会長の”三行日記”

2016.10.13

ら抜き言葉 No.2906

 文化庁の世論調査で分かったことですが、複数のら抜き言葉のうち「見れる」「出れる」という表現を普段使う人の割合が、「見られる」「出られる」を使う人を上回ったと新聞に載っていました。

自分も確かに前者の言葉を普段使っていることに違いありません。一方、「食べられる」「来られる」「考えられる」の3つはら抜きを使う人の方が多くないようです。このことは決して言葉の乱れが進んでいるわけではなく、短い言葉で話し言葉と書き言葉の使い分けが進んでいるのではないかと、文化庁の担当者は話しています。

「初日の出が見れた」と使う人が48.4%、一方「見られた」は44.6%、また「早く出れる?」は45.1%、「出られる?」は44.3%だったそうです。またこの傾向は若い人ほど定着していて、「見れた」が76.2%、「出れる」が60.7%を占めているとのことです。

また面白い傾向があって、日本語を大切にしていると答えた人の中で、「休ませていただきます」を「休まさせて」と謝った使い方をしている人が17.1%もいて、日本語を大切にしていないと答えた11.8%を上回っています。

それから私も改めて知らされたのですが、慣用句など誤った意味で捉えていることが比較的多いようです。例えば「確信犯」というのは本来、「信念に基づいて正しいと信じてなされる行為、また行う人」という意味ですが、「悪いことであると分かっていながらなされる行為、または行う人」と捉えている人が多いとのことです。

また同様に混乱したさまを表わしている「上を下への大騒ぎ」を「上や下への大騒ぎ」と使っている人が大多数を占めているそうです。それから、眠りから覚めたときの気分が悪いことを表わしている「寝覚めが悪い」が正しいのですが、「目覚めが悪い」と使っている人が上回っているようです。

このように指摘されると、知らず知らずのうちに誤って使っている言葉がどうやらありそうです。そうした意味でも先日触れたように、本をたくさん読むことも必要かもしれません。

でもやはり先日の新聞にもあったとおり、若者の間で「やばい」という言葉の意味を本来の「困った」という不都合の状況ではなく、全く反対の凄くいいとか最高であるという意味で使っていると聞かされると、ちょっと考えてしまいます。まあ、世の中の変遷のように、日本語も時代と共に変化していくということでしょうか。