会長の”三行日記”

2015年02月

2015.02.09

実習生の悲哀 No.2686

 先週は木、金と2日間、業務の都合でカキコミができず失礼いたしました。今朝は今季一番の寒気団が日本列島を覆ったため、めっきりと冷え込みました。また昨日も冷たい雨が降っていたように、暦の上では立春は過ぎたと言えども、まだまだ寒さは一向に衰えません。本当に春が待ち遠しいものです。

さて外国人実習生が賃金不払いや長時間労働で悲哀を味わっているという記事を読みました。労働力不足を補うため、安倍政権でも新たな成長戦略で拡充をうたっている外国人技能実習制度での問題です。

このまま実態を放置して実習生を増やしていくと、問題が深刻化する一方で、制度の見直しを訴えている声も少なくありません。あまりにも企業側の身勝手さが感じられる問題です。

記事では「こんな目に遭うために日本に来たんじゃないのに」と話す、中国人女性のことを採り上げていました。岐阜県内の縫製工場で働いていたこの女性は、会社から振り込まれた給料の口座の通帳を見つめて愕然としていました。

それというのも、勤務は1日約15時間、日曜日も夕方までで休みも正月の数日しかなく、残業は月200時間にも上ると言います。その結果の給料が何と約12万円なのです。基本給が5万円、県の最低賃金が738円なのですが、残業代の時給は300~400円と会社から説明されたそうです。

これでは昔のタコ部屋と何も変わりません。中国・上海の縫製工場で働いていたこの人は、当時多い月で日本円にして10万円以上の収入があったと言いますが、今より稼げると聞き、かき集めた60数万円を紹介機関に支払い家族を残して日本にやってきたのです。

また中国では休みもあったそうです。そして最低賃金のことを知った女性が是正を求めると突然解雇され、帰国を強制されたのです。何とかこうした実習生を支援している労働組合スタッフに助けを求め、現在会社に未払い分を請求しているそうです。

でも交渉は止まったままで、会社は社長の不在を理由に取材にも応じていないと言います。また女性は取材の後、政府の制度拡充政策の話をすると、女性は声を荒げてこう言ったそうです。「帰ったらみんなにこう言う。『日本には行くな』と

ずいぶんひどい話ではないでしょうか。でもこれと同じようなケ-スは少なくないと思われます。猫の手も借りたいといった企業が実習生とは名前だけで、酷使しているケ-スです。経営者は本来の技術を教えるといったことではなく、安い労働者を利用するといったことしか考えていないからです。

これでは実習生という制度が有名無実で、制度自体が考えものというものです。もっとも弊社としてはこの実習制度を活用して、今では会社の大きな戦力になっている人材を発掘させてもらい感謝しているわけですが...本当に経営者の資質を問われる大きな問題だと考えます。

2015.02.04

アギ-レ監督の解任 No.2685

節分だった昨日には、静岡朝日テレビで放送している「とびっきり静岡」という番組に、うちのお母さんこと、家内が映し出されていました。これは香川県では節分の日にこんにゃくを食べるという風習があるということで、なぜか香川県小豆島出身の家内の名前が見つけ出され、事前に取材に来てくれたからです。

私も彼女と結婚して30数年経ちますが、そんなことを聞いたのが初めてのような気がします。でもやはりあちら香川県ではそうした習慣があるみたいで、節分という1つの区切りのときに、こんにゃくが砂下ろしと呼ばれるように体中の老廃物を排出させる機能(特にこんにゃくは食物繊維を多く含むため、便秘によい)を持つと言われているからでしょうか。

そんなわけでテレビでもお馴染みの女性の横田キャスタ-が取材に来てくれたわけですが、実際に拝見すると顔も小さく、とても美しい方ですね。節分とこんにゃくという話題と併せ、彼女たちが地域の事業として取り組んでいる、ひだまり亭のことも採り上げてくれましたのでとても嬉しく思っています。

さてご存知のようにサッカ-日本代表のアギ-レ監督が解任されました。スペインでの八百長疑惑で告発が受理されたためとのことですが、アジアカップでの敗戦から日本代表の強化が求められていることから、解任は最悪のタイミングで行われることになったわけです。

何しろどこの国でも既にシ-ズンが始まっており、この時期に後任を見つけるのは至難の業だと言われているからです。ですからもしどこにも所属していない人が残っていても、あまり期待の持てるものではないのでしょうか。

1つにはここまで引き延ばしてきた日本サッカー協会の幹部にも責任があるというものです。当初の任命時、こうした事実を事前に察知するのは難しかったかもしれませんが、十分な事前での身辺調査が行なわれたかどうかも疑問です。

それから八百長疑惑が生じてからも、その対応が後手に回ったとも言えるわけです。今年は6月から早、次期W杯のアジア予選が始まるということです。それゆえにどうやって立て直していくのでしょうか。

またアギ-レ監督になってからは柴崎、武藤選手など若手の有能な選手の登用が光っていて、心境著しいところが見えています。それだけに後任監督が結果を急ぐあまり、果たしてこうした若手の成長にどこまで手腕を揮えるかも疑問に思えることです。

こうなったらあまり外国人監督に拘らず、日本人の有能な指導者でもよいのではないでしょうか。とにかく、前回のW杯やアジアカップで良い結果が出ていないだけに、早急な立て直しが求められるものです。

2015.02.03

愛妻の日 No.2684

 既に過ぎ去ってしまいましたが、先月末の1月31日はその数字にちなんで、あい(I)さい(31)・愛妻の日と呼ばれているそうです。ネットによると愛妻の日とは、妻というもっとも身近な存在を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれないという願いからみたいです。

そして妻への日頃の感謝を花束に託して贈ろうなどと言われていますが、このことも他のいろいろな月日の語呂にちなんだ「○○の日」同様、業界の戦略めいたことではないかと思われますが、改めてお互いの関係を良き方向で見直す意味でも意義あることではないでしょうか。

この愛妻の日ということから、先日は夫から妻に対しての呼び方をテレビで取り上げていました。どうやら奥様の方はママとかお母さんなどと呼ばれるより、自分の名前を呼ばれた方が好感を持つみたいです。

でも最初はそう呼び合っていても、子どもが生まれその子育ての時期を挟むと、どうしてもお互いの名前(ファ-ストネイム)を呼び合うことは少なくなるものです。それは子どもがいる以上、立場上仕方のないことでもあるわけです。

そんなことからテレビでは今までパパ、ママと呼び合っていた夫婦の男性の方に、実験として相手には内緒にこの名前を呼ばれた時の相手の反応を確かめようと試みていました。

でも今までママと呼んでいた習慣が長いためか、照れもあってなかなか妻の名前を呼べないものです。そして2日ぐらい経って、ようやく呼んだときの奥さんの方の反応が実に面白いものでした。

一瞬、男性の方に後ろめたさがあるのではないかと感じたものの、それがないと分かると何か初々しいものを感じたようです。つまり恋人時代の関係が蘇ってくるような、ある種、新鮮な気持ちになったと言われているのです。

それならマンネリ化した夫婦関係を、こういうことで改善することも1つの方法ではないでしょうか。また以前やっていた朝のテレビドラマのように、お互いの名前をさん付けで呼び合うのもよいかもしれません。

相手のことを敬っているように感じられるからです。このように調査の結果でも、男女共に結婚後も“自分の名前”で呼んでほしいと願う人が多数を占めているようです。

長年連れ添っていれば、少しずつ立場や関係性が変わっていくのは仕方のないことですが、お互いを少しでも尊重する気持ちがあれば、このお互いの呼び方1つで関係が改善されるかもしれません。そうしたら花束を贈るより安いもので、ずっとその効果があるかもしれませんね。

2015.02.02

後藤さんの伝えたかったこと No.2683

誠に残念ですが、昨日、イスラム国に人質として囚われていた後藤健二さんが殺されたというニュ-スが伝わりました。この情報はほとんど信憑性が高いと言われていますので、嘘であって欲しいという私たちの願いは無残に打ち砕かれたみたいです。酷い話です。

番組の後で知ったことですが、NHK「あさいち」の放送で柳澤秀夫解説委員が、今回のことでとても価値のあるコメントを出し、その見識の高さを示していました。コメントは以下に示すとおりです。

冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、 ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ・・・。 

僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。 

戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。 それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない・・・。 

われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。 それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。

時間にすれば、わずか1分あまりのコメントだったそうです。でも柳澤さんが必死で伝えたことは後藤さんの言いたかったことを全て代弁しているのではないでしょうか。

後藤さんは事件前でも自分が望んで危険地域に足を踏み入れるのだから、全て自己責任だし私自身のことは構わないでとまで語っています。自分のことより何よりも、こうした紛争に巻き込まれ被害を受けている地域住民のことを考えて欲しいと願っていたのです。

そのくらいジャ-ナリストとしての自分の使命が、そうした人たちの現状を伝えることにあると思っていたのではないでしょうか。その意味でも柳澤さんが言われるように、日本人が標的ということからその安全やテロの危険ということばかりに、焦点が行きがちですが、後藤さんが本来伝えたかったことを重視しなければいけないように感じます。

ですから他の国同様の、目には目をではなく、本来の日本独自の平和を願う立場で、まず人道支援を何よりも優先して考えなければ、後藤さんの死が無駄になるのではないでしょうか。日増しに後藤さんの凄さというものを知らされているものです。