会長の”三行日記”

2012.07.13

ちょっと良い話part95 No.2245

今週はいろいろと行事が重なり、ちょっとバタバタでカキコミがあまりできませんでした。やはり新聞で見つけたちょっと良い話です。「石になった妻の遺骨」という投稿文ですが、こうした故人への偲び方もあるのですね。
 
3度目のお盆を迎えた。妻ががんで50代の若さで亡くなったのは3年前の秋。妻の三回忌までにはと思っていたお墓だが、今になっても、どうしてもつくる気にはなれないでいる。

昨年、遺骨を「石」にするというサ-ビスを知った。遺骨を高温で溶かし、冷やして結晶化させるという。唐突な私の提案を、高校生の息子は受け入れてくれ、妻の遺骨は3個の石になった。

丸みを帯びた小さな白い石は、妻そのものであり、小さな墓石のようだ。石には、私のものには「妻 ようこ」と、息子のものには「母 ようこ」と刻んでもらった。そして、もう一つの石にも「母 ようこ」と刻んでもらった。

妻には前夫との間に息子がいたが、3歳の時に別れたきり、再び会うことはなかった。妻の死後、思いもかけずその彼と出会い、以来、妻の思いを彼に伝えていくことが私の役目と思っている。もう一つの石を彼に渡すことに躊躇はなかった。

後日、彼から「結婚式に石を胸に忍ばせて臨みました。母も喜んでくれたのではないかと思っております」とのメ-ルが届いた。思わず、ほおがゆるんだ。

 
このような広い心を持ちたいものです。愛する妻であれば、自分以前の過去など抹殺したくなるのは常でしょうが、しっかりと妻の立場になって考えてやっています。
 
こうしたものが本当の思いやりというのではないでしょうか。考えてみれば両親の離婚により別れさせられた子どもには何の罪もないものです。
 
いろいろな事情があり、別れなければいけない夫婦が少なくないようですが、こうした犠牲とも言える子どもたちのことも、真剣に考えてやらなければいけないように思えるものです。
 
子はかすがい、とも言われています。また我が子に教えられて、親も成長していくことが少なくありません。話がちょっと逸れましたが、やはり思いやりの心が、絆を大きくしていくものではないでしょうか。