会長の”三行日記”

2013.11.01

大谷徹奘氏法話会よりその2 No.2480

 いよいよ今日から11月です。2ケ月綴りのカレンダ-は最後のペ-ジとなってしまい、今年ももう残り少ないことを実感させられます。さて、少し間が空いてしまいましたが、前回に引き続き、薬師寺・大谷徹奘僧侶のお話をもう少し紹介したいと思います。

大谷さんは東日本大震災が起こった後、東北各地を何べんとなく回られたとのことですが、大きな被害を受けた地域の中に閖上(ゆりあげ) という所があります。宮城県南東部、名取市の一地区ですが、ちょうど仙台空港のすぐ近くの地域です。

ご存知の通り、仙台空港は飛行機が津波で流されたりして大きな被害を受けたわけですが、隣接する閖上地域もかつては閖上浜といい、名取川と貞山堀(ていざんぼり)との結節地ということで、その被害は痛ましいくらいのものでした。

閖上という字を見ても解るとおり、門の上に水と書きます。これは遠い昔の先祖から伝えられていて、この地名が付いたと言われます。つまり昔から津波に襲われていて、警戒しなければいけない地域ということで名付けられたみたいです。

ですから、先人の教訓に後世の人たちが耳を貸さなかったとも言えるというのです。やはり大きな被害に遭った地域である、石巻市の渡波(わたのは)という地域も同様だと指摘していました。

このように過去から未来へと引き継ぐ立場にある私たちの使命は、決して軽いものではないということから「中今」という言葉が生まれたのではないでしょうか。また人間の一生も同様で、生まれたときから亡くなるまでを1本の線で表わすと、緩やかに昇ったピ-クからまた下るという、放物線を描きます。

その人生において30~40歳代はピ-クと言えるでしょう。そして私たちのような60代を過ぎると、下りのカ-ブでどんどん終息に近づいていくわけです。そんなピ-クのところにいる人たちが、終息を迎えようとしている方々に対してやっていることを、れから昇りに差し掛かろうとするカ-ブの人たちがしっかりと眺めていると言うのです。

つまり例を挙げれば、お嫁さんが姑さんに対しての接し方を、そのまま子どもである世代が眺めているということです。そして時代が繰り返すように、いつの日かピ-クにいた人たちが終息に近づいてきたときに、また同じことが待ち構えていると言うのです。

ですから本当に心底よく尽くした人には晩年はそれなりの幸せが、逆にひどい仕打ちをしてきた人にとっては辛い晩年が待っているということです。そして人間は死んだ瞬間にその人の評価が分かると言われていました。

また死んだ後にも幸福があるといい、残された人からよく思い出してもらうことがそれに当たるそうです。従って死んだら終わりではなく、亡くなってからも残っている人たちに思い出してもらえるような生き方をしたいものです。