会長の”三行日記”
2011年09月
2011.09.14
県大会出場 No.2073
朝晩はめっきり涼しくなりましたが、昨日あたりの日中の天気はどうでしょうか、まるで真夏の天候です。所によっては熱中症の声も聞かれました。被災地ではがれきを取り除いた後、草が一面に生い茂る中、秋の虫の音が聞かれるというのに、本格的な秋はいつ訪れるのでしょうか。
さて、母校がひさしぶりに秋の県大会出場を果たしました。1回戦、早々に強豪と言われた伊東商に敗れ、その出場を危ぶまれていたのですが、敗者復活戦にまわり、富岳館、三島南、三島、桐陽、そして5位決定戦で加藤学園を倒し、見事その権利を得たのです。
残念ながら仕事の都合で、その1試合も眺めていないことから、詳しい試合内容は掴めていないのですが、投手・中林くんが尻上がりに良くなってきていると聞いています。
ただ得点差だけを眺めてみると、敗者復活1回戦の富岳館戦9-2コ-ルド勝ちを除き、他の4戦、3-1、5-4、5-3、5-3と、どれも接戦で試合をものにしています。これはチ-ムに粘りが出てきた証しではないでしょうか。
こうして県大会出場を決め、その組合せも決まりました。東部5位の我が校は、17日の1回戦、掛川球場で、やはり西部5位の掛川東と対戦します。この学校は東高の現監督がこちらに赴任する以前に指導していた学校です。
それだけに少しやりにくいところがあるかもしれませんが、逆に言えば精神的にもあまりプレッシャ-がないものと思われます。思う存分、その手腕を振るってもらいたいところです。
そして1回戦勝てば中部1位の東海大翔洋の強敵です。でもこの秋の大会は新チ-ムだけに、それぞれの伸びしろが計り知れないものがあります。従って1戦ずつ、確実に力をつけて成長していくチ-ムが必ずあります。
我が校も是非、ここで大きく伸びるチ-ムの1つになって、強豪を倒すという波乱を巻き起こすことを願いたいものです。何よりも秋は、1回も負けられないという夏の大会と違って、何回か負けても、その負け方次第でチャンスが残ります。
願わくばこの県大会、優勝とまではいかなくても、何とか3位に残って東海4県出場を果たせれば、21世紀枠ということもあるし、大きな夢に近づくことができるのですが...とにかく母校の健闘をただただ願うばかりです。
2011.09.13
ちょっと良い話part82 No.2072
湯たんぽという、足元ばかりでなく心まで温まる、ちょっと良い話です。自分の両親が亡くなったりすると、どうしても親戚と言っても、だんだん縁が薄くなっていくものです。そんな絆を絶やさず、守っている話です。
ふるさと岩手での同級会は、実家に宿を頼んでの参加。40年ぶりの懐かしい顔もあり、話は尽きることなく、お開きは11時過ぎだった。
それでも甥夫婦は起きて待っていてくれた。遅くなったのを詫び、風呂を頂き、床に就いた。すでに部屋は温かくなっていた。スト-ブを消して床に入った足元に、ゴロリとした物が。何と湯たんぽが入っていた。
両親も亡くなって30年以上経ち、兄夫婦も3年前に相次いで亡くなり、現在は甥夫婦だけ。それなのにこんな温かい心づくしのもてなしを受けることができた。
仏間に並んでいる遺影に感謝の手を合わせ、嬉し涙が止まらない。体と心の芯まで温かくなった一泊でした。
実家に自身の親や兄弟がまだ存命な場合は、里帰りや所用での立ち寄りはまだしやすいものですが、このような世代が代わってくるようなケ-スになると、中には帰省しにくい場合も出てきます。
それだけにこうした心配りがとりわけ嬉しかったのでしょう。特に自分の親が亡くなってしまうと、その付き合いが疎遠になりがちです。
私もあまり言いたくないことですが、母親の兄弟である伯父や伯母の通夜・葬儀にはしっかりと参列し、お悔やみはしたつもりですが、跡取りである、同世代の従兄弟からは私の母親が亡くなっても、なしのつぶてです。
まあ、こんなケ-スはごく稀なケ-スでしょうが、せめて人間として顔を会わせても、まともに目を合わせることのできる付き合いはしたいものです。それだけに、ご先祖さんを敬い、せめて自分にできる限りの、縁を絶やさない、このような優しい心配りは是非していきたいものと思っています。
2011.09.12
あの日から半年 No.2071
あの大震災から半年が過ぎ去りました。被災地では依然として一向に進まない復旧で、今尚、多くの人たちが苦渋を強いられています。
そんな中、昨日のNHKのど自慢は被災地・岩手の久慈市からの中継でした。いつもより30分延長し、やはり被災地の宮城・福島からの参加者、各5名を加えた30名による特別番組でした。
この、のど自慢には少し泣かされました。出場者はほとんど、震災の影響を受けた方々ばかりで、やはり東北の方ですから、歌のうまい人たちが揃っていました。
そしてそれぞれの歌が、どれも身につまされるものばかりだったのです。「夕焼け雲」の、帰りたいけど帰れないとか、涙を拭いて抱きしめ合おうなどと、熱唱されると、こちらまで居たまらない気持ちになったものです。
中には特別賞を獲得した、家が崩壊し仮設住宅暮らしの人もいます。また9人暮らしの大世帯だったのが、東京や新潟、秋田など3箇所に今は分かれて住まなければいけない方もいました。
そんな辛い思いをしているのにもかかわらず、笑顔で元気よく唄う姿に、何とも言えない気持ちにさせられたものです。
また新聞にも「開業 青空コンビニから」という記事が載っていました。セブンイレブンのお店が8月6日になって、ようやくプレハブの仮店舗に移ったというお話です。
震災から2ヶ月経った後、経営者である夫婦は南三陸町の道路脇の青空の下、小さなテ-ブル一つでがれきの中に立ち、青空コンビニを再開しました。目の前をがれきを載せたダンプカ-が通り過ぎる影響で、家に帰ると髪の毛だけでなく、鼻や耳の中にも砂がいっぱい詰まっています。
なぜここまでしてやらなければいけないのか、その答えを教えてもらいました。夫婦は親類も誰もいない、この南三陸町に二人で15年前にコンビニを開きました。海が近いし、若者がいるからという見込みからです。
しかし完全にこの見込みは外れ、パ-ト従業員すら集まりません。そして廃業も考えた10年目になって、ようやく気づきました。都会のように不特定多数の来店を待つのではなく、人と人との繋がりで商品を買ってもらう、そんなお店でなければこの町では買ってもらえないことに。
こうして地域に溶け込み、受け入れられ始めた15年目の今年の春、津波に店舗を押し流されたのです。プレハブの店舗に通うお客が最初に向かうのは、商品棚ではなくレジに立ち寄り、「よっ、元気かい」と店主に声を掛けてから、買い物かごに商品を入れ始めると言います。
またこのお店のオ-プン後、陳列する商品も大きく変わったとのことです。近所の農家から頼まれた野菜とか、仮設住宅の仏壇に供えるお花や線香などが加わったからです。またどこの家にあるのが当たり前の商品もよく売れると言います。それだけ、生活の全てを押し流されてしまったからでしょう。
こうして単に商品を売るだけのお店ではなく、物と一緒に心まで支え合って、地域の人との大切な絆を守って、復興の足がかりともなっているわけです。のど自慢の出演者同様、いち早い、多くの方々の明るい笑顔の訪れる日を心から願うものです。
2011.09.09
五輪出場 No.2070
なでしこがロンドン五輪出場を決めました。昨日、対北朝鮮戦では終盤のロスタイム、後3分という時間帯になって同点のゴ-ルを奪われ、惜しくも引き分けとなりましたが、その夜の試合、中国がオ-ストラリアに負けた為決定したのです。
でも疲労がピ-クに達していたのでしょう、この北朝鮮戦では終始、相手のペ-スで試合が運ばれていました。できる限りバックを含む全体を押し上げ、攻撃的なサッカ-に徹していた北朝鮮は、年齢的なものもあって、動きも最後まで鋭く、なでしこお得意のパス回しも封じていたくらいです。
今回はこれで出場を決めたからよいものの、これから韓国と並び、北朝鮮は嫌な相手になるのではないでしょうか。それにしても、その前の試合までの5日間で3試合を含み、8日で4試合の強行軍です。しかもそのほとんどが夜ではなく、日中の時間帯です。
これなどは主催国である、中国に仕組まれたのではないかと思ったほどです。この地元である中国は、ほとんど夜の時間帯で、涼しいときをあてがっていたからです。
もっとも昼間も予想していたほど、暑くはならず助かりましたが、連戦での影響はピッチコンディションと併せ、かなりしんどいものだったようです。
でもこうした大変な要素も克服して、見事、五輪出場を決めたなでしこのメンバ-はさすがです。前回少し触れたように、ワ-ルドカップで優勝を勝ち取ったゆえに、どうしても負けられないというプレッシャ-は小さなものではなかったはずです。
また五輪出場を決めてから出て来たニュ-スによれば、佐々木監督も、もし出れなければ監督を辞任する覚悟でいたとのことです。いくらW杯チャンピオンとはいえ、五輪の出場権を得られなかったら、また、ただのチ-ムに戻ってしまうからです。
そういった意味では、監督が言われるように、眠れない毎日が続いていたのかもしれません。何はともあれ、出場できて何よりです。来年に迫った五輪では、今回の北朝鮮戦で示されたように、押し上げられた素早い攻撃や、当たりに対する対策や課題が突きつけられました。
是非、もう一回、ゆっくり時間を掛けて鍛え直し、美しいなでしこのサッカ-を見せてもらいたいものです。またそれが多くの人が望み、期待しているところです。
2011.09.08
父と子 No.2069
地元の新聞によく投稿をされている、眼科医の方がこんなことを書かれていました。
父と子という題の、このような内容です。出掛けたある温泉場での出来事です。露天風呂に入ると、小学校2、3年生ぐらいの男の子がたった一人で湯船に入っていました。
どこから来たのとか、何気ない会話をいくつか交わした後、この少年をよく見るとタオルを着けたまま、湯船に入っていることに気がつきました。
先生はちょっと迷ったのですが、少年にこう伝えました。「僕、湯船の中にタオルは入れないほうがいいよ。みんなが入るのに、お湯が汚れるからね」こう言った途端、少年は素直にタオルを湯船から出しました。
しばらくすると、この少年の父親が入ってきたのです。そして少年と同じように、タオルを着けたまま湯船に入りました。並んで湯に浸かっていた少年は、父親に問い掛けました。
「お父さん、湯船の中にタオルを入れてもいいの」、「別にかまわないさ」 二人と対面する形で湯に入っていた先生は、少年の様子を観察していました。父親の返事を聞いた少年は、それでも外に出していたタオルを再び湯の中に入れようとはしませんでした。
そして湯から上がった脱衣所で、父親から離れた少年に先生はこう言いました。「僕、偉かったね」、少年は少し、はにかみながらも嬉しそうに出て行ったのです。
こうした、小さな何気ないやりとりかもしれませんが、爽やかな話ではないでしょうか。先生がこの少年にこうしたアドバイスを送らなければ、きっといつまでも気がつくことがなかったでしょう。
まして父親がそのことに全く気がついていないのですから、尚更のことです。この話を読んで、このような先人からの教えや言い伝えを、正しいことであれば後世に、特に自分の子どもですら伝えきれていない親が多いように思えます。また気がついていないとも言えるかもしれません。
そしてもう一つ、他人から教えられたことと、父親からの言葉が食い違い、少年なりに心の中で小さな葛藤があったのではないでしょうか。それを小さな胸で受け止めた後の対応は、見事でした。
私たちはこの先生のように、正しいと思ったことはやはり、これからの時代を担う世代に、たとえ勇気が要ることでも伝えていかなければなりません。それが今の世に生きる責任として、思いやりと優しさを社会に育むことに繋がっていくのではないでしょうか。
2011.09.07
納豆への思い出 No.2068
昨日は軽井沢に工事で出掛けたのですが、やはり現地は涼しいですね。朝4時ぐらいにこちらを出発したのですが、向かう途中、清里を抜けて野辺山に差し掛かる辺では、道路付属の気温表示が13℃を示していました。
そして現地でも朝早かった為か、半袖の出で立ちでは少し涼しく、日なたが恋しかったくらいです。それでも向こうの方の話では、やっとそれらしい天候になってきたようで、今年の夏は暑かったと言われていました。やっと秋になってきたという感じでしょうか。
さて雑誌に納豆のことを取り上げた記事が載っていました。学生時代、その頃は今のように出来合いの惣菜を売っているお店がありませんでした。
従って貧しい独身者としては、モヤシぐらいしか求めるものがなく、八百屋で買ってきては油で炒めてご飯のおかずにしたそうです。でも先輩から、栄養失調になるぞと忠告されたので、豆腐に目を向けました。
安くて栄養価があり、生でもいいし煮て食べても飽きません。でも今のように日持ちがする真空パックがないため、買い置きができません。そこでこの納豆に注目したのです。
そして毎日、明けても暮れても納豆、納豆の生活となったのです。こうして、他にも二人の納豆好きが寄り集まり、ついには日本全国の納豆を食べ歩きする、「大日本納豆党」なるものを結成したというのです。
面白かったのは、公園の木陰で、この納豆を食べ比べする品評を行っていたときのことです。誰かが通報したらしく、警官に不審訊問されたそうです。アイスクリ-ムならまだしも、納豆を真面目な顔をして食べ比べしている様子が、いかにも怪しかったのでしょうね。
そして仕事で世話になっている印刷会社の専務が以下のような、納豆にまつわる思い出話をしてくれたそうです。
昭和33年の冬、学生服姿でアルバイトの納豆売りをして頑張ったが、1ヶ月も続かなかった。1本10円で売り、朝早く自転車を走らせて、ナット、ナットオと大声で呼びながら売る。ナットオ-、と語尾を伸ばすのがコツでね。
そしてこんな秘話も披露してくれました。東京の下町をテリトリ-に売り歩いたのだが、ある家のお嬢さんに一目惚れしてしまった。品のよい美人である。
毎朝、けなげにも自宅の前を掃除している。挨拶を交わすだけの仲だ。ある日、呼びとめられた。納豆を下さい、と注文された。専務は真っ赤になった。嬉しさと恥ずかしさが一緒くたである。それきり、娘の家の前を通れなくなった。
何とも古き良き日本が感じられる話です。ちょうど3丁目の夕日の世界でしょうか。私も幼き頃、売ったことはありませんが、この納豆売りの声はよく聞いていたものです。
ワラに包まれていた納豆の香りが、何とも言えないほど、ほんのりとした記憶に残っているものです。ちょうど「寒い朝」の、大好きだった吉永小百合さんを思い出させます。古き良き郷愁に浸るのは老化現象の始まりかもしれませんが、今では感じられない日本の良さを思い起こさせられました。
2011.09.05
頑張りがその将来を変える No.2067
ノロノロ台風が和歌山県はじめ近畿地方に多くの被害をもたらしました。これは何よりも雨が凄く、その記録的な降水量から、河川の氾濫や土砂崩れを招いたからです。被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
毎日のようにテレビを賑わせていた、世界陸上が終わりました。ボルトの200m決勝がいつ始まるのかと、なでしこの韓国戦を観ながら、何度かチャンネルを切り替えた、落ち着かぬ日もがあったくらいです。
また昨日のマラソンに出場した、埼玉県職員の川内優輝選手も、後半必死な粘りで日本の団体銀メダルに貢献しました。実業団に所属しない市民ランナ-なだけに、多くの人から期待され、注目が集まっていて、結構プレッシャ-もあったでしょうが、よく頑張ったと思います。
今回の出場に関しても、有給休暇扱いとのことで、明日6日からは通常通りの出勤となるようです。このようなサラリ-マン選手で、練習も限られていて、なかなかできないことから、本当によくやったと言えるのではないでしょうか。
さてタイと韓国に2連勝した、なでしこについてです。メンバ-を落としたタイ戦はともかくとして、土曜日の韓国戦は少しハラハラさせられました。良い流れだったのは前半の開始早々の時間帯だけで、特に後半など、本来の綺麗なパス回しも見せれないほど、終始韓国のペ-スになっていたように思われます。
やはり少し疲れているのでしょうか。何しろ今日のオ-ストラリア戦まで、5日間で3試合という強行軍です。またそれに加え、世界一となり勝ちを義務付けられている、今までとは違ったプレッシャ-もあるからでしょうか。
ちょうど今から3年前の北京五輪、準決勝でアメリカに、そして3位決定戦でドイツに敗れたといっても、このなでしこのメンバ-の間では、口惜しさどころか、ここまでやれたという満足感すら漂っていたようです。
それが今回のワ-ルドカップで、早い段階で強豪ドイツを下し、準決勝でスウェ-デン、そして決勝で24戦して一度も勝ったことのないアメリカまで破り、その頂点に着いたのです。
これは真の実力がNO.1となったわけではないにしろ、たった3年で、その立場が大きく変わったことには違いありません。何しろ対戦チ-ムの挑み方が変わってきて、今までの追う立場から追われる者となったのです。これは大きな違いではないでしょうか。
それでもこうして苦しみながらも、何とか試合に勝ち、勝ち点3を獲るのはさすがです。北京五輪で日本に勝ったアメリカの女性監督が、こう言って日本チ-ムを褒め称えたそうです。
「なでしこのサッカーは女子サッカーの未来である」その言葉どおりの結果を出しつつある、なでしこのサッカ-だけに、本来の流れるような、美しいパス回しのサッカ-を今日のオ-ストラリア戦では是非見せてもらいたいものです。
それが川内選手ではないのですが、まだまだサラリ-マン選手の多い、日本女子サッカ-界のこれからを大きく変えていく、望んでいるところに繋がるのではないでしょうか。
明日は早朝より、軽井沢にモノレ-ルの工事で調整依頼があり出張します。カキコミは休ませて下さい。
2011.09.02
ちょっと良い話part81 No.2066
父からの電話という、ちょっと良い話です。少し長文になっていますが、そのやりとりの情景が目に浮かぶようで、ほのぼのとした気分にさせてもらいました。
「お前、明日は仕事何時に終る?」仕事で東京に住む私の元にかかってきた1本の電話。それは生まれて初めて父親からもらう電話だった。父は仕事で客船に乗っていて、明日東京に来るから、母から預かった荷物を持ってくるという。
普段から無口な父は、電話でも用件を言うとすぐに切ってしまった。狐につままれたような気分になりながらも、久しぶりに父に会えることを楽しみにした。
父は私が幼稚園に上がる時に母と結婚した。つまり私と父には血のつながりがない。その後、弟と妹が生まれたが、わけ隔てなく接してくれていた。もちろん口数が少ないために、あまり話しをした記憶などなかったけれど、幼い頃に熱を出した私のために、熱いミルクを作ってくれたのを良く覚えている。
そんなことを思い出しながら待っていると、大きな手提げ袋を抱えた父が改札を通ってきた。「飯食いに行くか。なにが食べたい?」ごく当たり前のように、夕食を一緒に食べようと言う父に若干とまどった。
家に居たころにそんなことを言われたことがなかったからだ。とっさに思い浮かばず口ごもっていると「食べたのか?お腹空いていないのか?」と聞いてくる。
こんなに話す父は初めてだったが、なんだか嬉しくなった。駅ビルの中にあるトンカツ屋で、一緒にトンカツ定食を食べた。『職場はどうだ?』『人付き合いは大変じゃないか?』『新人なんだから礼儀はきっちりしておけよ』食べながら社会人としての心得や、お互いの仕事の話をした。
父はこんなに話す人だったのか・・・。と驚きながら、仕事という共通の話題ができたことが嬉しかった。食べ終わると、荷物を持ったまま私の電車はどれか?と聞いてきた。
「女子寮だからね・・入れないよ!」と言うと、乗り継ぎの駅まで送ると言う。大きな袋は重そうだったし、父とこんなに話をすることもないので言葉に甘えて帰りの電車に乗った。最後の乗り継ぎ駅は蒲田だった。
そこで父は大きな袋を私に渡すと「こっちの冬は寒いぞ。そんな格好じゃあ風邪をひくぞ。もっと暖かい格好をしなさい」と言って、今来た電車のホームに歩いていった。「またこっちに来るときは電話してね!」と声を掛けると、照れたように笑って改札を通っていった。
大きな荷物は意外に重く、寮までの歩きは大変だったけれど、帰宅して開けてみると缶詰やらレトルトパックの食品だった。「母さん、父さんから荷物貰ったよ!ありがとう♪こんなにたくさん・・」と実家の母に電話をかけた。
「すぐあえたの?大丈夫だった?」という母に、父に食事をご馳走になったと言うと、やっぱり母も驚いていた。「缶詰とか食品はわかるけど・・お菓子まで入れて・・こっちでも買えるのに」と笑うと「え?私はそんなの入れてないよ」という母の声。
まさか、父が?なんだか胸がキュンとして、母と二人で笑いながら涙がこぼれた。「ねぇ、母さん、父さんの船に電話できる?」と聞くと「そうね、電話してあげたらいいよ」 そういって、船の電話番号を教えてくれた。
父が船に着いたころを見計らって、母から聞いた電話番号に電話を掛けると、すぐに父を呼び出してくれた。「ちゃんと着いた?」 ちょっと照れながら話す私に「当たり前だろ、大人だぞ!お前より電車には慣れてる!」 相変わらずぶっきらぼうな口調で答えてくる父。
「今日はご馳走様でした。」 「おぅ!」 「それから、荷物ありがとう」 「おぅ!」 「荷物の中の、お菓子もありがとう」 「・・・おぅ!お前、そんなことで電話してきたのか?」 電話の向こうの声がちょっと照れているのがわかった。
近頃、虐待などの悲しい事件がよく聞かれます。血が繋がっていようが、いまいが関係ない、これが本当の親子なのでしょうね。世の中、全てこういけばいいのですが...
2011.09.01
とうとう息切れ No.2065
とうとう息切れしてしまいました。何年も応援し続けている、愛する球団・ヤクルトだけに、ずっとその力がホンモノかどうか心配していましたが、その当たって欲しくない予測が現実となってきたのです。
一昨日は今季初めての延長戦負けで、小川監督の誕生日も飾れず4連敗でした。そして昨日も負けて、いよいよ尻に火がついてきたという感じです。一昨日の試合では、守護神・林昌勇がランナ-を2塁に置いての暴投で、一挙ホ-ムまで帰ってきてしまったのです。
これなどは2塁からまさか帰ってこないものと思った、ちょっとした油断を突かれたものです。またエ-ス・館山投手が故障で離脱しているのも、少し痛いところですね。
一方、対する巨人や阪神が元気になってきましたね。昨日の時点では2位巨人と1.5差、3位の中日・阪神とは2.5差、そして5位の広島までが3.5差という、5球団がもつれるような展開となってきました。
これも戦力的には公平な目からすれば、やっとそれぞれが本来の実力を発揮してきたように思えるものです。特に巨人は、この8月、17勝8敗1分けと大きく勝ち越したのに比べ、ヤクルトは7勝15敗3分けと全く逆の様相です。
これでは最大12ゲ-ムもあった差が1.5に縮まるわけです。まさしく魔の8月だったわけですが、今日からは月も替わり、嫌な流れを断ち切りたいところです。
これも見方を変えれば、どん底のチ-ム状態だったのに、まだ首位にいるとはある意味、ラッキ-とも言えるのではないでしょうか。唯一、期待の持てるのは投手陣がまだ若いことです。
由規をはじめとして、村中、増渕、七條、久古などの若手が苦手な暑い夏を乗り越え、本来の力を取り戻してくれば、石川、館山両エ-スに掛かる負担がもっと軽くなるというものです。
とにかく、折角ここまで首位で持ちこたえてきたのですから、何とか、もうひとふん張りしてもらいたいものです。パリ-グでは今、楽天が頑張っています。どちらのチ-ムも派手さはありませんが、人を引きつける魅力は持っています。
その小さくても、コツコツと野球のセオリ-通りやっていれば、栄冠だって掴めることを証明してもらいたいものです。大型チ-ムばかりが勝っていても面白くないし、楽天やヤクルトのような球団が勝つのも、ある種の勇気をもらえるのではないでしょうか。
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