会長の”三行日記”
2014.11.26
ちょっと良い話116 No.2651
横綱・白鵬がとうとう大横綱・大鵬さんの優勝記録に並びました。その充実ぶりから時間の問題だと思っていましたが、あっけなく達成したものです。その白鵬関に関したちょっと良い話を紹介したいと思います。
白鵬はいま、横綱としての自身をこう表現する。「綱の責任を背負い続けることで、私自身が成長させてもらっていると思う」最大の転機が、自身の26度目の誕生日だった。八百長事件で春場所の中止が決まっていた、2011年3月11日。
それ以前から不祥事が続いた大相撲を嘆き、白鵬は投げやり気味にこう言った。「もう、引退するんじゃないか」。その数時間後、東日本大震災が起きた。
3カ月後、日本相撲協会は東北の被災地を巡回慰問した。「大地を鎮める」とされる、横綱の四股。「よいしょ」のかけ声。そのとき、土俵入りでせり上がる白鵬の目に、何十人もの被災者の姿が飛び込んだ。
家を、街を、親を、子を失った人たちが、避難所で無慈悲な労苦を背負わされている人たちが、自分を、拝んでいた。「生涯、忘れられない」と語る光景だった。
瞬間、自問したという。横綱とは、何か――。「横綱とは、日本の魂なのではないか。私は、日本の魂でなければならないのではないか」以来、「横綱として、いかに生きるか」を自らに問いかけ続けている。
常にその手本としているのが、「角界の父」と慕う大鵬だ。大鵬も白鵬を「私に似ている」と息子のようにかわいがった。生前こう語っていた。「白鵬なら私の優勝回数を超えられる」
昨年1月。初場所5日目の朝、体調を崩した大鵬を白鵬が自宅に見舞った。同じ高みである「優勝32度」への志を伝える白鵬に、大鵬はこう言った。「努力次第だよ。そのかわり、いい加減なことはするな」。それが遺言となった。2日後、大鵬が亡くなった。
あれから8度の優勝を重ねた白鵬は場所前、「32度目」への思いを問われ、こう語った。「大鵬親方との約束です」32度目の表彰式で、あの「魂」という言葉を口にした。「この国の魂と、相撲の神様が認めてくれたから、この結果があると思います」大鵬との約束を、いま果たした。
もうこの横綱はモンゴルとか日本といった国の違いなど超越しているように思えます。むしろ今までの横綱と比べても、よっぽど日本人らしいとも言えるのではないでしょうか。相撲はよく心・技・体が揃わなければと言われていますが、久しぶりにそれを備えた大横綱が誕生しました。益々その活躍を祈りたくなりました。