会長の”三行日記”

2016年07月

2016.07.11

胸のすく逆転勝ち No.2865

 昨日は草薙球場へ母校の応援に行ってきました。予定では土曜日の開幕試合だったのですが、雨天のため日曜日に順延となったのです。私としては他の用事と重なり土曜日は行けなかったのですが、雨天順延のお陰で観に行くことができたわけです。

おまけに試合の方は3-4のスコアでこちらが1点負けていたのですが、9回に3点を入れ、胸のすく逆転勝利を収めてくれたから言うことはありません。ですから勝利の校歌を歌う時は思わず込み上げるものがあったくらいです。

そのくらい嬉しかったわけですが、先行逃げ切りが多い我が方としては、まれにみる終盤での見事な勝ち方ではなかったかと思います。その9回の攻撃を振り返ってみると、この回は1番からの好打順でまず先頭の高橋君が四球で出塁します。

続く2番の大橋君の送りバンドが少し強い当たりで1塁前に転がったのですが、少し2塁よりでしたので2塁手の1塁カバ-が遅れ、落球を誘い2塁手が走者と交錯した間に1塁走者は3塁まで進み、無死一、三塁とチャンスが広がりました。

ここで負傷した2塁手の治療の関係でしばし試合は中断するのですが、再開直後の1球目を3番宮川君が見事にレフト前に弾き返してまず同点としたのです。続く4番の笠井君はこの日一番当たっていて、ライト前に3本目のヒットを放ち、無死満塁と攻め立てます。

続く5番が倒れた後、1死満塁からキャプテン山田君の放った3塁ゴロはいい当たりでしたが、3塁真正面で思わずダブルプレ-かと目をつぶりそうになりました。ところが相手3塁手がこれをファンブルして待望の勝ち越し点が入ったのです。

こうなればこちらのペ-スです。たぶん1球目にやってくるのではないかと思われたスクイズを次打者が決め、相手には重い2点目の勝ち越し点が入り、ほぼ試合を決める展開となることができました。

やはり得点に絡むのは我が方の守備でもそうですが、四球とこうしたエラ-が必ず致命傷となるわけです。それにしても同点打を放った宮川君のバッティングは思い切りの良い、狙いすました見事なものでした。この積極果敢な打撃が勝利に繋がったとも言えるのではないでしょうか。

その他にも随所に良いところを見せてくれました。相手の5回の攻撃でも、5点目となるかもしれないレフト前のヒットを大橋君が見事な返球で2塁走者を本塁で刺しました。これなども試合展開からしても、その次の6回にこちらが2点取り、1点差に迫ったわけですから大きなプレ-と言えることができます。

それから先発・佐竹くんが両足痙攣で降板した後、引き継いだ渡辺君と高橋君がそれぞれ2回ずつよく投げました。これも勝利を呼び込んだ大きな要因だと思われます。

とにかくどちらかと言うと、今までは強豪相手に対し、こちらがリ-ドしていて最後にひっくり返されるというゲ-ムが多かっただけに、見事な逆転勝ちは胸のすくとても気持ちの良いものでした。もちろん家に帰っての晩酌が進んだことは言うまでもありません。

明日12日は伊勢原のお客様の工事現調を兼ね、あちこち挨拶回りで早朝より出掛けるため、カキコミは休ませていただきます。

2016.07.08

大谷吉継 No.2864

 戦国時代の武将の中にこんな友達思いの人間がいることを初めて知りました。その人の名は、今放送中の大河ドラマ「真田丸」にも出てくる大谷吉継という人です。

北の政所の縁故関係から豊臣秀吉の家来として知られていますが、秀吉をして「100万人の軍勢を指揮とらせてみたい男」といわしめた知勇兼備の武将です。

でも秀吉の死後は人間としての風格に好ましく思っていた徳川家康に心を寄せていました。そして家康の会津の上杉征伐にも出陣しするのですが、途中、石田三成のところに立ち寄った際、挙兵の話を持ち出されるのです。

大谷は時代の趨勢として利が家康にあることから、何度も三成に対し思いとどまるように忠告するのですが耳を貸しません。また三成の人望の無さを指摘したりして、親友であるがゆえの忠告だったのですが聞き入れませんでした。

こうして関ヶ原の戦いに移っていくわけですが、結局のところ大谷は三成との友情から西軍に加担することになったのです。勝ち目のない戦にあえて加わることになるのですが、それがなぜなのかは以下の理由からのように言われています。

大谷吉継は若いときから当時は死病として恐れられていたハンセン病を患っていたのです。今回のドラマでは顔は綺麗なままですが、よく時代劇に出てくる彼の姿は崩れた顔を隠すため、白布や包帯で覆っているのを目にします。

二人の間にこんなエピソ-ドがあります。秀吉が起こした朝鮮の役。吉継は軍監として渡朝しましたが、戦後、その功が称えられ秀吉が大阪城で開催した茶の席に招かれました。その席で緊張のあまりか吉継は、鼻水を茶碗のなかに落としてしまうのです。

それを見た諸将は以降、飲む真似をするだけでしたが、席に列していた三成は、何事もないように茶碗のなかの茶をすべて飲み干してしまったのです。その夜、吉継はひとり寝所で男泣きに泣いたと伝えられています。

業病と戦う自身への、へだたりのない三成の友情に感激したためです。関ヶ原の戦いは名将として知られた吉継からすれば、勝利のありかは一目瞭然にもかかわらず、勝敗を超えた彼の行動の裏には三成への友情が何よりも優先し熱く広がっていたのです。

このような戦国の世に限らず、自分自身の損得勘定や出世のためには、平気で他人を出しぬいたり裏切る人が少なくありません。しかしそうした中で、吉継のような友情や義を貫いた人がいたことも事実なのです。特に現代のような割り切った世の中では、忘れてはいけない人間の生き方を学んだような気がします。

2016.07.05

素人だからこそできる No.2863

 素人だからこそできる発想を商売に生かしている事例を読ませて頂きました。その1つはル-ルを守らない客を叱り飛ばすお店です。このお店は大阪の繊維問屋街・船場にある下着専門店のファンデという会社で、ケンカ商法と呼ばれるユニ-クなやり方で業績を伸ばしています。

ケンカ商法とは、店舗の入り口に、「包装なし」「商品は乱さずに見ること」「返品・交換なし」などの「取引条件」を掲げ、このルールを徹底できないお客には退去してもらうというものです。

普通、お客様は神様と言って、多くのお店では腫れ物に触るような扱いをしているものですが、このお店ではル-ルを無視しようものなら、お客でも「買い物は、カバンを置いてからにして!うちにはルールがあるから!」と叱り飛ばされるのです。

叱り飛ばしているのは店の経営者である、津田綾子さんという方で、「船場のケンカ母ちゃん」として知られ、テレビなどのメディアにも採り上げられているほか、経営者向けの講演会でもひっぱりだこの名物経営者になっているそうです。

彼女は子育てがひと段落した頃、旦那さんがやっていたこのお店を手伝うようになったのですが、それまで商売は全くの未経験だったそうです。このように他人を叱り飛ばすようになったのも、主人の言うとおりにした結果なのです。

何もわからない素人だから、とにかく主人のいうとおりにしようと、腹がくくれました。主人があの客を叱れといえば、それを素直に聞いて“ちゃんと畳んで!でけへんのやったら出てって”と声を張り上げていました」と語っています。

素人だからこそ、とにかく言われたことを忠実に徹底して行い、そうすることでお店の経営スタイルが定着し、お客の間でも「あの店ではル-ルを守らなければならない」という意識が自然に身についていったということです。

また素人ならではの発想で、プロでも難しいとされたものを可能にした人もいます。鳥取県米子市の弁当・押し寿し製造販売業、『米吾』の内田雄一朗社長がその人です。この会社の看板商品の『吾左衛門寿し』は、米子を代表する名物として知られていました。

ところが長期保存がきかず生産量が限られていたことから、かつては地元販売に限られていました。また大量注文があったときは社員が総出で深夜から製造しなければならず、労働環境としても劣悪の状態でした。

この問題を解決するため、社長は冷・解凍技術の導入を決めたのですが、専門メ-カ-からは寿しや弁当のように異なる食材を一緒に解凍する技術は難しいと断わられてしまったのです。

ならば自前で開発しようと社長は決心し、4年間、試行錯誤を繰り返した上、とうとう、弁当や寿しをむらなく解凍できる技術を開発、特許も取得したのです。これも英文科出身で全くの畑違いの素人だからこそできたと言われているのです。

なまじ知識があればそんなことはとても無理と諦めてしまうものですが、素人だからこそ、できないはずはないと考えて打ち込めたのです。こうして労働環境も大きく改善され、品質も安定したことに加え、うま味も増すことになったことにより出荷量も拡大し、販路も大幅に広がっていったのです。

まさに素人だからこそ、その強みを生かせたのです。よく同じ業界にいては常識にとらわれ、なかなか斬新な発想が生まれないと言われています。従っていろいろな人の意見やアイディアにも、真摯に耳を傾けなければいけないわけです。そういった意味では専門外の人こそ大きなヒントを持っていると言えるかもしれません。

明日6日から2日間、私用でお休みを頂くため、カキコミはお休みさせて下さい。

2016.07.04

世界772位 No.2862

 梅雨がもう終わったのかと思わせられる暑い週末の休日でした。その30度は超えると思われる炎天下の富士川河川敷で、ソフトボ-ルの試合を2試合もやってきました。いい歳をしてと言われそうですが、シニア年代みな元気がよいものです。

さてEU離脱で揺れているイギリスですが、もう一方ではウィンブルドンのテニスが開催されています。ここで世界ランク772位の選手が1回戦を勝ち上がったことで、大きな反響を呼んでいます。

この選手はマ-カス・ウィリスという人で、ロンドン中心部にあるテニス・クラブで子供達を中心にテニスを教えており、試合のあった月曜日の27日も本来なら5歳から10歳の子供へテニスを教えているはずでした。

そんな彼が歴史あるグランドスラム本戦1回戦で、世界ランク54位のR・ベランキス(リトアニア)を6-3, 6-4, 6-4のストレートで下し、2回戦進出を決めたのです。

両親と共に暮らしているウィリスは、1時間のテニスレッスンで40ドルを稼いでいるわけですが、これまでグランドスラムどころか、ツアーレベルの本戦での試合経験もなかったと言われています。

しかしジュニア時代は違っていて、2007・2008年のウィンブルドン・ジュニアで3回戦進出するなど、将来を期待された選手だったそうです。でも度重なる怪我やモチベーションの欠落などがその後のテニス人生の妨げとなっていたのです。

そんな人生の負け組になりかけていた彼の背中を押したのが、新しくできたガ-ルフレンドでした。彼女にテニスを続けるようにと言われたのが、まさにプロテニス選手としての人生を諦めようとしていて、フィラデルフィアへ移ってテニスを教えようと考えていたときだったのです。

こうしてテニスを続けたお陰で、今大会の予選へのワイルドカード獲得を争うプレーオフに招待され、そのプレーオフで3試合を勝ち抜き、ウィンブルドンの予選出場枠を獲得し、予選でも3試合で勝利を飾り、本戦への切符を手にしたのです。

ですからここまでにはそうした長い道のりがあったわけで、1回戦が行われた会場には多くのファンや友人、家族が押し掛け、大声援をバックに他のどのコートよりも盛り上がっていたわけです。

この1回戦を勝ったことにより、予想される獲得賞金は少なくとも5万ポンド(約650万円)と思われ、今年獲得した賞金総額の、シングルスとダブルス含めても350ドル(約3万5000円)だった彼にとっては、かなりの金額でサプライズとなったわけです。

そして迎えた2回戦の対戦相手は、最多優勝タイ記録となる7度の優勝を誇る第3シードのR・フェデラーでしたから、残念ながら敗れ去ってしまいましたが、センタ-コ-トに詰めかけた大観衆からは惜しみない拍手が送られたと言います。

ある意味、アメリカンドリ-ムみたいなものですが、やはり人間死ぬまで諦めてはいけないということでしょう。応援に駆け付けた、このコ-チに教わっている子どもたちにとっても、憧れのフェデラ-と対戦している我が先生をきっと逞しく誇りに思えたのではないでしょうか。