会長の”三行日記”

2014.04.08

花まつり No.2553

 みんなの党の渡辺喜美代表が代表の座から降りました。これは8億円の借入金をめぐって、いろいろと取り沙汰されていたものですが、説明が首尾一貫せず、とうとう降りざるを得なくなったものです。政治家にこうした大金がつきものですが、それにしても金額が大き過ぎますね。

さて昨日は夕方より「釈尊降誕花まつり前夜祭」というものに参加してきました。沼津市仏教会主催により地元のホテルで開催されたものですが、檀家であるお寺のお上人に誘われて初めて出席してきました。

今日4月8日は花まつりと言って、お釈迦様が生まれた日です。そのご誕生を祝ってみんなでお祝いするもので、決して満開の桜の木の下で行う花見などを指すものではありません。そういえば幼いころの微かな記憶をたどれば、これに纏わる甘茶を飲んだことを思い出しました。

その甘茶で乾杯して祝宴が始まったのですが、当時の味とはちょっと違うような感じを受けました。伝えられるところによると、お釈迦様は今から2500年もの前、インドのヒマラヤのふもとにある小さな国で生まれたと言います。

ある夜、おきさきのマーヤーさまが、白い象が空からおりてきて自分のおなかにすーっと入る、不思議な夢をみたそうですが、それが王子ご誕生を知らせる夢でした。そして生まれるのが近づいてきたある日、自分のふるさとに帰ることになり、その旅のの途中にあった、色とりどりの花に囲まれたルンビニーの花園で生まれたのです。

そのとき、辺りには美しい音楽が流れ、甘い香りの雨がふりそそぎ、王子の体をきれいに洗い清めたと言います。そして生まれたばかりの王子がすっと立ち上がり、7歩歩んで右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と言われたのです。

やがてこの王子が世の人々を救うお釈迦様となったわけですが、その誕生を祝うと同時に「天上天下唯我独尊」という言葉に表れているとおり、わたしたちひとり一人がかけがえのない尊い存在で、かけがえのない生命の尊さを思う日でもあると言われているのです。

私は当初、その言葉の意味はこの世のものは全て自分自身中心に仕切るもののような、誤った解釈をしていたのですが、冒頭のお上人の挨拶にもあったとおり、もっと意味深い言葉であることを知らされました。

また花がいっぱいに飾られた、花御堂(はなみどう)というものを作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす誕生仏の上方から「甘い香りの雨」をそそぐ、灌仏という儀式も初めて体験することができました。

60有余年生きてきても、いろいろと知らないことが多いものです。とにかくひとり一人の命を大切に思う尊い日だったのですが、宴席が始まった後はいつものとおり、おいしいお酒と料理に舌鼓を打ってばかりの相も変わらない様子だったのです。これではご利益もありませんね。