会長の”三行日記”

2012.05.22

靴磨き No.2212

最近、靴磨きのおじさんを見掛けなくなりました。以前はガ-ド下など、路上で店を広げる人が結構いたものです。見掛けなくなったのは、やはり時代のせいなのでしょうか。
 
そんな数少ない靴磨きの中で、この道60年以上のベテランの方2人の記事が新聞に載っていました。お一人は東京・上野に近い、JR御徒町駅北口のガ-ド脇に店を構える82歳の元島さんです。
 
戦後間もなく、富山から上京して上野で靴磨きを始め、御徒町を仕事場にして50年になると言います。かつて同じ路地に靴磨きは6人いたそうですが、そのうち4人は女性で、東京五輪の頃は1日で100人以上の靴を磨いたこともあると言います。
 
当時はまだ舗装されていない道も多かったためか、サラリ-マンが仕事途中でも土ぼこりを落としに立ち寄ったとのことです。でもほとんどがアスファルトに舗装され、合成皮革の靴が増えたため、客は激減してしまったのです。
 
そして駅にも自動靴磨き機などが置かれ、靴修理を行うチェ-ン店が増えたことにより、とうとうこの辺りでは元島さんだけになったと言われています。
 
靴磨きで道路を使うのには、警察や行政の許可が必要です。また、もともと戦災で職を失った人のために、1代限りで特別に許可をしていたため、都では現在新規の許可を出していないそうです。
 
このため、かつては都内には500人いた靴磨きが、現在では道路使用の許可を持って営業しているのはたったの12人にまで減ってきているとのことです。
 
またもう一人、新橋駅前には90歳になる沢村さんという女性がいます。10代のときに新潟から上京したのですが、夫を結核で亡くしてから28歳のころから、この仕事を続けているそうです。
 
沢村さんにこんな話があります。数年前、関西から就活で来た学生が茶色の靴で店にやってきました。「古い人の中には、面接に茶色の靴でくる学生をよく思わない人もいるよ。合皮でいいから、黒いのに履き替えなさい」とアドバイスを送りました。
 
後日、その学生が黒い靴で現われ、「おかげで就職が決まったよ」との報告があり、孫のことみたいで、とても嬉しかったと喜んでいます。こんなことも、この商売ならではの話ではないでしょうか。
 
だんだん、こういった人たちがいなくなってしまうのも寂しいものです。顔も上げず、ただ黙々と台に載せられたお客の靴を、靴墨の染みこんだ布とブラシで磨き上げていく、こういった仕事もプロの技です。いつまでもお元気で働いてもらい、もっともっと、この方たちにも光を当ててもらいたいものです。