会長の”三行日記”

2012.01.18

余裕のある生活 No.2138

昨日の1月17日は阪神淡路大震災の起こった日で、あれから、もう17年も経っていることを知らされました。昨年の東日本大震災の悲劇のために、すっかり忘れかけようとしていましたが、そのくらい街は見事な復興を果たしているものです。
 
被災地・東北もこの阪神のように、いち早く人々の生活が元通りに戻れることを何よりも願っています。さて年が明けてから何かといろいろなお付き合いが続いているものです。
 
相手変わっても主変わらずで、あちこちに良い顔をしていたら、体がいくつあっても足りないような状態かもしれません。こうなると毎日の生活に少し余裕がなくなってきます。あるところに次のような「余裕のある生活」ということが書かれていました。
 
ある知的障がいの施設にあったお話です。みんなで、一生懸命がんばったから、先生やお母さんといっしょに関西旅行に行こうと、相談がまとまりました。

「新幹線に乗れる」と子ども達は大喜びでしたが、少年の中にうかない顔をしている子どもが一人おりました。その少年は鉄道が好きな子で、駅の名前や列車のことにかけては、何でも知っているベテランでした。

その少年が園長先生の目にとまり顔をながめると、少年の目が何かを訴えています。わけを聞いてみますと「新幹線は窓があかないよ。駅がぼくたちを待っているよ。駅にあいさつすることができないよ。」と、答えたそうです。

さすが園長先生、この言葉にうたれて、二枚の切符を求めると少年と二人だけで、たった1本しかないドンコウで、皆より6時間も早く出発しました。

目的地には、ほぼ同時に到着しました。待ち合わせた父兄や友人が異口同音に叫んだのは「やはり、ドンコウに限る」の言葉だったそうです。

 
スピ-ドだけを求め、何でも押しのけていく近代文明に対する警告かもしれません。俺がオレがではなく、一歩譲って、人々を先に行かせる余裕を持たなければいけない、忠告の言葉のような気がします。
 
そんなに慌てて何処に行く、今度の休みが来たら、家内と二人で鈍行か東名バスにでも乗って、のんびりと寄席にでも行きたくなりました。