会長の”三行日記”
2011.11.29
ちょっと良い話part85 No.2117
「決意の日」父さんへという、新聞に載っていた恋文大賞の大賞作品です。
「父さん、恥ずかしいから参観日に来ないで!」小学校最後の父親参観を拒んだときの、父さんの悲しそうな顔は、十年経った今でもぼくの脳裏に焼き付いています。
ぼくは塗装職人の父さんを恥ずかしいと思っていました。ペンキだらけの服に、ガサガサの手、シンナ-くさい車。そのすべてが大嫌いでした。
ぼくが風邪をひいても、母さんと二人で現場に出て、朝早くから夜遅くまで、休みもなく働き続け、おまけに冬は出稼ぎで本州に行く。ぼくは寂しくて、父さんと母さんの苦労も知らず、自分勝手に反抗していました。
自分のいたらなさを親のせいにして、家出もしました。あの日、「もう家には帰らねえ!」と睨み付けたぼくに、「ちゃんと飯食ってるのか。風邪ひいてないか」と、父さんは笑顔でした。
殴られると思っていたぼくは拍子抜け。こぶしのやり場に困りました。父さんがすい臓がんで余命1ヶ月と告知された日も、ぼくは家に帰らず、遊び歩いていました。
父さん、ごめんなさい。なぜ反抗したのか、自分でも理由がわかりません。父さん、会いたいです。話したいことがたくさんあります。孝行したいときに親はなし、と言いますが身に沁みます。
高校の卒業式に、父さんからもらった三行の手紙は、ぼくの宝物です。「卒業おめでとう。父さんはペンキ屋の仕事に誇りを持っている。命を懸けている。千ヒロもそんな仕事に巡り会ってほしい。職業に貴賎なしだよ」
父さん、ありがとう。ぼくは薬剤師を目指して薬科大学に行きましたが、どうしても父さんの跡を継ぎたくて、大学をやめる決意をしました。
父さんが死んでからは、母さんの仕事も激減し、抜け殻のようになっています。今日は父さんの命日です。ぼくの決意が正しいかどうかはわかりませんが、明日から母さんと一緒に現場に出ます。
父さんの分まで、母さんに孝行するつもりです。 父の志を 受け継ぐ心 実直に
まさに孝行したいときには親はなしという、ことわざどおりですね。私もいじけていた時代がないわけではありませんが、夜遅くまで黙々と働いているオヤジの背中を眺めて、自分が情けなくて涙が出てきたことがあります。
言われるとおり職業に貴賎はないわけで、凛とした親の背中に教えられることは少なくないものです。