろうよ」と手をさしのべると、ほんとうなら、抵抗するか泣き出すところだろうに、毎回同じことのくりかえしだから、照れくさそうに笑って、素直に帰ってきてくれたのです。
「夕やけ小やけ」を歌いながら、土手を歩いて帰ってきたのです。「夕やけ小やけ」は、子どもを愛した人が作った歌にちがいない。日本には、子どものために作られたこんないい歌があるのに、日本の子どもはどうして不幸せななのか。
”お手々つないでみなかえろ、カラスと一緒にかえりましょ...”というのだけれど、ア-坊が帰っていったのは、かあさんの待つ家でなく、衣食も不足の汚い貧しい施設だったことを思うと、永い歳月を重ねたいまも涙が流れます。
いつだったか沼津の町を歩いていて交差点を渡っている時、広告塔(?)から、いきなり「夕やけ小やけ」のメロディが流れてきました。当時(いまは知りませんが)、沼津の街に夕方流れるのが「夕やけ小やけ」だったのです。
私はハタと足が止まってしまい涙滂沱(なみだぼうだ)です。うしろから来た人が「急に立ち止まっちゃあぶないよ」というので、詫びるつもりで、ふりかえった私の顔の涙にびっくり、「イヤ...そんなに怒ったわけじゃありません」と逆に頭を下げられたものです。
ア-坊は、もういいオッサンになっているはずですが、その時、私は8歳の、そうです、8つのア-坊の手を引いていたのでした。いまどうしているのか、消息はつかめないけれど、かならず、子どもを愛し、子どものために、絶対の平和を死守する人になっていてくれると、私は信じているのです。
敢えて私がどうのこうの言わなくても、読んだだけで心温まる話です。
2016.01.20
夕やけ No.2797
地元の新聞に夕やけという、やはり地元の作家である西村滋さんの話が載っていました。とても素敵なコラムでしたので、是非紹介させてもらいたいと思い、そのまま記させていただきます。
むかし、戦争孤児の養護施設で働いていました。戦争で孤児になった子どもたちの補導員としてです。私は戦争ではなく病死で両親に早逝されていたのですが、孤児の心はわかっているというウヌボレもあったようです。
このところ、世界の「ここかしこ」で、バカな大人のために、戦災孤児(戦争に責任のない子どもたち)が増えてゆきそうな傾向に、私は、私が自分の分身のように大切に思っていた子どもたちのひとり、ア-坊(アキラ)のことを思い出さずにはいられません。
困らされたのは、みんなよく脱走することでした。巷の浮浪児になり、飢えて、病んで、死にかかっていたのが、体力がついてくると自由を求めて逃げてゆく。アタリマエだ、街へ戻れば、靴みがきでも新聞売りでも(そしてカッパライなど)して、自分で食べてゆけるからです。
ア-坊はよく脱走するのだけれど、逃げてゆく先が決まっているのが変わっていました。浅草は隅田川の言問橋の袂(たもと)なのでした。なぜなら、あの1945年、3月10日の東京大空襲の未明、母親と避難民にもまれているうち、手をはなしてしまい、そのまま再会できなくなっていたのですが、私たちは、母親はきっと死んでいるのだと、口には出さないが、そう思っていました。
離れてからもう2年も経っていたし、言問橋を渡ろうとしていた人々は、荷物に火がついて、みんな川へ飛びこんで全滅したと聞いていたからでした。母親が生きているのだったら、母親の方で施設をたずねまわってくれるはずなのだから...
ア-坊でもっと困らされたのは、ほかの子は逃げるにしても、途中で悪いことをして、電車賃や、パン代ぐらいは稼いでゆくの、だけれどア-坊はそれをしないのです。歩いてゆくのです。その施設は東京の郊外にあり、浅草まで子ども(8歳でした)の足では半日近く、途中コ-スをまちがえれば半日以上はかかるのです。
警察に保護されると、迎えにゆくのは一番若い私の役でした。保護される場所は言問橋に決まっているのだから、警察でも顔馴じみになってしまい、保護室に飛び込んでゆく私を見ると、少年係の刑事はニヤリと笑い、やりきれないよというポ-ズをとるのです。
私はペコペコと詫びまくってから、ア-坊を連れて、バス停までの川堤をゆくのだったけれど、決まってそれが夕暮れの刻(とき)になるのでした。まだ住宅の復興も中途半端の頃で、そのさみしい景色を補ってくれるように、美しい夕やけになることもありました。
保母がなけなしのゴハンでこしらえてくれた握り飯を食べさせているうちに、私は急に、こらえていたものがこみ上げて、「おまえ、どうして悪いことをしないんだ」と、補導員にあるまじきことを言ったのです。
「ちょっとチエをしぼれば、遠いところを飲まず食わずでテクテク歩かなくとも、なんとかできるのじゃないか?」すると、ア-坊は不思議そうな顔をして、私をゲンコツでぶっ飛ばすようなことを言うのでした。
続きはまた明日掲載させていただきますが、泣かされる心温まる話だから読んで下さい。
2016.01.19
マイナンバ- No.2796
国民的アイドルとも呼ばれるSMAPの解散劇騒動で、メンバ-がテレビの生放送で謝罪をしました。キムタク以外の4人が今の事務所を抜けて女性マネ-ジャ-と独立しようとした騒動ですが、一旦はこれでどうやら収まったようです。
でも謝罪の中でも、SMAPの存続やメンバ-を解散しないということについては触れずじまいに終わったみたいで、ファンの間でもいまいちスッキリはしないようです。事務所との9月の契約満了後、どうなるかの去就が注目されるところです。それにしてもこのグル-プの影響たるや凄いものです。
さて今月の初めから施工となったマイナンバ-制度ですが、思わぬトラブルに発展しかねないので用心が必要と指摘されています。国内に住む全ての人に割り当てられた、この12桁の個人番号ですが、ブログなどで自分の番号を公開するのは法律違反の可能性があり、罰則を科される恐れもあるそうです。
またレンタル店などが顧客の番号のコピ-を求めるのも違法行為になるとのことです。マイナンバ-法は定められた目的以外で、個人番号を他人に提供することを禁止しており、ブログやツイッタ-などに番号は掲載できなくなっています。
そして私たち会社においてもその管理に配慮が求められるもので、預かった番号のコピ-等の保管に、厳重な秘密保持に努めなければなりません。それから希望者に配られる個人番号カ-ドは身分証明書になるため、レンタル店やスポ-ツクラブの会員登録などで提示を求められるケ-スも出てきます。
しかし店が個人番号の記載されたカ-ドの裏面をコピ-したり、番号を書き取ったりすることは許されないそうです。でもそのカ-ドを紛失したり盗られたりすることは少なくないでしょうから、これからこの手の被害は増えていくものと思われます。
このマイナンバ-制度は1つには社員としての他、副業をやっている人の管理把握という目的もあるようです。現在では副業をしていても収入を確定申告すれば会社にはバレないみたいですが、これでは社会保険を正規に払うということにはならないみたいです。
今までは、1社からの収入のみで社会保険などの手続きを行い、他の会社の給料や報酬は、社会保険の対象外になっているケースが多くありました。これは1社で社会保険に加入していれば、手続きが済んでしまうという制度の欠陥によるものです。
こうした知らず知らずのうちになっていた違法状態を、このマイナンバー制度により是正し、正しい金額を徴収しようということです。確かに国民総背番号と呼ばれるくらいですから、1個人に対し1つの番号しかついてなければその把握が容易となるわけです。
でも多額の報酬を受けている人に対してはそれでいいでしょうが、収入が少なく他のアルバイトや副業をせざるを得ないという人にとっては、ちょっと気の毒のような気がします。とにかく無用なトラブルを避けたいものです。
2016.01.18
廃棄カツ不正転売 No.2795
今日は日本列島に延びた低気圧の前線の影響で、荒れ狂った天気となっています。こちらでは相変わらず、各地で見られる雪が降ることはありませんが、久しぶりのお湿りで乾燥していた周囲に少し潤いをもたらせてくれています。
さて週の初めながら明るくない話題を採り上げなければなりません。廃棄カツの不正転売の問題です。最初にこの問題が起こった時に感じたのは、正規に廃棄処分をしているのにも関わらず、とんだトバッチリで名前を出されてしまっているカレ-のココ壱番屋のことです。
同友会の支部の仲間にもこの経営者がいるだけに、気の毒に思ったからです。ココ壱番屋はまともな廃棄処分をしているのだから、むしろ企業として当たり前の正当な処理をしているのですが、廃棄処分を引き受けたその下の業者がとんでもない転売をしたことにより、名前を出されてしまったからです。
良いことで名前が出されれば構わないのですが、こうした問題で名前が挙がったりすると、人によっては一蓮托生のように誤解される恐れがあるからです。でも見方を変えれば変に使い回しすることなく、正規に廃棄処分をしようとしていたのだから、むしろ企業イメ-ジは良くなるというものなのですが...
それにしても悪いのは廃棄するはずの品物を転売した、ダイコ-という産業廃棄物処理業者です。そもそもこの問題が発覚したのは愛知県のス-パ-に並んでいた自社製品を、ココ壱番屋にパ-トで務める女性が見つけたからです。
本来、自社の厨房で調理するだけの食材がなぜと不審に思い、壱番屋本社に伝わったのです。本社にしても、自社が異物混入の疑いがあるとして廃棄処分したはずの品物が、廻りまわって売りに出されていてはさぞかし驚かれたことでしょう。
その数、何と2万7千枚が3県にまたがる34店舗の店頭で売られたり、商品の弁当の材料に使われたりしたと言います。またダイコ-から横流しを受けた業者は、壱番屋の段ボール箱に入れたままにしないようダイコーから言われ、箱を詰め替えて転売したと話しています。
そしてこうしたいろいろな業者の手を経ているうちに、ココ壱番屋の名前を出してもよいと変わっていき、ココイチのカツとして売り出されていたから発覚することになったのです。でも、もしその名前が隠されていたままだったら、人々が誰も気づかない、もっと恐ろしい結果になっていたかもしれません。
そう考えると食品って結構怖いものです。ですから私たち消費者はお互いの信頼関係に基づき、購入しているだけですから、それが今回の問題のようにその信頼が大きく覆されてしまえば、どうにも為す術がないというものです。
改めて企業のコンプライアンスを問われている問題なのですが、「災害は忘れた頃にやってくる」というわけではありませんが、一時期続いた食品偽装の問題を人々が忘れ掛けた頃、また新たな問題が発生するものです。健康に繋がる食のことだけに、私たちは十分注意をしなければいけない出来事です。
2016.01.15
マエケンの挑戦 No.2794
新年早々、軽井沢で悲惨なバス事故が起こってしまいました。運転手を含め14人もの尊い命が失われることとなりました。乗客のほとんどが大学生だったと聞きます。センタ-試験が行われるこの時期、大学が休講となりスキ-に出掛けたのが災いしてしまったのです。
元気に大学に通っているはずの我が子の、帰らぬ姿を誰が予想したことでしょうか。その心中を察すると、とても他人事ではないような切ない思いがするものです。犠牲になられた方々のお悔やみを心からお祈り申し上げます。
さてマエケンこと前田健太投手が夢の大リ-グ入りを果たし、ドジャ-スという願ってもない球団に入ることが決まりました。ドジャ-スは日本人のパイオニアとも呼ばれる野茂さんが永年所属したり、黒田投手もヤンキ-スに移る前はここで活躍したところです。
それだけに前田投手が結果を残すためには、良い球団を選択したのではないでしょうか。何しろこのドジャ-スはナリ-グ西地区を3連覇中の強豪で、投手を援助する打線も強力な布陣が揃っています。
またこのオフで昨シ-ズン19勝を挙げたグリンキ-という投手がFAで退団したことから、先発右腕が求められていたからです。彼は日本の広島球団に在籍中の9年間で、一度も長期離脱をしたことがないというタフな投手です。
ですから一部に伝えられている身体検査での異常というのも、問題ないのではないかと思われます。ただ唯一の不安としては、先発が日本より短い中4日のロ-テ-ションで、年間30試合以上の登板をこなさなければならないことです。
松坂、田中といった日本を代表する投手が、この影響で肘や肩を痛めたこともあり、決して油断はできないものです。その健康面や体力面に配慮さえすれば、技術的には切れのある球を制球よく、低目や両コ-ナ-に投げ分けられる力を持っているだけに、十分通用するものと思われます。
そんなわけで前田投手が目標とするのはドジャ-ス、ヤンキ-スに7年間在籍し、大きなケガもなく活躍した先輩の黒田投手でしょう。「無事これ名馬」という言葉もある通り、200回ぐらい投げても故障しないタフネスさや逞しさを持ち続けていて欲しいものです。
それにしても快く出してくれた広島球団にとっても、その恩恵は十分被ることができたのではないでしょうか。この移籍で一度に24億近い譲渡金が入ってくるのです。その一部は地元広島やキャンプ地の日南市や沖縄市への寄付を考えているというから、四方丸く収まることができています。
とにかく前田投手には昨シ-ズンの沢村賞という、日本を代表する投手だけにその実績通りの活躍を望みたいものです。でも彼が抜けた日本球界は少し寂しくなりますね。
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