会長の”三行日記”
2015年01月
2015.01.14
球団愛 No.2672
大リ-グ・ヤンキ-スで活躍した黒田投手が今季、日本に帰ってくることが決まりました。それも古巣・広島カ-プに入ることになったのです。契約は1年で年俸4億円プラス出来高払いと伝えられています。
ということは昨年ヤンキ-スでもらっていたのが1600万ドル(19億2000万円)ですから、米国残留なら広島の5倍の契約を交わせる可能性があったわけですが、それをかなぐり捨ててカ-プに戻ってきたわけです。
まさに何よりも強いカ-プへの球団愛によるものと思われます。もちろんその力が落ちたわけではなく、昨年まで5年連続で2桁勝利を記録しているのです。ですからまだまだ自分を高く売れるわけだし、大リ-グのヤンキ-スはじめ他の球団からも食指は伸びていたはずです。
元々、もし日本に戻るときはカ-プ以外は考えられないと言っていたみたいですが、日本を離れて7年経った今でもその気持ちに変わりはなかったようです。確かに年齢は39歳ですから、選手人生が終盤にあることには違いはありません。
でも今季から監督も緒方さんに代わったばかりのことで、球団にとってはこれ以上の強い味方であることは間違いないわけです。これで投手陣も今までのエ-ス・前田健太投手と合わせて盤石な体制ができあがったのではないでしょうか。
こうなると目指すのは優勝ということになり、2年連続で3位だった広島が優勝となると実に24年ぶりになるわけです。とても面白いペナントレ-スとなるのではないでしょうか。
それにしても5倍近い年俸を稼げるというのに、それを捨てて元の球団に戻ってくる黒田投手に、何とも言えない男気みたいなものを感じます。近年、割り切ったドライな選手が多いこの世界ではとても貴重とも言えるのではないでしょうか。
また向こうで出番がなくて戻ってくる選手がほとんどの中で、まだまだ十分に通用し働ける選手が戻ってくることは日本球界にとっても有意義だし楽しみなことです。
多分その背番号通り、15勝は挙げるものと思われます。宿敵巨人を力で倒すチ-ムが少なくなっていることから、アンチ巨人の私としても今年の広島-巨人戦がとても楽しみになりました。是非その活躍を応援したいものです。
2015.01.13
障害者の挑戦 No.2671
一昨日は各地で成人式が開かれました。少子化でどんどんその数が少なくなっていることと思われますが、この人たちが高齢化するときには年金等、国の負担がなくなるとも言われています。そんな余分な負担を掛けないよう、少しでもやる気に繋がる、しっかりとした政策を打ち出してもらいたいものです。
またこの日の早朝には、海岸や田んぼの中でどんど焼きが行われていました。各子ども会が主催しているのでしょう。日中は強い風が吹きましたが、朝はまだ穏やかでよかったと思います。我が地区では正月の神社に飾る門松が、今年は毎年作っている方が亡くなったためありませんでした。
こうした日本古来からの風習や伝統が途絶えるということはとても寂しいものです。それゆえ、次世代にも日本の良き風習をしっかりと引き継いでいく必要を感じているものです。
さて交通事故で脊髄損傷し、両足まひになったにもかかわらず、福祉用具貸与・販売の会社経営に奮闘している方の記事が新聞に載っていました。障害者の自立の手助けになればと願って設立した会社は徐々に軌道に乗り、10年目となった今年、節目の年を迎えようとしています。
吉松さんという社長は大学卒業後、大手総合建設会社に就職し日々その監督業務に精を出していました。しかし25歳の時信号待ちしていた車にバイクで追突したため、3か月の入院後、二度と歩くことができない旨告げられました。
こうして会社を退職後、設計事務所に勤務し製図や積算といったデスクワ-クで生計を立てていましたが、将来の展望は描けませんでした。そのとき仕事先で「税金を払える障害者になりなさい」と励まされたことがきっかけで、自身の障害を受け入れ、2005年に一念発起してこの会社を設立したのです。
そして年に100件ほど受注する手すりの取り付けや段差の解消工事は、上半身を頼りにほとんど自分一人でやり遂げたと言います。時間は人の2倍掛かっても、誠実に対応することで顧客の信頼を獲得していったのです。
こうして2013年には磐田市に支店まで構え、現在は社員5人を抱えているそうです。「足が不自由でもやろうと思えば仕事はできる。自分の姿を見てチャレンジする障害者が増えてくれたら」と吉松さんはこう語っています。
人間いつどんな状況に置かれるか判らないのがこの世の定めです。中には悲観に明け暮れ、自分自身を見失ってしまう人もいるかもしれません。そういった意味でも自分のみならず、同じような境遇にいる方にも勇気と希望を与える吉松社長の姿勢には、大きな敬意を表するものです。
それに比べ、少しばかりでない恵まれた環境に置かれている私たちは、もっとその優位さに感謝し、励まなければいけないことを強く感じさせられます。きっと吉松社長は自分が障害者だという意識を超越しているに違いありません。
2015.01.09
青学大の優勝 No.2670
すっかり正月の風物詩となった箱根駅伝の今年は、青学大の初優勝で終わりました。毎年、この2日間はテレビにしっかりと釘づけにさせられるものですが、今年の青学大の勝因は何といっても往路5区の走りにあったのではないでしょうか。
この素晴らしい走りを見せたのが3年生の神野大地選手です。神野選手の発掘にはちょっとしたエピソードがあったみたいで、最初に目を付けたのがこのチームを率いて11年目になる原晋(すすむ)監督です。
原監督が就任して6年目の2009年に33年ぶりの箱根駅伝の出場を果たした青学大は、翌2010年には8位に入りシード権を獲得していました。その年の夏、菅平高原で合宿を張っていたのですが、ちょうど同じ時期に愛知の中京大中京高も合宿を行っていました。
原監督が中京大出身のことからか、練習の合い間にこの中京高の練習を見に行ったのでしょう。そこで監督の目に留まったのがこの神野大地選手だったのです。ウサギみたいにピョンピョン走っていて、一目で気に入ったと言います。
当時、神野選手は38kgと体も小さく、これといった実績はなかったのですが、原監督がとても気に入り卒業後の進路に青学大へと誘ったのです。その後、いろいろな大学の誘いを受けたといいますが、最初に認めてくれた監督を信じて青学大に入ったのです。
ですから菅平が運命的な出会いとなったわけです。もちろん今回の優勝は群を抜いていた3年生はじめ選手の活躍にあったわけですが、このような優秀な選手を発掘するリクルーティングにもあったのです。
それと大学の駅伝とはちょっと距離を置き、10年間にも及ぶサラリーマン時代を過ごした異色の経歴を持つ、監督自身のキャラクターもチームの成長した少なくない要素の1つにも思えます。
就任当時は練習環境が整っていなかったため、まず大学側の支援を取り付けることから始めたそうです。強化費の増額や寮の水風呂の設置、専用のマイクロバスの調達など、伝説の営業マンと自任する交渉術があったからこそと言われています。
また明るいチームカラーや雰囲気も監督の人柄が醸成したと言います。この箱根駅伝では他のチームは優勝か10位のチームしか喜んでいないのですが、青学は5位や8位でも喜びを素直に表しています。
こうしたことも奥さん共々選手と一緒に寮に住み込み、選手にどんな彼女がいるかも知っている監督ならではの人柄がもたらすことではないでしょうか。ただ勝てばいいと、なりふり構わずしゃにむに突き進んでいる学校の指導者は考えさせられることかもしれません。
とにかく優勝した青学大の3年生はかなり抜きん出ている選手が何人も揃っていると言います。ということはその雰囲気がさらにチームの磨きを増し、青学時代が到来するかもしれません。指導者のパーソナリティでチームが変わることを青学大が証明してくれました。
2015.01.08
宝くじ No.2669
少し遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます。本年もまたよろしくお願い申し上げます。お正月はいかがお過ごしだったでしょうか。穏やかな日和でさぞかし快適だったのではないでしょうか。
私どもは大晦日の31日まで出張が続き、その関係で社内製作も納期に追われていたことから、4日には社員が出社してくれたため、たった3日間の休みしか取れませんでしたがそれなりにお正月を楽しめたものです。
それというのも、家族がこの期間は一堂に会するからです。暮れに生まれた次女の長男はじめ、孫たちも3人全員が揃い、これ以上の賑やかなことったらありません。
また新年早々、良いことがもう一つありました。昨年暮れ購入した年末ジャンボのミニの宝くじが当たったのです。と言っても4等賞の7万円なので大騒ぎするほどではありませんが、それでも嬉しいものです。
実はこの宝くじ、暮れには飲み会が続いていたことから財布の中身が乏しく、元々買うつもりはなかったわけですが、ちょうど暮れの取引先挨拶回りに出掛けた際、車のラジオから流れていた情報で買いたくなってしまったのです。
その放送では元が取れる宝くじの購入の仕方というのをやっていました。宝くじを連番などで何セットか購入するとき、普通何も指定しないと末尾の2桁は違った〇十番代のものが手渡されることになります。
でもこれでは末尾の2桁が当たってもたった1枚のみで、ジャンボですと3000円しかバックされず、何セットか購入した場合では元が取れることにはなりません。このため放送ではこの2桁を同じ何十番代に合せて購入せよとしていたのです。
例えば3セット連番で購入する場合、同じ末尾2桁の30番代に指定して購入すると、もし当選番号が30番代のいずれかになれば9000円出して9000円以上(末尾1桁分もあるから)戻ってくることになるからです。
そしてもう一つ、放送ではジャンボよりジャンボミニの方が当選金は少なくても当たる確率は大きいと話していました。従って挨拶回りの途中、平塚駅前でこのジャンボミニの方を連番の70番代指定で2セット購入したのです。
この結果、運よくその宝くじの中に、4等の5576という4桁のものが含まれていたのです。「こいつは春から縁起がいい」というものです。でも当選番号を調べていたその場には、娘たちはじめ家族全部が揃っていたわけですから、もう使い道は知れていて決まっているようなものです。
こんな庶民のささやかなお正月を楽しんだものですが、早いもので今日は松の内も明け、お飾りも外れた8日になりました。今年も忙しい1年になることを何よりも願っています。どうぞ変わらぬお付き合いを是非よろしくお願いいたします。
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