会長の”三行日記”

2014.08.28

ちょっと良い話114 No.2617

 友人からこんな素敵な話があると教えて頂きました。甲子園で先頃優勝した大阪桐蔭の主将・中村 誠君が中学時代に書いた作文です。この作文で最優秀賞の内閣総理大臣賞を受賞したとのことですが、とにかく素晴らしいものですから一度お読みください。「友から学んだこと」という作文です。

僕には、絶対叶えなければならない夢があります。僕には体に障害を持った友達がいます。体の右半分はマヒしていて、右手はブラブラしていますが、右足は少し動くので介助すると歩くことができます。えん下障害もあるので食べ物は細かくきざんだ物にとろみをつけて介助でゆっくり食べれます。

水分は多く飲めないでお腹に開けた胃ろうからチューブを通して注入します。それから失語症もあり全く声が出ません。文字盤も使えないので自分の意志を伝えることはできないのです。とても不便な生活を送っています。

その友達と知り合ったのは僕が小学五年生の頃、四年前です。僕が野球の試合に出るようになり、対戦相手だった子と友達になった。その子は同級生と思えないくらいに野球が上手だった。ポジションも一緒だった。試合にも負けた。

僕はとても悔しかった。「絶対に負けたくない」この気持ちを胸に僕は一生懸命練習した。小学生の最後の大会の決勝戦でそのライバルのいるチームと戦った。延長戦で僕のチームが優勝することが出来た。

でも僕は勝ったとは思えなかった。だから中学生になっても別のチームで戦っていくことを約束した。しかしその友達といるチームとの試合があっても友達はいなかった。

友達は障害者になっていました。障害者になって三年になります。三年前のある日を境に突然障害者になってしまったのです。原因は病気です。本当に急な出来事でした。当時僕は大きなショックで友達を受け入れることができませんでした。

そんな友達を見て、初め「かわいそう」だと思っていました。でも一生懸命にリハビリに取り組んでいる友達の姿を見ていると、僕は「かわいそう」と思うのは良くない事だと思うようになりました。なぜかというと、人に対して「かわいそう」と思うことは、その人を見下しているように思ったからです。

友達は障害を持ちながら一生懸命に生きているのに、上からの目線はごうまんで大変失礼なことだと思いました。このことは友達に対することだけではなく、全ての障害者に対して共通する気持ちです。障害者になりたくてなった人は誰もいません。そして誰もが障害者にならないという確率はゼロではないのです。

友達のように突然、病気になるかもしれないし、事故にあってけがをしたり、またどんな災害に出くわしてしまうかもしれません。もし僕がそうなったとしたら、想像するだけでもつらいことですが、そんなとき僕は人から同情されたくないと思います。「かわいそう」と思われたくないのです。

人間はどのような障害を背負っていようとも、命ある限りは生きていかなければならないことはみんなに平等に与えられていることです。ただ生きていくための条件が良いか、少し悪いかという差だけのことだと思います。だから僕は障害者を見て「かわいそう」と思うことが許せなくなりました。

僕はお見舞いに行くと友達の車いすを押して出かけることがありますが、よく他人の視線を感じることがあります。自分と違う人を見ると違和感を持つ人が多いのだと思います。でも自分と人は違っていて当たり前なのだし、その他人を認めることは最も大切なことだと思います。

世の中のすべての人が自分と違う他人を受け入れることこそ、差別のない社会の実現につながっていくように思います。友達のためにも、僕は野球を一生懸命頑張りプロ野球選手になり活躍します。

 中村 誠(糸島市立志摩中学校3年)

何という温かく優しい心根を持った人でしょう。先日も触れましたが、優勝した大阪桐蔭は傑出した選手もおらず、昨年の秋の大会では大阪予選でコ-ルド負けを喫したと言われています。そのチ-ムを立て直し、まとめ上げたのは決して指導者だけの力ではなく、主将である、この中村君のリ-ダ-シップによるものではないでしょうか。

障害という偏見ではなく、自分と他人は違っていて当たり前だし、その他人を受け入れ認めるという素晴らしい感性は特筆すべきものです。それを中学3年時に既に備えていたというのも、ただただ驚き、感動させられます。世の中の人全てがこの中村君のように考えてくれていたら、きっと住みやすい