会長の”三行日記”

2011.03.07

顔も心も一つしかない No.1969

笑うにも 泣くにも顔は ひとつなり」座禅に出掛けているお寺から、新年早々の修養会でいただいた日めくり(カレンダ-)に書かれている言葉です。そこにこんな事柄が載っていました。
 
昔、ある所に一人の独身男が住んでいて、一生のうちせめて一度でいいから幸福になりたいと神に祈っていた。

その甲斐あってか、ある夜、彼の家の戸を叩く者があった。戸を開けてみると外に立っていたのは、吉祥という幸福の女神である。

男は飛び上がって喜び内に招き入れようとすると「ちょっと待ってください、私には実の妹がいていつも一緒に旅をしているのです。」と後ろにたたずむ妹を指さした。

男はその妹を見てすっかり驚いた。姉の美しさに比べ何と醜くかったことか。かの男は、「あなただけ家に入り、妹はお引き取り願えませんか。」

と頼むと、「それは無理な注文です。私共はいつも一緒に連れ添わねばならないのです。一人だけ置き去りにすることはできないのです。」と言って去っていった。

幸の女神と不幸の女神とは、異身同体なのである。身のまわりの所事象を、自分の所存で幸不幸にするのは、自分自身の心の持ち方に依るのではないだろうか。

 
自分の心は二つあるのではなく、一つしかない心が常に動いている(煩悩即菩提)と付け加えてありました。また弊社の階段に飾ってある、相田みつをさんの額にも、こう書かれています。
 
しあわせは いつも じぶんの こころが きめる
 
まさに、このことを単純明快に言い当てている言葉です。とても考えさせられる指摘で、生き方の参考になるものです。ですから何か良くないことが起こったとしても、決して悲観的になることはなく、幸せになるためのステップ(試練)だと思えばよいのではないでしょうか。
 
明日8日は工事、また翌9日は研修で、それぞれ出張する為、カキコミは休ませていただきます。