会長の”三行日記”

2013.07.02

ノ-ヒットノ-ラン No.2422

 我が県の代表的球場である、草薙球場の改装が完成しました。このオ-プンを記念してプロ野球のヤクルト-巨人戦が開かれたわけですが、今はやりの観客席がグランド近くにだいぶ迫り出していたり、かつては芝生席だった外野スタンドが全面、木造のベンチ席に作り替えられたようです。

改装に1年半以上の期間を要しただけに、さぞ立派になったことと思われます。来る夏の県予選、母校も2回戦でこの草薙球場での試合だけに、応援で出掛けるのが今から楽しみです。

さて先日、中日の山井投手が対DeNA戦で史上77人目のノ-ヒットノ-ランを達成しました。ノ-ヒットノ-ランだけなら敢えてここで取り上げることもないのですが、一部の方はご存知のことと思いますが、6年前になる2007年の日本シリ-ズ第5戦のことを思い出したからです。

この試合、日本シリ-ズという大舞台ながら、山井投手が日ハム相手に8回終わって、一人もランナ-を許さない完全試合(パ-フェクト)のペ-スだったのです。ところが9回にマウンドに立ったのは抑えのエ-ス・岩瀬投手です。

折角の大記録達成目前だというのに、私も含めてなぜ?という声が多く、その後も大きな反響を呼んだものでした。当時の落合監督に対してその勝負に徹した冷酷さや、また一方では大舞台での一球の怖さを知り抜いた見事な采配などと言われたものです。

私も当時の事情を知らなかった一人ですが。今回、山井投手がノ-ヒットノ-ランを達成して、はじめて降板した事情を知ることができました。それは落合監督が決めたのではなく、当時の投手コ-チだった森繁和さんが本人に問い質した上での結論だったというのです。

8回が終わった時点で、「どうする?」と本人に聞いたところ、返ってきたのは「岩瀬さんでお願いします」という言葉です。それというのも、森コ-チはその試合の5回、ボ-ルに血がついているのに気付いていて、中指のマメがつぶれていたのを承知していたからです。

ですから本人が結論を出して、納得した上での交代だったようです。そうした事情を知らない私たちは、大記録達成目前で、もったいないとか、ずいぶん薄情だななどと、首脳陣に疑問を持ったものですが、6年の時を経てその誤解が解けたわけです。

従って山井投手にしてみれば、忘れ物を7年越しで手に入れたということになります。元々、ストレ-トにスライダ-、フォ-クと、並外れたよいものを持っていると言われていたことから、完全試合を逃がした後でも、この投手ならいつかはそのチャンスがあると、落合監督自身も言っていたそうです。

今シ-ズン少し低迷している中日なのですが、これをきっかけに浮上してもらいたいものです。それにしても、9回の2死までこうした記録を達成していながら、あと一人のところで潰えてしまうことが少なくありません。それだけ難しいということでしょうが、完全試合をかつて達成したかもしれない山井投手だけに、ある意味これですっきりしたのではないでしょうか。

明日から2日間、私用で会社を留守にするため、カキコミは休ませて下さい。