会長の”三行日記”
2013年06月
2013.06.13
歴史人物に学ぶ1・伊藤博文 No.2410
やはりお札にまでなった人ですから偉大には違いないでしょうが、いったいどういう功績があった人なのか、よく把握していないのは私に限らず、少なくないのではないでしょうか。そんなことから伊藤博文という人物について、少し調べてみました。
人間はその一生のうちで、のるかそるかの大きな判断を下さなければいけないときがあるはずです。明治の元勲と記され、初代総理大臣にもなった伊藤博文にも、そんな大博打を打たなければいけない時があったと言われています。以下、少しまとめた記述です。
伊藤は、長州下級武士の出身。吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作、井上聞多らと倒幕運動に加わった。22歳のときには、長州藩の代表として秘密裏にイギリスに渡航。しかし四ケ国連合艦隊による長州藩攻撃が近いことを知ると、井上聞多とともに急ぎ帰国し戦争回避に奔走する。
当時長州藩は外国人を排斥しようとする攘夷派の総本山のような立場にあり、諸国との戦争を回避に奔走した伊藤は、井上、高杉晋作と共に藩内外から外国列強に与したと批判をされ、命をつけねらわれることになる。
四ケ国戦争の後、長州藩は正義派と呼ばれる攘夷推進政権が倒れ、俗論派と呼ばれる幕府恭順政権が発足する。時おりしも幕府が第一次長州征伐の陣触れを出し、幕府軍以下26藩が長州に攻め入ることとなる。恭順政権は、攘夷を推進した重臣を処刑するなど徹底して幕威の前にひれ伏す体制をとる。
当時長州藩には、諸隊と呼ばれる軍事部隊があった。高杉晋作が作り上げた奇兵隊、諸藩の脱藩浪士が集った遊撃隊、力士が集った力士隊など、身分制度にとらわれない武士階級と農民や町民が混合された部隊だ。武士が主体となった正兵と区別され、かつ長州藩内にて一級の武力を備えていた。
しかし恭順政権の前に動きをとることができず、諸隊は推移をただ見守るしかなかったが、暗殺の危険から藩外に逃亡していた高杉晋作が帰藩。奇兵隊を軸にクーデターを起こし、一気に情勢を挽回しようとする。しかし諸隊合わせても人数は800名足らず。恭順派に与する正兵は2000名強。どうしたって勝ち目がなく、諸隊は動こうとしない。業を煮やした晋作は、わずかな人数での挙兵を決意する。
そのとき伊藤博文は、どうしたか。どう考えても高杉晋作の挙兵は暴挙であり、失敗すると伊藤自身は考えていた。しかし、いままでの行きがかり上、晋作に命をくれてやろうと決意したのだ。晋作は、唯一の同志となった伊藤に、10名でもいいから同志を集めることを命じ、下関に向かわせた。
もともと武士階級の出ではなかった伊藤は、まともに馬に乗れない。必死にたてがみにしがみつきながら、「俺はもう死んでいるのだ、死んでいるのだ」と自らに言い聞かせながらただ一騎夜道を下関に向かったという。
結果わずか80名で蜂起した高杉晋作一派が、奇兵隊をも動かし、ついには時の政権軍との決戦に至り、旧態依然とした銃器、戦法での武士(政権軍)たちは、洋式銃をもった奇兵隊たちの敵にはならず、激闘のうえ、ついにクーデターは成功した。
じつはそれまでの伊藤は、身分が低いゆえ、その立場はちょっと気のきく使い走り的な扱いであり、晋作の手駒に過ぎなかった。しかしそれ以降、藩において重き役につくようになる。維新後明治政府内においてはついには参議にまで登りつめ、明治憲法の制定の中心的な存在となり、やがて内閣総理大臣(しかも4度も!)を拝命するまでになるのだ。
「俺は死んでいる」と自分に言い聞かせ、クーデターに参加したのが新たな人生を切り開くことになったのです。いちかばちかの局面で自分の人生を賭けるほどの性根は大いに評価されます。このように難局に直面したときの人間の振る舞いにより、その後の人生を大きく変えることができるわけです。
2013.06.12
統一球の混乱 No.2409
もうシ-ズンが始まって2ヶ月以上経っているというこの時期に、統一球が昨年と違って作られ、使用されているという事実が判明しました。なぜこの時期にということなのですが、プロ野球界は無用の混乱を招いてしまっています。
そもそもその背景は、大リ-グでの使用球や今年行われたWBCでの使用球などとの違いから、日本プロ野球も国際化を図った統一球にしなければというのが出発点でした。
このため、一昨年の2011年度から、それまでの各球団ごとに選択していた公式球を、全てミズノ製の統一球を使用することに改めたのです。この結果、ボ-ルの反発係数をそれまでより低く抑えたため、以前よりボ-ルが飛ばず、ホ-ムランも出にくくなってしまったのです。
いわゆる飛ばないボ-ルというものです。ここまでの日本野球機構(NPB)がとった処置は、結果はともかく、その趣旨から決して責められるようなことではないと思います。大リ-グに移籍する選手も増えてきたり、日本のボ-ルがあちらに比べて飛び過ぎるのでは何かと不都合が生ずるからです。
でも導入により極端な打率の低下やホ-ムランの減少を招き、投高打低となった野球が顕著となりました。これが2年も続いたからでしょう。野球そのものが面白くなくなってきているという声が一部にも聞かれ、日本野球機構(NPB)がとった処置とは、今シ-ズンを前にして製造会社のミズノに対して、反発係数の調整を指示していたのです。
それも内緒でこっそりとやっていたのです。NPBに言わせると、反発係数の検査で下限を下回るボールが頻出し、反発係数の下限を守るためといった答弁をしているようですが、どうもそれも言い逃れのように聞こえてしまいます。
今シ-ズン、ここ2年間よりぐっとホ-ムランの数も増え、選手ばかりでなくフアンの間からも、飛ぶボ-ルに変わったのでは?という声があちこちに聞かれるようになりました。こうした声が高まるにつれて、NPBもこの時点で発表しないわけにはいかなくなったのでしょう。
問題は今シ-ズンを前に、なぜNPBが独断でそういった処置を取ったかです。導入の結果がどうあれ、NPBだけで結論を出せる問題ではないはずです。そもそもの出発点の趣旨や、野球をもっと面白くさせる事情があるにしても、そこには当然、選手を含めた球団関係者との話し合いがあってしかるべきです。
NPBはメ-カ-のミズノにまで、そうした指示があったことは内密にという通達を出していたと言います。そうした隠蔽体質そのものが大きな問題であると考えます。加藤良三コミッショナ-は自分は何も知らされていなかったと述べています。
でも、もしそれが本当であっても、統一球に自分のサインまで刻印されていることだけに、知らなかったでは済まされないのではないでしょうか。そうした隠蔽体質の組織の長ゆえに、大きな責任を感ずるものです。とにかく選手やフアンあってのプロ野球であることをよく自覚してもらいたいものです。
2013.06.11
一所懸命 No.2408
この歳になって初めて知らされたことがあります。以前から「一所懸命」という語句を目にすると、「一生懸命」の間違いだと、正直思っていました。ところがどちらの言葉も、実際に使われていることを知ったのです。
調べてみたら一所懸命とは、賜った一か所の領地を生活の頼みとし、その所領安堵に命をかけた鎌倉武士の姿からきたものだと言われています。 ですからそこから転じて、物事を命がけでまじめに努力するという意味になるということです。
一方、一生懸命とは、意味としては物事を一心にするさまということで、一所懸命と同じ使われ方をしていますが、元々は「一所懸命」から来た言葉だと言いますから、むしろこちらの表現の方が正しい意味なのです。
読み方は前者が「いっしょけんめい」というのに対し、後者は「いっしょうけんめい」と異なった発音となります。ですから「いっしょけんめい」と言われて、一生懸命と表記するのは誤まりですが、言葉としてはどちらを使ってもよいみたいです。
元々、「いっしょけんめい」と言われていたのを、その発音と命がけでという意味から、だんだん一生懸命という言葉に自然に変わっていったのではないでしょうか。こんなことを調べていたら、次に挙げるような素敵な例え話に遭遇できました。
数年前、あるお婆さんのお葬式にお参りした時のことです。遺族の方が謝辞の中で、亡きお母さんとの思い出話を述べられました。まだ子どもの頃、畑でお母さんの草取りを手伝っていた時のお話でした。
ギラギラと照りつける太陽の下、暑さと苦しさにたまりかねて何度か立ち上がっては、あとどのくらいあるかと見ていると、お母さんが、「そんなに先ばかり見ていては仕事がつらくなるばかりだ。しっかり手もとを見て頑張っていれば、いつかつらい仕事も終わるものだ。」と、さとされたという内容でした。
また続けてこんなことも書かれていました。平安時代の能書家、小野道風が書の修行で壁につきあたり、深い物思いにふけりながら小雨の中を歩いていると、いっぴきの蛙が柳の小枝に飛びつこうとして何度も失敗し、最後にとうとう飛びついたのを見て、迷いからさめたという話は有名です。
最終のゴールにばかり目がいっていては、そこまでの道のりの遠さ、つらさばかりが目について気が遠くなるばかりでしょう。千本、万本の雑草も、手もとの一本の草を抜くことの積み重ねと念じ、ただ黙々と努力を傾けてゆかねばならないということです。
まさにその通りですね。積み重ねも満足に行わないうちから、結果ばかり求めたくなるものです。「ロ-マは一日にして成らず」とか、「千里の道も一歩から」という同義語もあります。まず目先のことからしっかりとやり続けなさい、との教えではないでしょうか。
2013.06.10
DJポリス No.2407
こんな素敵な警察官がいることに驚き、また微笑ましくなったものです。日本がW杯出場を決めた日、若者たちでごった返す渋谷の駅前で、DJポリスと呼ばれた素敵な警察官のお話です。
以下、DJポリスが集まった人たちに投げ掛けた、素敵なコメントをちょっと紹介させて下さい。「みなさんは12番目の選手です。チ-ムワ-クをお願いします。駅の方へ進んでください」。「目の前にいるお巡りさんも、みなさんが憎くて怖い顔をしているわけではありません。心の中ではW杯出場を喜んでいるのです」。
「お互い気持ちよく、きょうという日をお祝いできるよう、ル-ルとマナ-を守りましょう」。そして胴上げを始めた集団には、「それはイエロ-カ-ドです」と穏やかに注意し、「皆さん、明日も仕事です。そろそろ帰りましょう」。
何と的を得た対応ではないでしょうか。喜びに湧く群衆の中には、お酒が入っている人も少なくないことでしょう。それだけに警察官が頭から高圧的に注意したりすると、かえって火に油を注ぐようなものです。
でもユ-モアに溢れたこうした呼び掛けには、若者は素直に耳を貸したと言われています。あの人、何者?と、押し合いへし合いしている人たちににまで笑顔が広がったそうです。
そしてこの時代を反映するかのように、ネット上にその動画が流れ、たちまち「DJポリス」と呼ばれるようになりました。人々からは「最高の仕事をしていた」と称賛の声が続いていたそうです。
この素敵なDJポリスは第9機動隊に所属する、20代の隊員とのことです。昨年から広報係という役に就き、デモや多くの群衆が詰め掛ける場所で、マイクを手に整然とした行動を呼び掛けるのがその役目です。
今年の初詣でやはり多くの人がごった返す明治神宮でも、「みなさん、急がなくても神様は逃げません。急いでもご利益は変わりません」と、ユ-モアたっぷりに呼び掛けていたそうです。
元々、そうした人々の心を和ませるセンスを持ち合わせているのでしょう。このようなことから、渋谷でもお巡りさんコ-ルが広がったと言われます。そんなとき、兼ね備えている絶妙なセンスが感じられるが次の言葉です。
「声援も嬉しいですが、皆さんが歩道に上がってくれる方がうれしいです」。やはり取り上げていた天声人語でも、人の心に響き琴線に触れる対応で、当意即妙の才能が覗かれると述べていました。
権力をかさに、頭ごなしで呼び掛けても人は動くものではありません。その場にあった、理屈より情のこもった柔らかい言葉で、同世代に呼び掛けたからこそ、人々の気持ちに入り込めたのでしょう。警視総監賞うんぬんという話もありますが、決してもらってもおかしな話ではないと思います。
2013.06.07
個への着目 No.2406
先週の火曜日の対オ-ストラリア戦、日本がとうとうW杯への出場を決めました。後半の35分過ぎの終盤、相手のフリ-キックがそのままゴ-ルするというピンチに立たされましたが、何とかPKを奪って引き分けに持ち込んだのです。
観ている大半の人間は、終わりが近づいていた時点での相手のゴ-ルだっただけに、このまま負けてしまうのかという思いを抱いたと思われますが、そこは日本、持ち味のスピ-ドとコンビネ-ションが最後に相手のミスを誘ったのです。
やはりそこに位置したのは本田と香川の両選手です。阿吽の呼吸と言うのでしょうか、このクラスの選手となるとお互いの意図するところがよく解るのでしょう。何としてでも1点を取るという、執念が相手のハンドというミスを生み出しました。
そこでPKを蹴ったのが本田選手です。私たち観ている方でも、ここで外したらなどと余分な懸念が否が応でも湧いてくる、本当に緊迫した場面だったと思います。ですから本人も言われていたように、結構、緊張していたのではないでしょうか。
でもそこはビッグマウスとも言われている本田選手、「真ん中に蹴って捕られたら、しゃあないな」という開き直りで、ここ一番の大きな場面に臨んだのです。結果は見事な、ど真ん中への胸のすくようなゴ-ルです。
このゴ-ルでさすがは本田だと、多くの人が思ったのではないでしょうか。出場を決めた後、翌日の選手全員の記者会見でもこの本田選手の独壇場でした。チ-ムメ-トの主だった選手の名前をわざわざ挙げながら、これからの課題なるものや、目指さなければいけないことを語っていました。
それだけ、このW杯にかける思いが人一倍強いのでしょう。それからただ出場するだけでなく、出たからには何とか勝って優勝したいと、本当に思っているのでしょう。その中で特に強く指摘していたのが、「個」を徹底的に伸ばし、磨き上げることです。
確かに今のチ-ム力のままでは、正直言って、とても優勝するレベルではないと、誰が見ても判断できるのではないでしょうか。この前のブルガリア戦にしたって、オ-ストラリアの試合でもそうですが、やはり決めるべきところでしっかりと決めるといった、決定力とゴ-ル前の執念と技術に欠けています。
それだけにビッグマウスと言われるかもしれませんが、やはり日本チ-ムの課題をしっかりと突いているのではないでしょうか。私たち観ている方の立場でも、W杯に出るからにはやはり日本に勝ってもらいたいものです。あと1年、日本チ-ムの更なる目覚ましい進化を期待しましょう。
2013.06.06
ビックリス-パ- No.2405
昨日、工事で訪れた軽井沢はやはり良い季節になってきたことで、爽やかさが一段と増しています。木々は緑濃く色づき、いろいろな小鳥のさえずりが耳に心地よく響きます。仕事でなければずっとここに居たくなるものですね。
仕事は制御プログラムの変更でしたから、明るいうちに帰ってこれたのですが、早い時間で帰れるときは途中、いつも寄るのが野辺山の高原野菜を売っている、ビックリス-パ-です。
141号線沿いにある市場なのですが、野菜や果物がとびきり安く売っているから嬉しくなるものです。野辺山と言ったら、中央高速を須玉ICで下車し、夏場の観光地でも知られた清里を抜けてからすぐのところです。
佐久に向かう141号線では左手に八ヶ岳を望める広々とした高原で、単線のJR小海線が走る、のどかな地です。このJRの野辺山駅は全国にあるJRの中でも、最も標高の高い(1346m)ところとしても知られています。
ここで採れた野菜等が嬉しくなるような値段で提供されているのです。季節のものとしてはセリや山ウド、ワラビをはじめ有名なキャベツ、レタスからきゅうりや人参に至るまで、全て安い価格で並んでいるのです。
私がここでよく買うのが、生しいたけとエリンギです。それからとろろ芋もあれば買いたくなるものです。またトマトなども下界では結構高いみたいですが、ここでは飛びつきなるほどです。
このように仕事とは言っても、途中このような所があるから楽しみも増えるというものです。時にはひだまり亭で頑張っている、家内にその場で電話を入れ、仕入れの真似事までしたくなるわけです。
そんなわけで往復400kmあまりの、軽井沢への車でのひとり旅は、結構しんどいものですが、こうした諸々のことが癒してくれるものです。野辺山で購入していったアスパラとエリンギは、家内の手により、その日のうちに夕食のテ-ブルに乗り、もちろんおいしくいただきました。
2013.06.04
泣き相撲 No.2404
この日曜日、昨年8月に生まれた長女の子・由稀(ゆき)と、やはり11月に生まれた次女の子・羽菜(はな)が泣き相撲に出るというので同行しました。沼津市原の長興寺で開催されたものですが、県内外から170人もの赤ちゃんが参加するという、結構、ビッグイベントとも言える、凄いものでした。
泣き相撲とは、乳幼児の健やかな成長と安産を祈る目的で行われる神事と言われています。力士に抱えられた赤ちゃんの泣き声を競い合わせるもので、長興寺では早く大きな声で泣いたほうが勝ちなのですが、場所によっては逆に負けとなるところもあるそうです。
170人もの参加者があることから、午前の部と午後の部に分かれており、羽菜のほうが午前の5番目、そして由稀は午後の40番目というので、2回も駆けつけたほどです。ちょうど相手が大泣きしていた関係で、その5番目の取り組みは静岡新聞に写真を掲載してくれました。(http://www.at-s.com/news/detail/681485090.html)
それにしても、地域の人たちや各種団体の協力で多くの売店が安価で提供してくれていたり、また多数の人たちが集まる関係でお寺の本堂や客殿などを全て控え室にしてくれる等、寺院はじめこの地域を挙げての素晴らしいイベントのように感じました。
そうそう、臨時駐車場にしても近隣の企業の敷地内を開放していたほどです。さすがはご住職の松下宗伯さんの取り組みです。地域の聡明なリ-ダ-としても知られている方ですが、初めて参加させてもらった私も、このイベントが地域にしっかりと根を下ろしていることを感じ取れました。
明日5日は軽井沢に工事で出張するため、カキコミは休ませていただきます。
2013.06.03
凄い新人 No.2403
先週末は雨が降るという、事前の週間天気予報が良い方に外れ、一滴の雨もなく爽やかな休日を過ごすことができました。そして今週も梅雨はいったん中休みとのことです。しばし爽やかな初夏の風を満喫できればと願っています。
さて出場5戦中、2回も優勝している凄い新人がいます。しかも残りの3試合でも2位が2回です。この凄い新人が今シ-ズンプロ転向したばかりの、ご存知、松山英樹選手です。
昨日まで名門・大洗GCで行われていた、ダイヤモンドカップでも最終日、見事な逃げ切りで2勝目を挙げました。その2週前の日本プロで、4打もリ-ドしながら最終日に崩れ、優勝を逃がした口惜しさが本人には相当、大きかったのでしょう。
ですから優勝そのものより、そうした状況を自分自身が克服したことのほうが喜びが大きかったようです。このへんが並みの選手ではありません。ダイヤモンドカップでも3日目まで首位タイで頑張った、58歳の中島常幸選手も彼の可能性について、大きな期待を寄せています。
何しろ体も180cm、88kgと、堂々たるもので、300ヤ-ドは飛ばす飛距離も大きな魅力です。そして私もVISA太平洋マスタ-ズで彼について回ったことがあるのですが、スイングもゆっくりでまだまだ余力を残しているように感じられることです。
このへんが怪物と言われる所以ではないでしょうか。再来週の10日後には4大メジャ-の1つである、全米オ-プンも開催され、松山選手も出場を予定しています。是非、日本人ここにありというところを見せつけてもらいたいものです。
また同じ歳の石川遼くんと比べても、体が大きい分、可能性は大きいように思えます。もちろん、小技等器用さにかけては遼くんに一日の長があるように思えますが、どちらについてもこれからの日本ゴルフ界を背負っていくのは、やはりこの二人ではないでしょうか。
とにかく楽しみな大きな逸材が出てきたものです。何といっても思い出されるのは、プロ2戦目で初優勝を飾ったときのことです。首位と2打差でスタ-トし、15番のバ-ディで首位に並ぶと、続く16・17・18番、上がり4ホ-ル連続のバ-ディで見事、逆転優勝を飾ったシ-ンです。
外国人選手にはこの逆のパタ-ンで負けることはあっても、近年、日本人選手がこのような強い勝ち方をしたのは久しくなかったものです。それだけに多くの日本人ファンが溜飲を下げたし、強いハ-トも兼ね備えた松山選手に大きな期待を持てたわけです。全米オ-プンがとても楽しみです。
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