会長の”三行日記”
2011.09.07
納豆への思い出 No.2068
昨日は軽井沢に工事で出掛けたのですが、やはり現地は涼しいですね。朝4時ぐらいにこちらを出発したのですが、向かう途中、清里を抜けて野辺山に差し掛かる辺では、道路付属の気温表示が13℃を示していました。
そして現地でも朝早かった為か、半袖の出で立ちでは少し涼しく、日なたが恋しかったくらいです。それでも向こうの方の話では、やっとそれらしい天候になってきたようで、今年の夏は暑かったと言われていました。やっと秋になってきたという感じでしょうか。
さて雑誌に納豆のことを取り上げた記事が載っていました。学生時代、その頃は今のように出来合いの惣菜を売っているお店がありませんでした。
従って貧しい独身者としては、モヤシぐらいしか求めるものがなく、八百屋で買ってきては油で炒めてご飯のおかずにしたそうです。でも先輩から、栄養失調になるぞと忠告されたので、豆腐に目を向けました。
安くて栄養価があり、生でもいいし煮て食べても飽きません。でも今のように日持ちがする真空パックがないため、買い置きができません。そこでこの納豆に注目したのです。
そして毎日、明けても暮れても納豆、納豆の生活となったのです。こうして、他にも二人の納豆好きが寄り集まり、ついには日本全国の納豆を食べ歩きする、「大日本納豆党」なるものを結成したというのです。
面白かったのは、公園の木陰で、この納豆を食べ比べする品評を行っていたときのことです。誰かが通報したらしく、警官に不審訊問されたそうです。アイスクリ-ムならまだしも、納豆を真面目な顔をして食べ比べしている様子が、いかにも怪しかったのでしょうね。
そして仕事で世話になっている印刷会社の専務が以下のような、納豆にまつわる思い出話をしてくれたそうです。
昭和33年の冬、学生服姿でアルバイトの納豆売りをして頑張ったが、1ヶ月も続かなかった。1本10円で売り、朝早く自転車を走らせて、ナット、ナットオと大声で呼びながら売る。ナットオ-、と語尾を伸ばすのがコツでね。
そしてこんな秘話も披露してくれました。東京の下町をテリトリ-に売り歩いたのだが、ある家のお嬢さんに一目惚れしてしまった。品のよい美人である。
毎朝、けなげにも自宅の前を掃除している。挨拶を交わすだけの仲だ。ある日、呼びとめられた。納豆を下さい、と注文された。専務は真っ赤になった。嬉しさと恥ずかしさが一緒くたである。それきり、娘の家の前を通れなくなった。
何とも古き良き日本が感じられる話です。ちょうど3丁目の夕日の世界でしょうか。私も幼き頃、売ったことはありませんが、この納豆売りの声はよく聞いていたものです。
ワラに包まれていた納豆の香りが、何とも言えないほど、ほんのりとした記憶に残っているものです。ちょうど「寒い朝」の、大好きだった吉永小百合さんを思い出させます。古き良き郷愁に浸るのは老化現象の始まりかもしれませんが、今では感じられない日本の良さを思い起こさせられました。