会長の”三行日記”

2014.09.29

人とのご縁 No.2625

 長い間、カキコミを休んでしまって誠に申し訳ありません。お陰様で製作の方の目途も立ち、何とか納期に間に合わすことができそうです。当初、こんなに抱え込んで大丈夫かなと心配していたのですが、社員それぞれの頑張りで乗り越えることができそうです。本当に有難いことで社員の奮闘に感謝しています。

さて、私自身がいろいろとお世話になった方が亡くなった関係で、土曜日、日曜日はその通夜、葬儀にかかり切りとなりました。土曜日は同友会の経営指針を創る会の1泊研修が行われていたのですが、途中3時ごろで抜けさせてもらい、18時からの通夜に備え、受付の準備をしなければいけませんでした。

故人は25日の早朝、息を引き取ったのですが、生前中、冗談半分に俺が亡くなったらお前が葬儀委員長をやってくれなどと言っていました。それくらい親しい仲だったのですが、でもだからと言って身内の方を差し置いて差し出がましいことをするわけにはいきません。

従って陰ながら私たちにできることをしてあげようということで、故人がソフトボ-ルが好きだった関係で、その専用受付を設け親しい仲間に声を掛け、2日間やらせていただきました。

故人とは私がソフトボ-ルをやり始めた頃からの出会いで、その後、地元の選抜軍で監督として福島県桑折町で行われた全国大会に連れていってもらったりしました。また現在、シニアチ-ムで楽しくやらせてもらっていたり、ここでねんりんピックに出場できるのも全てこのチ-ムに誘って頂いたからです。

またソフトボールだけでなく、仕事の上でもいろいろとお世話になりました。わざわざ同行し、紹介して頂いたお客様は今では大事なお取引様にもなっています。また長年自分の片腕として務めてくれた社員の入社に関しても、やはりこの方の紹介だったのです。

ですからいろいろな意味で私にとっては恩人なのです。よく秋山、秋山って、何かにつけて私のことを可愛がってくれました。それだけに告別式でのお別れの言葉も、奥様から頼まれたときには二つ返事で引き受けたのです。

人生ってその節目節目にこうした人とのご縁に生かされているものです。この方とのご縁がなかったら、仕事以外にこんなに楽しく弾けることもなかったかもしれません。そんなことを考えていたら、出棺の際、亡き骸を眺めて涙が止まらなくなったものです。

亡くなるつい3~4日前まで故人とはメールでやりとりをしていました。ですから亡くなったのも信じられなかったほどです。享年78歳、まさに万年青年でこの歳までソフトボールをやっていた人です。

それゆえ通夜、告別式もこの関係者が大勢駆けつけていました。そういった意味では少し早かったかもしれませんが、好きなことを思う存分最後までやってきただけに羨ましい人生だったかもしれません。

これからは今までのように私によく声を掛けてくれる人がいなくなっただけに、少し寂しくなるものです。でもソフトボールをやり続けている限りは、この方のことを絶対忘れることはないはずです。いただいたご厚情に深く感謝し、心よりそのご冥福をお祈りいたします。

明日は客先からの依頼で、ポンプ盤の故障を調査しなければいけないため、一日座間の方に出張します。このため再開したばかりですが、カキコミは休ませていただきます。ご容赦下さい。