会長の”三行日記”
2013年03月
2013.03.12
WBC第2ラウンドから No.2359
WBC第2ラウンドでは多くの方がモヤモヤしていた気持ちから、一気に溜飲を下げたのではないでしょうか。それにしても先週、金曜日の台湾戦は良い試合でした。また長いゲ-ムで、終わったのが12時近くだったと思います。
この試合、勝ったからよいものの、あれで負けていたらどっと疲れていたのではないでしょうか。とにかく井端選手の功績でしょう。第1ラウンドの初戦、ブラジル戦に続いての大殊勲で、あの場面で打てるのは本当に勝負強いバッタ-と言えるのではないでしょうか。
でもその前の鳥谷選手の2死からの盗塁はきわどかったですね。一か八かのセカンド盗塁だったのですが、二塁に進んでなければ続くヒットで同点にはならなかったし、アウトであればゲ-ムセットでした。
ある意味、これが野球の難しさであろうし、醍醐味なのでしょう。台湾のバッタ-も良い選手が揃っていました。マ-くんが出てきて気合の入っている投球で、2回を完璧に抑えたのですが、8回表味方が2点を上げ、同点に追いついたその裏、3連続安打で3-2と勝ち越されてしまいました。
これなどはマ-君を攻めるより、台湾選手の凄まじい執念によるものと思われます。こうした重苦しい雰囲気の中、負けるのではないかと思われた土壇場だっただけに、何度も言うようですが、井端選手の同点打は見事でした。侍ジャパンを2度救ったとも言える、価値ある一打だったと思います。
この台湾戦での見事な逆転劇での勝利が、日本に非常に良いム-ドをもたらし、功を奏した次のオランダ戦ではなかったでしょうか。気持ちの良いように次から次へとホ-ムランが乱れ飛び、久しぶりに安心して観戦ができるゲ-ムでした。
この試合を観ていてつくづく感じたのが、精神的プレッシャ-の大きさです。勝たなければとか、ここで打たなければといった、いつもと違った選手の動きです。これが日の丸を背負ったプレッシャ-の大きさと言えるのではないでしょうか。
さあこれで決勝ラウンドへの進出が決まりました。あとは今日のオランダ戦での結果如何で、1位通過か2位での進出する違いです。どちらにせよ、第2ラウンドで選手の硬さがとれたと思いますので、決勝ト-ナメントは期待できるのではないでしょうか。
それにしても台湾戦での試合後、負けた台湾のチ-ムが遅くまで残って観戦してくれた、多くの観客のいるスタンドに向かって、丁寧にお辞儀をしている姿は好ましく思えたものでした。
また同じ試合後に、台湾の観客が自国の台湾の国旗の上に「日本おめでとうございます。」と書き込むという暖かいシーンもあったそうです。東日本大震災の時にも多くの支援をいただいた同国だけに、本当に嬉しい話です。隣接する国との関係は是非、こうありたいものです。
2013.03.11
あの日から2年 No.2358
金曜日はカキコミができず失礼しました。さて熱戦のWBCの話題を書きたかったのですが、今日ばかりはそうは言っていられないでしょう。あの日から2年が経ちました。多くの犠牲になった方々にとっては、3回忌となるわけですが、心からお悔やみ申し上げます。
でも新聞にも載っていましたが、普通の3回忌とは違い、なかなか区切りがつかないものではないでしょうか。何しろ未だに行方不明のご家族が見つかっていない人も少なくありません。死者は1万5881人、そして行方不明の方は2700人近くと言われているのです。
その中の一人のことが天声人語にも書かれていました。宮城県名取市の会社員、桜井謙二さん(38)は妻(当時36)と長女(同14)次女(同10)を、マイホームもろとも津波に奪われ、いっぺんに天蓋孤独となってしまいました。
「みんな復興へと動いている。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっています。そんな気持ちを口にすることも難しくなっている」。こう話し、自宅跡の更地にたたずみ、3人との日々をただ感じていると言います。
茫然自失のまま、2年経ったといえどもなかなか立ち直れないのではないでしょうか。それはそうだと思います。愛する家族がいっぺんに目の前からいなくなってしまい、そしてその若さでは必死になって建てたマイホ-ムではなかったかと思われます。
限りなく虚しい喪失感と絶望に苛(さいな)まされてしまったのです。自分がもし同じ立場に立たされたらどうでしょうか。おそらく自暴自棄となって、もっと落ち込んで這い上がれなくなっているのではないでしょうか。
また復興や生活の再建は依然として進まず、仮設住宅などに住む人たちが31万5000人もいると言います。それから福島に住む人たちの中には、故郷を追われ、いつ戻れるのか全く判らないまま暮らさなければならない人たちが少なくありません。
改めて原発の怖さを知らされているわけですが、安倍政権はこの脱原発の動きにストップをかけ、原発推進に再度舵を切り直そうとしています。いったい何を考えているのか、全く理解ができないものです。
とにかく東日本大震災から丸2年経った今でも、時が止まったままの方が少なくないわけですから、区切りは何もついたわけではありません。未だに黙々と震災復興のボランティアを進めている方には本当に頭の下がる思いですが、少しでも私たちのような何も被害を受けなかった人々が、被災者の立場になって考えてやれる社会創りを心がけていかなければと思っています。
2013.03.07
日本のトイレ No.2357
今日は臭い話で恐縮ですが、日本のトイレについて触れさせていただきます。昨日の茅ヶ崎出張時にラジオから聞こえてきたことですが、日本にやってきた旅行客の多くが日本のトイレは素晴らしいと語っているそうです。
何が素晴らしいのか、よく聞いていなかったのですが、1つにはあまり探すのに苦労することなく、どこにも公衆トイレがあるということではないかと思います。聞くところによると、ヨ-ロッパのフランスなどでは街に出たとき、このトイレを探すのに苦労するそうです。特に車の場合は渋滞などしていたら大変みたいです。
それに引き換え、我が国では公園には必ずトイレが備わっているし、ス-パ-などのお店では必ずあることから、いざという時にも困らなくて済みます。それから賞賛されるのはやはりトイレの持つ機能性ではないかと思われます。
今の日本ではウォシュレットが当たり前のように、あちこちに備えられています。ホテルや自宅はもちろんのこと、高速道路のパ-キングの公衆トイレにまで完備されています。それは温水や脱臭、乾燥機能まで備えているものです。
こうしたウォシュレットが少しずつ世界に普及しているのでしょうが、元々作り出しているのは日本のメ-カ-です。それは留まることなく、どんどん多機能で進化しています。今ではセンサで人を感知すると、自動的に上蓋が開き、いちいち手を使わなくてもよいようにまでなっています。
これから先、もっともっとハイテクでペ-パ-レスのトイレまで、そのうち生まれるのではないでしょうか。こうしたトイレに快適さや利便性を求めるのは日本の文化ではないかと思われます。ただ用を足すだけではなく、トイレが自分ひとりになってホッとするような、癒しの空間的存在でもあるからではないでしょうか。
また歌にもあったように、古くからトイレには神様が住むと言います。それゆえ綺麗にしていなければいけないとも言われています。私ももうずっと前ですが、1年半もの間、毎日欠かさずトイレ掃除をしていた時期があります。
それが今では2週間に1度となってしまいましたが、この毎日掃除をしていた時期が懐かしく思い出されます。今考えると、少しは人間的にも成長できたような気がするし、充実していたようにも思えます。やはり神様が住んでいたのでしょうか。
話が少し横道に逸れてしまいましたが、とにかく日本のトイレは素晴らしいと、世界の人からも絶賛されているようです。一事が万事、このトイレと同じように、日本の技術や文化が世界をリ-ドしていくことはまだまだいっぱいあるようにも思えます。「頑張ろう!ニッポン」まだまだ捨てたものではありません。
2013.03.06
父の尊い愛 No.2356
北海道を襲った暴風雪により9人もの方が亡くなられました。その中の一人である岡田さんの話に胸を打たれました。自分は犠牲になったのですが、愛する娘を10時間も抱き続けてその尊い命を守ったのです。以下はそのときの記述です。
オホーツク海に面する人口1万人ほどの漁師街、北海道・湧別町。昼までの春らしい陽気が一変し、大雪が降り始めた3月2日午後3時過ぎ、漁師の岡田幹男さん(享年53)は、学童保育に通うひとり娘・夏音ちゃん(9才)を迎えに、自宅から6km離れた児童センターへ車で向かった。
自宅と児童センターの送り迎えだったため、岡田さんは薄手のジャンパーをはおっただけの軽装で家を出てしまったという。漁師という職業柄、天気を読むことができるという岡田さん。児童センターに着くと、先生や親たちにこう言った。
「今日は酷い天気だから、早く帰ったほうがいいよ」 上下スキーウエアの夏音ちゃんを車に乗せ、帰り道を急いだ。だが、雪は彼の予想を超えて、激しさを増していった。帰り道の景色が、いつもと違っていた。雪で視界が遮られ、どこが車道かさえもわからないほどだった。
岡田さん父娘を乗せた車は、児童センターから約4km離れた場所で、道路脇にあった雪の吹きだまりに突っ込んでしまう。岡田さんは知人に、「車が動けなくなった」と助けを求め、消防や警察が捜索を始めたが、難航を極めた。
エンジンはかかるものの車は動かない。車内で救助を待とうにも、ガソリンが少なく、暖房も長くは使えない。何より、恐怖と寒さで凍える夏音ちゃんを早く安心させてあげたい。そう考えた岡田さんは、夏音ちゃんを連れて、近くの知人宅に避難しようと車を降りて歩き始めた。
この時の最大風速は20.1mで、気温はマイナス6℃。風速が1m増すと体感温度は1℃下がるといわれていることを考えると、その寒さは想像を絶するものだっただろう。風が強くて息をすることすら難しい。そんな過酷な状況下でも、岡田さんは夏音ちゃんを抱きかかえて、一歩ずつ前へと進んでいった。
数時間後、岡田さんがやっとの思いでたどり着いたのは、車から300m先の牧場倉庫。だが、入り口の扉には鍵がかかっていて、中に入ることはできなかった。吹雪は岡田さんの体力を奪い、もう一歩も歩けない。朦朧とした意識の中、彼は、ある決意をする。
「この子だけでも守る」着ていた薄手のジャンパーを脱ぎ、夏音ちゃんに着せると、雪が少しでも入ってこないように、両手で強く覆いかぶさるように抱きしめた。それから約10時間もの間、父は、祈る思いで娘を抱き続けた。
翌3日午前7時、警察官がふたりを発見。岡田さんの脈はなく、すでに死後硬直が始まっていたという。「ふたりの上半身は雪で埋まっていたのですが、夏音ちゃんが窒息しないように小さい穴が掘られていたんです。
岡田さんは娘を温めながら、顔に積もった雪を必死で振り払っていたんです。それを見た救急隊員は、岡田さんがどれほど必死で娘を守ろうとしていたのか、胸がつまる思いがしたそうです」(消防関係者)
この父の命と引き換えに守られた夏音ちゃんは、凍傷だけで済み、奇跡の生還を遂げたのでした。一昨年、妻に先立たれた岡田さんは、この長女と二人暮らしでした。そしてこのひとり娘のために、ひなまつりのケ-キまで予約していましたが、一緒に祝うことが叶わなかったのです。
何とも切ない話で胸が詰まります。自分は死ぬ覚悟を決め、愛する娘だけは必死に何とか守ろうとしたのです。これが我が子を持つ、真の親の愛情というものでしょう。心からお悔やみを申し上げます。そして一人きりになってしまった夏音ちゃんですが、守られた尊い命に少しでも幸多かれと祈ります。
2013.03.05
生き残り戦略その1 No.2355
先日も少し触れましたが、私たち中小企業の生き残る要素は他社にないものを持つということではないでしょうか。それは技術や商品、そして人や情報の差別化にあると言われていますが、大企業と違って私たちの一番手っ取り早いのは、やはり人という分野です。
なかなか他社にない技術を持つと言っても、中小企業、特に私たちのようなレベルでは難しいものです。従って比較的簡単に取り組むことができるのが、人(社員)の差別化ということになります。
それは社員一人ひとりが、いかにお客様の喜ぶ姿を描きながら仕事ができるかということに掛かっています。今回の弊社のように、大手が納期が無いからといって断わった物件を、同じように断わっていて私たちの存在価値は生まれるものでしょうか。
納期がなくて確かに厳しかったのは事実です。エンドユ-ザ-の開店を4月に控え、引き合いを頂いたのが1月末、3日間で5面の盤の大きさ等算出しながら見積を提出、納期は2月20日頃と言います。それゆえ、注文を頂けるなら早急にと申し入れたのですが、なかなか返事がありません。
きっとお客様の仕様がコロコロ変わっていたのでしょう。1週間後の2月4日にようやく最終仕様が固まり、手配を進めるようにと返事をいただき、部品手配と図面作成に取り掛かりました。間に軽井沢や平塚の出張工事を挟んで厳しかったのですが、早朝や夜遅くの時間を活用しながら図面が完成し、客先に確認申請をしたのが3連休の最終日である11日です。
ですから実質の製作に取り掛かったのが連休後の12日以降です。一部は先行手配していた関係で入荷していた部品もありましたが、板金等の製作モノはそれからの手配になります。こうしてそれから約7日間で盤を作り上げるのだから大変です。
おまけに忙しいときは仕事が重なるもので、16、18、20、21日と、この現場製作に携わっている社員も別の出張工事に出掛けなければなりません。この社内製作が忙しいなどという理由は他のお客様には通用しないのです。
こうして仕事を進めたくても掛かれないジレンマはありましたが、出張工事から帰ってきて、疲れている体に鞭打ってもらって製作を進め、何とか指定されていた21日に納めることができたのです。本当に感謝以外の言葉が何もないものです。
これは自分たちの会社に求められているものを、私だけでなく、社員全員が理解しているということではないでしょうか。一度約束した納期は絶対的なもので、言い訳ができないものです。そうした使命感に支えられているとも言えるものでしょう。
またどこでも楽にできるのでは何の差別化にもなりません。言い換えれば、そうしたものでは私たちにお鉢が回ってこないとも言え、無理なようなものでも可能にするから出番があるのです。納期に追われていたため、小さな社内的ミスはありましたが、幸いお客様に迷惑を掛けることなく、何とか仕事を完了できました。
「予定通り納めてもらって助かりました。これからもまたよろしくお願いします。」こうしたお客様の声や喜ぶ姿に、「やってよかった」という、新たな生きがいが生まれるもので、小さな会社の生き残りに繋がるものではないでしょうか。
2013.03.04
WBC開幕 No.2354
球春を告げるかのようにWBCが開幕しました。先週、土曜日にはブラジル戦、そして昨日は中国戦と、何とか日本が2連勝を飾り、良いスタ-トを切りましたが、少し不安の残る内容ではなかったでしょうか。
それというのも、ブラジル戦では8回表になってやっと逆転してくれたのですが、それまで観ている私たちは冷や冷やもので、負けるのではないかと思ったほどです。この回、先頭の内川選手がヒットで出てくれたからよいものの、出ていなければたぶん負けたのではないかと思います。
ですから代打の井端選手の貴重なタイムリ-で同点にしたわけですが、井端選手同様、負け試合にならなかった殊勲は内川さんではないかと思っています。とにかくイライラさせるゲ-ムには違いありませんでした。
それからこの試合、投手陣がいまいちでしたね。先発で先取点をとられた田中投手は2回で早々に見切りをつけられ、絶対的安定感を誇っていた杉内、摂津の両投手まで、ブラジル打線につかまってしまいました。ブラジル打線を見くびっていたのか、少し組み立てが甘かったような気がします。
でも勝ち越してからリリ-フした能見、サブマリンの牧田の両投手はよかったですね。特に牧田投手の下手投げはこれからの試合、結構武器になるのではないでしょうか。それから中国戦で5回まで完璧に抑えていた前田健投手も見事でした。
こうした中、今後の試合に向けて期待できる選手はやはり内川選手ではないでしょうか。前回のWBCでの活躍とその経験が凄く生かされているような気がします。追い込まれた空気の中、何とか活路を開くことができる選手だからです。
それから糸井選手がいいですね。第1戦では同点に追いつく早々のタイムリ-、そして続く第2戦でも満塁一掃の勝利を決める見事な2塁打を放ちました。その性格どおり、何かにとらわれない思い切りの良さを発揮しています。
また足も速いし、守備だって悪くありません。こんな素晴らしい選手を日本ハムはなぜ手放したのでしょうか。聞くところによると、契約で球団と揉めたと言います。球団が嫌いな代理人を交渉に立てたからです。でも手放すのはもったいない選手のように思えるものです。
とにかく、少しモタモタしている侍・ニッポンですが、大リ-ガ-抜きの純正日本でも3連覇を果たしてもらいたいものです。そのカギはちょっと出遅れている長野、坂本の両選手と、やはりキャプテンで4番の重責を担っている阿部選手の巨人勢の出来如何ですね。大活躍を願っています。
2013.03.01
ちょっと良い話part104 No.2353
ひさしぶりのちょっと良い話ですが、今朝の新聞に、「サッカ-のポジションは駐車場」という心温まる話を見つけました。こういった話は私は大好きですので、是非とも紹介させて下さい。
小学校からサッカーを始めプロ選手になりましたが、何と言ってもつらかったのは中学校の部活時代です。サッカーの名門校で夏休みは朝から晩までボール拾い。しかも、ポジションはグラウンドの中にはなく駐車場の担当でした。
日曜日は先生たちの車をボールから守るために下級生といっしょに立たされました。つらくて何度もやめようと思いましたが、やめられない理由がありました。それは「頑張ってね」とだけ言って、お弁当を作ってくれる母親がいたためです。
その一言を励みに必死に努力し、ついに試合に出られる日が来ました。ただ、母親にはこれまでのこともあり、言えませんでした。当然、母親は来なかったのですが、試合には勝ちました。
昼にお弁当を食べようとふたを開けてみると、何と赤飯に一言だけ「おめでとう!」と書いてありました。母親はすべてを知っていたのです。その日のお弁当は、涙でしょっぱかったことを忘れられません。
このように自分の子どものことは全てお見通しなのですね。奈良時代の歌人である山上憶良が「銀(しろがね)も金(こがね)も何せんに、まされる宝、子に及(し)かめやも」と詠んだ歌があります。金や銀の財宝があろうとも、可愛い我が子にまさる宝が他にあろうはずがないとの意味ですが、まさにその通りですね。
辛くてやめてしまうのはいとも簡単ですが、このように必ず自分を温かく見守ってくれる人がいると思えば、軽はずみのことはできないはずです。また朝の来ない夜はないとも言われ、嫌なことや苦しいことばかりは続きません。
ですから何かあってもそれから逃げ出すことなく、お互い前向きに生きたいものです。自分の誕生月でもある、寒さの厳しかった2月も昨日で終わり、今日からはいよいよ春の到来を告げる3月です。天声人語にも「幼い春に、老いる冬が少しずつ道をあけていく」と記載されていました。待ち望んだ、心も体も温まる季節の到来を楽しみたいものです。
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