会長の”三行日記”

2011.08.05

被災地・石巻を訪ねてその2 No.2054

    

ボランティアの初日、現地企業さんに出向く前、友人がそのすぐ近くの、大きな被害が出た住宅地域に迂回して案内してくれました。
 
その前日にも少し、被害に遭った別の地域を眺めましたが、目の前に飛び込んできたのは一面洗い流されたような、何にも残っていない風景です。
 
思わず息を呑んで、ただ呆然と眺めるだけでした。そして次第に胸が詰まるような思いが込み上げ、涙を抑えることができませんでした。
 
ポツン、ポツンと少しばかり、風穴があいたように残っている家も、ほとんどが大きなもので、どれも比較的新しい家に見えました。一瞬にしてこの自身が永年掛かって築き上げた、財産を失ってしまった方々の思いはどうなのだろうか。
 
そう考えると、居た堪れない思いに駆られたものです。そして支援作業をやらせて頂いた企業さんに向かいました。その場所はおよそ海からは100mぐらいの所からでしょうか、まだまだ残骸がゴロゴロしている周辺区域には、カモメが群れ飛びかっていました。

     

社長さんに一通り、工場全体を案内して頂いた後、作業に取り掛かったわけですが、そのお話や昼休みに皆さんからお聞きしたところによると、幸いにも会社の社員で亡くなられた方はいないものの、やはり家族や親戚となると、津波に巻き込まれた方もいて、被害は少なくないようです。
 
ただ社員が無事だったのは、その前に岩手の沿岸部や気仙沼など、大きな津波に呑まれている情報をいち早くキャッチできた関係で、直ちに山の方に避難する旨、全員に通達がされたそうです。
 
そして一部は車で逃げたものの、途中渋滞していた関係で、車を捨てて走って逃げたとのことです。しかし中には一旦は逃げましたが、忘れ物をして家に引き返した人や、周辺工場でも地震直後、後片付けを済ましてから業務を終わろうとした所などが、全員犠牲になってしまったとのことです。
 
ですからその生死を分けるのは、ちょっとした差なんでしょうね。まずは何を置いても避難して自分の身を守る、そのメッセ-ジは身に迫った生々しい体験だけに、私たちにも貴重なアドバイスでした。