会長の”三行日記”

2014.06.11

招き猫 No.2578

 今日からはまた梅雨が戻ってくるようです。各地で瞬間的な豪雨などで土砂崩れ等の被害も聞かれます。被害に遭われた方にはお見舞い申し上げますが、くれぐれもお互い気を付けたいと思います。

さて福を呼ぶものの中に招き猫があります。これの由来のような話を聞きましたので、ちょっと紹介させて下さい。「招き猫の始まり」というお話です。

昔々、江戸の町にとても貧しい禅寺がありました。ひっそりと二~三人の雲水だけが修行し、檀家のお布施によって辛うじてお寺の運営を維持していました。この寺の和尚さんは大の猫好きで、ただでさえ粗末な自分の食事を割いて猫に与え可愛がっていました。

ある日、あまりに貧しいので和尚さんは猫に向かってグチを言いました。「おい猫よ、もしお前が私に恩を感じるならば、何か果報をもたらしてみよ」でも猫は何も答えませんでした。

それから何か月か経ちました。夏の日の午後でした。門の周辺が騒がしいので何だろうと思って行ってみると、鷹狩りの帰りとおぼしき数人の武士がそこにいました。ひときわ風格のある立派な武士が和尚にむかって言いました。

「我ら、今、寺の前を通りすぎようとしたら、門前に一匹の猫がうずくまり我らを見上げてしきりに手招きしておる。その様子があまりに不審なのでここまで尋ね入った次第。しばらく休憩させよ」和尚は一行を歓迎して、休憩所で渋茶などを振る舞いました。

すると、先ほどまでの晴天がうそのように曇りだし、たちまち激しい夕立が降りはじめました。ついには雷鳴までもが加わってすぐにはやみそうもありません。手持ちぶさたは失礼と、和尚は三世因果(過去・現在・未来の因果関係の法話)の説法をしました。

それを聞いて武士は大いに感銘し、仏教に帰依したいと申し出ました。それどころか、この寺の檀家になりたいとも言ってくれました。和尚はびっくりしました。念のため、武士の名前を伺うと、武士は「我こそは、江州彦根の城主、井伊直孝なり」と名乗りました。

初代・井伊直政に次ぐ二代目彦根城主で、彼のずっとあとに安政の大獄を取り仕切った大老・井伊直弼が生まれています。井伊直孝は言いました。「猫に招き入れられたおかげでこうして雨をしのぎ、貴僧の法談を聞くことができた。これもひとえに仏の因果だろう。これを機に、いろいろ世話になりたい」

この時から井伊家の江戸における菩提寺はこの寺に決まりました。この日以来、この寺は吉運が開き、やがて井伊家から莫大な寄進が寄せられ、一大伽藍を形成する立派なお寺になりました。寺の名を「豪徳寺」といい、今の東京都世田谷区にあります。

猫はやがて死にました。しかし猫が吉運を招きいれたとしてこの寺を人々は猫寺と呼ぶようになりました。また、和尚も猫のために墓を建ててやりました。さらに後生のためにこの猫の姿を再現した「招福猫」(招き猫)を作り、家内安全・商売繁盛・心願成就を祈念するシンボルとしました。

上記の話の他、その由来についてはいろいろな説がありますが、どれが本当なのかは定かではありません。でも「鳥獣憐れむべし」と言われたように、私たちの身の回りの生きものに対しても愛情を注ぐべきだと思います。

我が家の愛犬も10歳を過ぎましたが、相変わらず元気です。その散歩を始めて10年以上経ったわけですが、お蔭で私も健康でいられます。何よりもその存在に感謝しなければならないものです。