会長の”三行日記”

2013.07.08

お盆 No.2424

 昨日の日曜日は叔父の1周忌の法要でした。浄土真宗のお寺だったのですが、法要が開始される前、ご住職がこんな話をされました。法事の目的というか、法事に臨む際に心がけておきたいことについてです。

まず亡き故人のことをしっかりと思い浮かべて下さいということです。故人はいつも私たちのすぐ身近に居て、見守っていると言います。このため、よく故人のためにその魂を慰めるとか、法事をすることによって先祖を安心させるといった、追善供養の意味合いではなく、仏法に出会うという自分自身のためだと言われているのです。

亡き人を偲ぶという法事の場を借りて、仏法に出会うことにより、故人と自分との関わりを思い出してみて、改めてこうして生きていることへの感謝の気持ちを抱くことが大切だというのです。

従ってこちらが亡き人を案じているようですが、実は亡き人から案じられているのだと指摘しているのです。そう考えると生きている私たちにとっては、ずいぶんと前向きなことでもあるわけです。

またそうしたことから、お盆についてもお飾りはどうしたらよいのかとか、ナスやキュウリが必要ではないかという、どのようにお盆を迎えたらよいのかといった悩みは不要だと言われるのです。

世間ではお盆の3日間に地獄の釜の蓋が開いて、ご先祖様や亡き人の霊が帰ってくるなどと言われていますが、そのように行ったり来たりするものではなく、いつもこの場にいるということらしいのです。

ですから仏様はいつも私と共に歩んでくれているという教えです。こうしたことから、お盆と言っても特別な飾り物がない、浄土真宗は楽でいいですねという人もいますが、それは大きな誤解だと言われていました。

毎日毎日がお盆であるように、仏様への感謝の気持ちを絶やさないことこそ、大切なのだというのです。何事もない平凡な毎日が尊く有難いという、感謝の気持ちをもって日々の生活を送りましょうと説いていました。

また慌しい毎日の中で、そうした大切なことに立ち返る機会が、このお盆という行事によって得ることができると言います。ですから飾り物などをすることより、この機会に感謝の気持ちを込めて仏壇を掃除したり、新しいお花や好物をお供えすることのほうが意義あるものと思います。法事から学ぶことも少なくありませんでした。