会長の”三行日記”
2013.09.03
ひさしぶりの座禅から No.2451
東方寺で開かれている座禅に、ひさしぶりに参加してきました。毎月2日に行われているものですが、このところ都合がつかず、なかなか参加することができなかったのです。
正式には鐘の音を合図に19時から30分間、瞑想にふけるわけですが、早く着けば先にやっていてもよいわけで、15分前ぐらいから約45分間、座禅を組んできました。
でも出てくるのは雑念ばかりで、なかなか頭の中が空っぽにはなりません。煩悩が多いからでしょう。無の心になろうと思っても叶うものではありません。そんなことからか、いつもよりこの45分が長く感じられたほどです。
この30分の座禅が終わり、お経を唱えてから龍澤寺老師・後藤栄山さんの講話が始まります。ひさしぶりの栄山老師の法話はやはりいつものように、古典を紐解いた真面目でお堅いものでしたが、時間があるからと言って、少しご本人のコメントがありました。
それは私たちが住むこの街・沼津の良さに触れていました。北に霊峰・富士山を眺め、南には穏やかな駿河湾に囲まれています。栄山氏が月に1回は必ず訪れる東京とは全然違うと述べていました。
高いビルに囲まれ、土のないコンクリ-トジャングルは暑さの逃げるところがないとの指摘です。そして他の大都市であるパリやロンドン、ニュ-ヨ-クに比べ、大きな公園がなく緑も少な過ぎるというのです。
そして異常に暑い今年の夏についても、これは人間が自ら招いたもので、来年も同じように続き、一挙に変わるものでないと言われていました。それは瞑想にふけることにより、汚れかかった心を清めることのできる座禅と違って、一朝一夕に変えることのできない定めのようなものなのです。
こうした地球温暖化は冬には多くの石油を使った暖をとり、また今のように暑いからと言ってク-ラ-をかけ続けている人間が、永年し続けた結果ゆえのもので、座禅をした途端、周囲のものが美しく見え始めるものと根本的に違うものだと指摘していました。
そして仏教では元々人間はよきものという性善説を唱えていますが、誰でも行き詰ったり挫折することはあるゆえ、そうした汚れたり沈みそうになった心を少しでも清める意味でも、座禅をして自分を見つめ直しなさいと説いていました。
そういえば昨日も千葉や埼玉で竜巻の大きな被害がありました。これも温暖化がもたらした人災と呼べるかもしれません。栄山老師の言われるように、煩悩が決して少なくないわけですから、朝の少しの間でも自分を素直に見つめ直す時間を作らなければいけません。