会長の”三行日記”

2013.11.29

取り違え No.2494

 60年もの長い年月が経ってから、自分の生まれたル-ツが違うなんてことに気がつくという、信じ難い話があるものですね。60年前に東京都墨田区の病院で、出生直後に取り違えられたとして病院を訴えていた男性が記者会見をしました。

それによると、取り違えられたのではないかと知らされたのが、実の弟たちからで2011年の末のことでした。そんなことがあるわけないと、認めたくはなかったのですが、昨年1月のDNA型鑑定の結果、取り違えが判明したのです。

この男性に不運なのは、育てられた家庭では2年後に父親が亡くなり、母子家庭で働きながら定時制高校を卒業するという、あまり経済的に裕福な家庭環境ではありませんでした。そして本来の育つはずだった家庭の方は、両親が教育熱心で経済的にもゆとりがあったのです。

そして可哀想なのが、実の両親が共にもう亡くなってしまっているのです。何とも不運を絵に描いたような話なのですが、自分が育った家庭にも、貧しいながらも母親はできることを精一杯やってくれ、兄二人にも可愛がってもらったと、感謝の気持ちを表わしています。

そのように聞くと、果たして取り違えが判明したことがよかったのかどうか、疑問に思ってしまいます。人間というものはとかく他と比較したりすると、自分の足りないものに気付いたりして不足の念を持ちやすいものです。

でもいくら貧しい時代を経てきても、それが定められた自分が置かれてきた環境として受け取れば、自分なりに納得できるもので後悔などしないものです。この男性が不幸なことは、もし取り違えられていなかったら、もっと別の良い環境があったはずだと気付いてしまったことです。

それはある意味では今まで自分が歩んできた道を否定することにもなりかねません。時間を生まれた日に戻して欲しいとか、本音は実の両親に育ててもらいたかったという言葉は、取り違えが判明されなければ絶対出るものではありません。

でもそうはいっても自分がもし同じ立場であったら、まったくどうなるか予測がつかないものです。それだけに取り違えた病院の罪は重いものです。3800万円の支払いという判決が出たらしいのですが、とても金額に代えれるものではありません。

それから病院側に謝罪の言葉を求めたのですが、答えはノ-というのも納得がいきません。二度とこのようなことが起こらないよう、誓う意味でも謝罪して欲しいものです。

今日11月29日は私を世に送り出してくれた父親の、90歳の誕生日です。世では卆寿と呼ぶらしいのですが、いつまでも元気でいて欲しいという願いと、今までの感謝の気持ちを込めて、内輪でささやかな祝宴を開くつもりです。やはり今の自分が存在するのは全て親のお陰です。