会長の”三行日記”
2012.06.15
いかにしてなでしこは世界を制覇したのか その1 No.2228
今度のオリンピックでも金メダルを期待されている「なでしこジャパン」ですが、雑誌「致知」に、いかにしてワ-ルドカップを制覇できたのかを、代表監督の佐々木則夫さんに聞いていました。
今でもしっかりと思い出すことができ、一度も勝てなかったあのアメリカを破り、世界の頂点に輝いた優勝は、先制され、追いつく、また勝ち越されて突き放され、土壇場で追いつくといった、劇的な試合を制してものです。
そしてこの優勝は、東日本大震災で痛めつけられ、暗く落ち込んでいた日本に勇気と感動をもたらしてくれました。ヨ-ロッパのマスメディアは試合を評して「日本の監督はノンフィクションのスピルバ-グだ」と称えたくらいです。
ハラハラ、ドキドキ、そしてハッピ-エンドだったからです。また日本のスポ-ツ史上でも最高の勝ち方ではなかったかと言われています。そしてよく言われるのが、PK戦に日本が臨んだときのあの笑顔についてです。
佐々木さんはこれについて「こいつら、よくやっているな、という思いが湧いてきて、自然と表情がニコニコと和らいできた」と言っています。そして「本当のところは選手を和ませるというよりも、おまえらよく頑張ったという私の思いが出た表情だったのです」というのが真相のようです。
ですから監督に、妙な欲があれば笑えなかったと言っています。それともう一つ、キャプテンの澤さんが円陣を組んでいる中、スッと寄ってきて「則さん、ごめん」と言ってPKを回避したいと申し出たそうです。それで皆が「ずるい」と言って、また盛り上がったみたいです。
彼女は以前、2006年のアジア大会決勝でPKを外して負けて以来、一本もPKを蹴っていなかったそうです。「蹴りたくない」という言葉が本人から出た時点で、これは蹴らさないほうがいいと、監督は即座に判断したと言っています。
メンバ-にも「さっき澤がミラクルシュ-トでこの場を与えてくれたんだから許してやれ」と言って納得してもらったのです。この残り2分もない局面で澤選手が奇跡的に入れたシュ-トも、決して初めてではなかったとのことです。
北京五輪初戦のニュ-ジ-ランド戦でも、2-0でやられている時に、やはりああいうシュ-トを入れているらしいのです。人々がその時点では、あまりなでしこに注目していなかった時期だったのでしょうね。
とにかくW杯に出発する時は、見送りは報道陣も新聞記者が数名とカメラが数台しかなかったと言います。それが戻ってくるときにはあの騒ぎです。報道陣だけでも260人ぐらいが詰め掛け、成田空港始まって以来の数だったそうです。
まさに天と地ぐらいの差の扱いだったと言っています。この他にもまだまだ、人はどうやったら気持ちよく動き、成果を上げることができるのか、私たち経営にも通ずる話をふんだんに語られています。また次の機会で紹介させて下さい。