会長の”三行日記”
2015.06.16
高尾山古墳 No.2722
高尾山古墳と言っても、八王子の手前にある、皆さんがよく登る高尾山のことではなく、我が街・沼津にある高尾山という地で見つかった古墳のことです。ここで大きな騒ぎになっている問題ですが、恥ずかしながらここに至るまで私はそのことを全然知る由がありませんでした。
聞くと 長さ62mもある大型前方後方墳といい、造営時期の見解に隔たりはあるものの、230年ごろ築造、250年ごろ埋葬という調査結果が昨年公表されています。「古代スルガの王」を埋葬したとみられ、「古墳時代最初頭の重要遺跡」と指摘されているのです。
高尾山古墳は前方後方墳で、本体の大きさ(墳長)は62mと古墳出現期としては屈指の規模を持つとのことです。また前方部、後方部ともに31mで、他の前方後方墳と比べ前方部がよく発達しているのが特徴と言われています。
そして古墳の周囲には幅8~9メートルの周溝が巡らされていて、後方部のほぼ中央で主体部と呼ばれる埋葬施設の跡が確認されました。墳丘の頂きの高さは周溝の底から約4.7メートルあると言われます。
また棺(ひつぎ)は残っていませんでしたが、板状の木片などの残留物の様子から舟の形をした「舟形木棺」が特別な施設を設けずに直接地面に置かれていたとみられ、これが古代スルガの王ではないかと言われているのです。
ですから古代スルガの国は今の静岡ではなく、我が地・沼津周辺にその中心があったとみられています。こんな重要遺跡があったことに驚いていますが、もう一つ更にびっくりしているのがその遺跡が今、取り壊されようとしているのです。
地元の道路渋滞緩和の陳情要請もあり、都市計画道路建設の方針を立てた沼津市は、その道路調査の途中に見つかった今回の遺跡問題について、古墳を残して迂回(うかい)するような対策は行わず、計画通りに道路を整備することを市議会に報告したのです。
つまり昨夏から中断している古墳の発掘調査を今年中に再開し、更地にした後に道路工事を行う予定だと言っています。これでは古墳は跡形もなく消滅してしまうのです。東日本最大級とも言われ、歴史的価値が非常に高い古墳だけに是非守りたいものです。
その重要古墳を整備すれば逆に県外からの見物客を呼び込めるというものです。沼津市は市民から取り残せという声が挙がらなかったからということですが、私のようにこんなに重要なものだと知らなかった人たちは多くいるものと思われます。
それだけに是非再考してもらい、文化の香りのする街という名に恥じない結論を導き出してもらいたいものです。そうでなければ沼津市は末代まで残る失態を演じた街として、人々の記憶に長く留まることは間違いありません。