会長の”三行日記”
2013年04月
2013.04.11
日頃の成果 No.2376
ラミちゃんと呼ばれ親しまれているアレックス・ラミレス選手が、先日のヤクルト戦で2000本安打を達成しました。古巣・神宮球場で、元のチ-ムメ-トだった石川投手から本塁打を放ち達成したわけですが、その記事から外人らしくない生真面目さを知りました。
それと言うのも、助っ人として来日するほとんど外人が、お金欲しさでやってきて比較的日本の野球に溶け込もうというところが少ないのですが、この人は全然違うようです。
ヤクルトに入団したのが26歳の時、当時引っ張り専門で打球がレフト方向しか飛ばなかったのですが、周囲のアドバイスに素直に耳を傾け、外角のスライダ-を右打ちすることを覚えました。
そしてこのバッティングが功を奏し、巨人に移籍した2009年には首位打者を獲得するまでに至りました。そのときの右方向への安打が50本だったのですが、1年目に放った19本に比べても断然その広角打法への取り組みが顕著です。
こうした順応力や適応力にすぐれていたのでしょう。それから人一倍、研究熱心だと言われています。フォ-クなど縦の変化球が多い日本の投手対策には、練習を欠かさず、左投げの打撃投手にワンバウンドの投球を要求し、バウンド直後に打ち返す打撃練習を繰り返しています。
中堅から右方向への打球を意識しているからでしょう。また研究熱心さは捕手の配球を読むことにも表われ、場面場面でのバッテリ-の攻め方を毎日映像で確認しているとのことです。
それから体のケアへの気遣いがすごく、早めに球場にやってきて1時間あまりマッサ-ジを受けてから練習に入るそうです。そして何よりも野球に打ち込む姿勢が素晴らしいと言われています。
来日当初、日本の1線級の投手には手こずり、2軍落ちのピンチがありましたが、アメリカに帰っても居場所がないと自分に言い聞かせ、日本のプロ野球に骨を埋める決心をしたと言います。ですから高額年俸目当てで来日し、結果が出なければすぐに帰国してしまうようなダメ外人とは、根本的に違っているのでしょう。
「日本野球と文化は、密接に関係している。だから日本の文化を勉強し、受け入れてきた。『しょうがないね』は、すごくいい言葉」と言って、日本が大好きで将来、日本で監督もやりたいし、日本人になろうという思いもあるくらいだと話しています。
「郷に入れば郷に従え」という言葉もありますが、こうしたラミちゃんのような外人も珍しいものです。今に至るまでには人知れない苦労もあったことと思われますが、愛される性格や前向きな努力が実ったのでしょうね。心から祝福したいと思います。
2013.04.10
たった一言 No.2375
弊社の応接兼会議室に次のような言葉の額が掲げられています。「たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を暖める」。これはかつて信州上田の別所温泉に旅行したとき、朝の散歩で近くのお寺・聖禅寺を訪れたとき、目に留まり購入したものです。
いつもこの額を眺めるたびに、たった一言の重さを実感しています。それというのも、私自身の生来の無神経さが災いし、長年、交友のあった友人が離れていってしまったのです。それも私から放った、たった一言が原因です。
彼とは竹馬の友とも言えるかもしれません。生まれたのが同じ地で隣近所だったのです。そして小学校は同じところに入学したのですが、入って間もない5月、私の家(当時は借家)が火事で全焼してしまったため、翌年の新年度から今の片浜の地に引っ越してしまったのです。
このため彼とは離れ離れになってしまったのですが、たまたま高校の入学式で、彼の父と私の母が再会したため、お互い幼少時の記憶が薄れていましたが、旧交を温めることになり、それ以来、気心が知れた友人として社会人になってからもずっと付き合っていたのです。
彼の名誉のためにも、私が放った、たった一言は何かとは申し上げませんが、それが彼の心を大きく傷つけてしまいました。私自身は特別他意はなく、いつも言いたいことをお互い言い合える関係からだったのですが、受け取る側はそうはいきませんでした。
その晩、同じ宿に泊まり、電車での帰り道まで一緒だったのですが、1週間ぐらい経って再会しても彼の怒りは収まっていませんでした。こちらも彼への気安さから、電話で1回は謝り半分「まだそんなことを言っているのか」と、少し時間が経てば収まるものと思い、それ以上フォロ-もしませんでした。
そしてそれっきり、もう何年が経つのでしょうか。おそらく5年以上にはなると思われます。私が傷つけた、たった一言を放ったその年の暮れ、こちらの正直な気持ちを伝えようと、詫び状まで書き記して郵送したのですが、それも受け取り拒否で封も開けてもらえず返送されてきたくらいです。
でも私自身が招いたことですから、非は全てこちらにあると考えています。ですからもちろん、相手の彼のことを悪く言うつもりはありませんし、彼の閉ざされた心が開くのを待つしか仕方がありません。でも私自身は自業自得かもしれませんが、寂しい気持ちには違いないのです。
このように、たった一言が大きく人の心を傷つけることが実際にはあるのです。特に申し上げておきたいのは、親しさが増すほど、その気安さから招きやすいということです。「親しき仲にも礼儀あり」くれぐれも節度を保って気をつけたいものです。
2013.04.09
「寅さん」共演者の素敵な言葉 No.2374
私も大好きな映画でした「フ-テンの寅さん」ですが、新聞に共演者の以下にあげるような、味わい深い含蓄のある言葉などを集めていました。既に3代のおいちゃん役はじめ、亡くなってしまったの人たちばかりですが、おいちゃんたちの言葉から紹介します。
まず初代は森川信さんです。「あ-いやだ、いやだ。おれはもう横になるよ。おい、枕、さくらとってくれ」。飄々とした感じが花を添えていましたね。この人の「ばかだねー」という、寅さんへの言葉がとても懐かしく思い出せます。
次は松村達雄さんです。「金のねえやつがみんな不幸せだって言うならさ、この寅なんぞ、生まれてからずーと不幸せの連続じゃねえか」。そういう心は全く逆で、幸福は金では買えないと、その生き方をある意味で羨ましく思っていたのでしょうね。
それから3代目は下條正巳さんです。一番長くこのおいちゃん役を務めていた方ですが、何ともいえない味わい深さがあったものです。寅さんが女性に律儀なところをほめて「その手の間違いだけはしたことないんだ、あいつは」。生真面目で小言も多かったのですが、寅さんを信頼していたのでしょうね。
またタコ社長を演じた太宰久雄さんのこの言葉も有名です。「お前なんかに中小企業の経営の辛さがわかってたまるか」。映画を観ているときは全くそんなことを感じなかったのですが、今自分がその立場になってみると実感のある言葉です。
その他、共演者の素敵な言葉が続きます。お寺の御前様だった笠智衆さんは「困った。困った」と言いながら「もともと寅の人生そのものが夢みたいなもんですから」と、寅次郎をとても可愛がっていました。ゲストでも三船敏郎さんは獣医師役で出ていて「俺が行っちゃいかんと言うわけは...。俺がほれてるからだ。悪いか」
また、さくらの亭主・博の父を演じた志村喬さんの言葉も、なかなか含蓄のある言葉です。「人間は絶対に一人じゃ生きていけない。逆らっちゃいかん。人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。そこに早く気がつかないと不幸な一生を送ることになる。わかるね、寅次郎君」
そして宇野重吉さん扮する画家の、かつての恋人役を演じた岡田嘉子さんに至っては、「私、このごろよく思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。ああすればよかったなあという後悔と、もうひとつは、どうしてあんなことしてしまったんだろうという後悔」という言葉に、ご自身の恋人とソ連に逃避行した波乱の人生が重なるだけに、ずいぶんと重い言葉になるものです。
とにかく、このように映画の中のセリフにすぎませんが、寅さんシリ-ズは人生の機微と味わい深い言葉にあふれていました。またそんな記事を読みながら、映画館で一人、大笑いをしていた自分を懐かしく思い出すことができたものです。素敵な映画でした。
2013.04.08
国民栄誉賞 No.2373
長嶋茂雄さんと松井秀喜さんが国民栄誉賞をダブル受賞することになりました。ご存知、長嶋さんはミスタ-と呼ばれ、多くの野球ファンから愛され、今のプロ野球人気を王さんと共に築き上げた大功労者とも言える方です。
まだもらっていなかったのかと、大部分の方が不思議に思うほどの人なのですが、ある意味では受賞するきっかけを失っていたのかもしれません。そうした意味ではここで愛弟子でもある、日米で大活躍し引退することになった松井選手の受賞と併せ、やっとそのタイミングができたとも言えるものです。
巨人、大鵬、玉子焼きと言われ続けるほどの巨人軍にあって、やはり長嶋さん抜きにはとても語ることができないものでしょう。私は子どもの頃からアンチ巨人だったのですが、不思議と長嶋さんと王さんは嫌いではありませんでした。
そのくらい誰からも人間的に愛されていたのでしょう。特に長嶋さんはチャンスに強い人でした。そして天覧試合のサヨナラ本塁打のように、大試合やここ一番という場面で、憎らしくなるくらい活躍したのをはっきりと憶えています。
ですから野球だけでなく、日本の高度成長の時代にあって、国民に活力を与え続けた、時代を象徴する人とも言えるのではないでしょうか。その性格は天真爛漫とも言われ、一部天然とも呼ばれるほどの、訳の分からないところも随所に見られましたが、やはり大人(たいじん)だったのでしょう。
そんな長嶋さんなのですが、気配りに富んでいたとも言われています。そして9年前に脳梗塞で倒れたのですが、不自由な体をおしても相変わらず野球にかける情熱は凄いものがあったようです。
愛弟子の松井さんは不調になると、海を越えた国際電話でよく長嶋さんに問いかけたと言います。すると長嶋さんは「受話器をそこに置いて、バットを振ってみろ」と指示したそうです。そして電話口から聞こえてくるバットが風を切る音で、スイングをチェックしたというのは有名な話です。
そうした二人三脚の努力が実って、ワ-ルドシリ-ズでのMVPという偉業にも繋がったのでしょう。とにかく二人の受賞は喜ばしいことです。できればもう一人、日本人大リ-ガ-の道を切り拓き、ノ-ヒットノ-ランを2回も達成している野茂投手にも、スポットライトを当ててもらえば何の異論もありません。二人の受賞をよい機会に、先駆者たる偉業を見直してもらいたいものです。
2013.04.05
ちょっと良い話その106 No.2372
3日~4日と軽井沢に工事で出掛けていたため、カキコミができず失礼しました。またこのブログの編集が思うようにいかなくなったため、事前にご案内も出来ず申し訳ありませんでした。
昨日の軽井沢は何とか天気を持ち直してくれたお陰で、工事を無事終了することができましたが、その前日は冷たい雨が一日中降り続くようなお天気で、なかなか大変でした。何しろ気温が4度と低く、暖かい静岡から出掛けた私たちにとっては寒くて辛い一日でした。
ちょっと前置きが長くなりましたが、こんな素敵な投稿文を見つけましたので紹介いたします。「よそ孫」の入学祝いという、ちょっと良い話です。
初めての出会いは3年前、我が家の前に幼稚園バスが止まるようになったのがきっかけでした。3歳の男の子と1歳の女の子を連れたママさんと、朝のあいさつをするようになりました。
半年ほど過ぎた頃、「遊びに来ませんか」と声をかけました。戸惑いもあったかと思いますが、自然に親しくなりました。以来、1ヶ月に1度ぐらい、3人で我が家に来るようになりました。約束の日が近づくと、夫は図書館から絵本を借りてきて朗読の稽古です。
手作りのゲームをすると、子どもたちは「じいじに勝った」と満面の笑みを浮かべます。ママに用事があるときは、預かることもありました。我が家では、このかわいい子たちを「よそ孫」と言っています。道路の事情でバスが止まる場所は移動しましたが、付き合いは続いています。
そのよそ孫の一人が、3月に幼稚園を卒園。4月からは小学1年生と、幼稚園入園です。先日、我が家に集い、ささやかなお祝いをしました。小学生になっても遊びに来る、と言ってくれました。お陰様で私たち夫婦は、大いにパワーをもらっています。
本当に素敵な関係ですね。まさに「袖すり合うも他生の縁」を活かした実例ではないでしょうか。たった一言、声を掛けただけで、こんな素敵が関係が生まれるのです。人生はたった1回、できれば勇気をふるって声を掛け合いたいですね。
2013.04.02
親に恩返し No.2371
昨日の選抜高校野球・対高知戦で惜しくも敗れてしまった仙台育英高ですが、このチームのエースとして頑張っていたのが3年生の鈴木天斗(たかと)選手です。この鈴木君、実は2年前の大地震の津波で自宅が損壊していた被災者の一人だったのです。
ですから一時はこの進学さえ、ためらっていたみたいです。自宅は宮城県松島町の海岸そばで、津波で1階部分が泥やがれきで埋まり、震災で親類3人が亡くなりました。そして両親、兄弟とともに祖父母宅に移り住んでいたわけですが、既に同校への進学が決まっていた鈴木君は、目の前の惨状にこのまま野球を続けていいのだろうかと迷いました。
でもその背中を押してくれたのが父の浩市さんです。「好きなことをやったらいい」という言葉のお陰で決心が固まり、がれきの中から見つかった泥だらけのスパイクを磨いて練習を再開したのです。
ですから周囲に支えられていることを片時も忘れたことはないと言います。何よりも苦しい状況に置かれながらも、野球をやれる環境を作ってくれた家族への感謝の気持ちが強く、苦しいマウンドでもそうした気持ちに支えられていたのではないでしょうか。
私も震災後、数ヶ月経ってから出かけた東北へのボランティアの途中で、この松島の海岸線を通りかかったのですが、その被害状況はとても軽いものではありませんでした。それだけに私たちの想像以上に、自分だけ野球をやっていていいのだろうかという気持ちが強かったものと思われます。
この地と同じように傷めつけられた東北の各地の中に、いわき市の海岸線があります。それはかつて「いわき七浜」と呼ばれ愛された景観地ですが、今は除染土を詰めた袋状の黒いバッグや、家々の基礎だけが残る殺伐とした、見るも無残に破壊された光景になっています。
寄せられた投稿に、そんな殺伐とした風景のあちこちにパンジーなどの花が咲いていると載っていました。がれきに花を咲かせる運動を進めているボランティア団体によるものです。そこには「この花を皆で育てましょう。心あらば水をあげてください」というメッセージが添えられているそうです。
そしてその投稿には次のような記述が加えられていました。復興の進まぬ、荒涼としたこの地を見た目に、なんとも温かいものがあふれてきた。いつの日か、この地が昔の姿を取り戻すのを暗示するような、ささやかな、しかし地道で苦労の多いこの運動が、この地で暮らしてきた人々に与える希望は、決して小さくはない。
このように私たちには計り知れない苦労がまだまだ続いている被災各地ですが、絶対にその支援の芽を摘んではいけません。そしていち早く元通りの姿に戻ることを祈りながら、風化することのない、このような温かい支援活動や、めげないで精進を積む若者に精一杯応援したいものです。
2013.04.01
やはり大物 No.2370
先々週は暖かい日が続いたため桜の開花を一気に縮めましたが、満開になった途端、先週などはちょっと肌寒い日が何日か続きました。これが花冷えと言うのでしょうが、例年ではこの天気や気温が普通なのかもしれません。
でもその桜も満開の艶やかさがすっかり消えてしまい、緑の葉っぱが目立つようになってしまいました。やはり4月までは持たなかったようです。さて今日からは新年度の4月です。初々しい新入生や新しい社会人にとっては希望のみなぎる時期でもあるわけです。
そんな中にあって、プロ野球でも注目のル-キ-が華々しいデビュ-を飾りました。ご存知、日本ハムにドラフト1位で入った大谷翔平選手です。開幕戦、8番ライトで先発メンバ-として起用された大谷選手、第1打席こそ見逃しの三振に倒れたものの、第2打席では見事なライト線の2塁打を放ちました。
また続く第3打席もランナ-を2塁において、打点1となるライト前タイムリ-を放ったのです。プロ野球に入った新人にとって、最初のヒットを打つということは私たちの想像以上に難しいと言われています。まして高卒ホヤホヤの新人選手です。
それがいとも簡単に相手のエ-ス級の球を打ち崩すのですから、やはりこの選手、大物と言ってよいのではないでしょうか。それにしても栗山監督、よくスタメンで使いましたね。これからのプロ野球の発展のことを考えたら、こうした多少のリスクがあっても、将来性を考えた大きな抜擢は必要ではないでしょうか。
それからこの大谷選手の二刀流について、いろいろな意見が飛び交っていますが、私は本人の持っている可能性を追求する意味で大賛成です。もちろん投手と打者の掛け持ちは、想像以上に大変だと思われます。
現に対西武戦、第3戦の野手としてのスタメンを外れたのは、投手としての準備を図っておかなければいけない事情があったように聞いています。打者はすぐ準備ができますが、投手として起用するのには事前にピッチング練習等、準備に時間が掛かるからです。
でも私たち観てる人間にとっては、今までにない大きな魅力です。何といっても160km近い球を投げるし、打者としても天性の柔らかいバッティングを兼ね備えているからです。とにかく大谷選手、大変ですが日本のプロ野球を大きく変える意味でも、やれるところまで、この二刀流でやってもらいたいものです。
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