会長の”三行日記”
2015.01.09
青学大の優勝 No.2670
すっかり正月の風物詩となった箱根駅伝の今年は、青学大の初優勝で終わりました。毎年、この2日間はテレビにしっかりと釘づけにさせられるものですが、今年の青学大の勝因は何といっても往路5区の走りにあったのではないでしょうか。
この素晴らしい走りを見せたのが3年生の神野大地選手です。神野選手の発掘にはちょっとしたエピソードがあったみたいで、最初に目を付けたのがこのチームを率いて11年目になる原晋(すすむ)監督です。
原監督が就任して6年目の2009年に33年ぶりの箱根駅伝の出場を果たした青学大は、翌2010年には8位に入りシード権を獲得していました。その年の夏、菅平高原で合宿を張っていたのですが、ちょうど同じ時期に愛知の中京大中京高も合宿を行っていました。
原監督が中京大出身のことからか、練習の合い間にこの中京高の練習を見に行ったのでしょう。そこで監督の目に留まったのがこの神野大地選手だったのです。ウサギみたいにピョンピョン走っていて、一目で気に入ったと言います。
当時、神野選手は38kgと体も小さく、これといった実績はなかったのですが、原監督がとても気に入り卒業後の進路に青学大へと誘ったのです。その後、いろいろな大学の誘いを受けたといいますが、最初に認めてくれた監督を信じて青学大に入ったのです。
ですから菅平が運命的な出会いとなったわけです。もちろん今回の優勝は群を抜いていた3年生はじめ選手の活躍にあったわけですが、このような優秀な選手を発掘するリクルーティングにもあったのです。
それと大学の駅伝とはちょっと距離を置き、10年間にも及ぶサラリーマン時代を過ごした異色の経歴を持つ、監督自身のキャラクターもチームの成長した少なくない要素の1つにも思えます。
就任当時は練習環境が整っていなかったため、まず大学側の支援を取り付けることから始めたそうです。強化費の増額や寮の水風呂の設置、専用のマイクロバスの調達など、伝説の営業マンと自任する交渉術があったからこそと言われています。
また明るいチームカラーや雰囲気も監督の人柄が醸成したと言います。この箱根駅伝では他のチームは優勝か10位のチームしか喜んでいないのですが、青学は5位や8位でも喜びを素直に表しています。
こうしたことも奥さん共々選手と一緒に寮に住み込み、選手にどんな彼女がいるかも知っている監督ならではの人柄がもたらすことではないでしょうか。ただ勝てばいいと、なりふり構わずしゃにむに突き進んでいる学校の指導者は考えさせられることかもしれません。
とにかく優勝した青学大の3年生はかなり抜きん出ている選手が何人も揃っていると言います。ということはその雰囲気がさらにチームの磨きを増し、青学時代が到来するかもしれません。指導者のパーソナリティでチームが変わることを青学大が証明してくれました。