会長の”三行日記”

2013.10.16

大谷徹奘氏法話会より No.2475

 月曜日の祭日、長泉ベルフォ-レで開かれた大谷徹奘氏法話会に行ってまいりました。薬師寺の執事として知られている同氏ですが、いつも元気いっぱいのお話はこちらまで元気を頂き、勇気づけられるものです。

主催していただいたのは深澤電工さんといって、電子機器やプリント基板の製作をやっている会社なのですが、3Sでも知られていて整理・整頓・清掃が徹底されていることから、多くの見学者が訪れているほどです。

その深澤電工さんの会社創立50周年を記念して、開いていただいたものです。講演会の冒頭、大谷さんはいつもそのように心がけているらしいのですが、演壇からわざわざ客席まで降りてきて、詰め掛けた皆さんに挨拶をされるのです。

皆さんと同じ目線で挨拶をしたいからということです。この辺がさすがお坊さんというところで、皆さんと自分は同じですよという表われなのでしょう。17歳高2で薬師寺に入り、今年で34年目という大谷さんは50歳になられたそうですが、今は亡き高田好胤師を慕っての入門だったようです。

その好胤師は生まれてきた人は必ず死ぬと言い、人の命に厳しい人だったと言われていました。大谷さんはそこで会場の私たちに、こう問い掛けました。「皆さんのご両親の名前を口に出して言ってみて下さい

これはさすがに言えない人はいないはずです。そして次に「父親の両親、母親の両親の4人の名前を言ってみて下さい」と尋ねられました。この途端、私もそうですが、これをしっかり答えられる人は極端に少なくなってしまったのです。

こうした先祖が存在したからこそ、今の自分が存在するということです。その自分という一人の先祖を625年遡ると、何とその数は3355万4432人にもなるそうです。従って死んだらお終いではなく、命のリレ-という役目を担っていると指摘していました。

命は自分のものだが、自分だけのものではないということです。また前の人の生き方が次の人に引き継がれるとも述べていました。このことから現在の自分さえ良ければいいといったことや、今さえ良ければいいといった風潮についても触れていました。

また人を敬うことがなくなり、聞く耳を持たなくなってしまったことについても、日本人として取り戻さなければいけないと指摘していたのです。先輩を敬うことを敬上というそうです。また1300年前、聖武天皇の時代には今のことを中今と呼んでいたみたいです。

この敬上と中今という言葉の大切さを説いていました。以上、今日紹介したのはお話のまだほんの一部ですが、続きはまた後日紹介させて頂きたいと思います。やはり年間400講座を持つという人だけあって、立て板に水の如く、お話はさすがに聴きやすい上手なものです。

今という言葉がその昔は中今というだけに、今に生きる私たちは先祖から、後々の子々孫々へのリレ-役(仲立ち)として、ただ流されて生きていてはいけない、人間の生き方としての役目というか使命のようなものを知らされたような気がしました。