会長の”三行日記”
2013.03.11
あの日から2年 No.2358
金曜日はカキコミができず失礼しました。さて熱戦のWBCの話題を書きたかったのですが、今日ばかりはそうは言っていられないでしょう。あの日から2年が経ちました。多くの犠牲になった方々にとっては、3回忌となるわけですが、心からお悔やみ申し上げます。
でも新聞にも載っていましたが、普通の3回忌とは違い、なかなか区切りがつかないものではないでしょうか。何しろ未だに行方不明のご家族が見つかっていない人も少なくありません。死者は1万5881人、そして行方不明の方は2700人近くと言われているのです。
その中の一人のことが天声人語にも書かれていました。宮城県名取市の会社員、桜井謙二さん(38)は妻(当時36)と長女(同14)次女(同10)を、マイホームもろとも津波に奪われ、いっぺんに天蓋孤独となってしまいました。
「みんな復興へと動いている。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっています。そんな気持ちを口にすることも難しくなっている」。こう話し、自宅跡の更地にたたずみ、3人との日々をただ感じていると言います。
茫然自失のまま、2年経ったといえどもなかなか立ち直れないのではないでしょうか。それはそうだと思います。愛する家族がいっぺんに目の前からいなくなってしまい、そしてその若さでは必死になって建てたマイホ-ムではなかったかと思われます。
限りなく虚しい喪失感と絶望に苛(さいな)まされてしまったのです。自分がもし同じ立場に立たされたらどうでしょうか。おそらく自暴自棄となって、もっと落ち込んで這い上がれなくなっているのではないでしょうか。
また復興や生活の再建は依然として進まず、仮設住宅などに住む人たちが31万5000人もいると言います。それから福島に住む人たちの中には、故郷を追われ、いつ戻れるのか全く判らないまま暮らさなければならない人たちが少なくありません。
改めて原発の怖さを知らされているわけですが、安倍政権はこの脱原発の動きにストップをかけ、原発推進に再度舵を切り直そうとしています。いったい何を考えているのか、全く理解ができないものです。
とにかく東日本大震災から丸2年経った今でも、時が止まったままの方が少なくないわけですから、区切りは何もついたわけではありません。未だに黙々と震災復興のボランティアを進めている方には本当に頭の下がる思いですが、少しでも私たちのような何も被害を受けなかった人々が、被災者の立場になって考えてやれる社会創りを心がけていかなければと思っています。